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ラップが自分の手元に返ってきた

高川和也 そのリズムにのせて

トゲビに行ってきた。
東京都現代美術館のことだ。
本当はMOTと略すそうなのだが、韓国のオバケっぽくて個人的にトゲビと呼んでいる。

「私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ」という展覧会の名前に心惹かれた。
俺は「正しさというものは、実際のところ、人を幸せにはしないんじゃないか?」と常々思っているわけで、そんな僕にはこの展覧会のタイトルが刺さったわけです。

そんな中でもいちばんグサッと刺さったのが「このリズムにのせて」という映像作品。
高川和也さんという、アーティストが自分の過去の日記をラッパーのFUNIさんと一緒にラップに仕立てていくという一時間弱のドキュメンタリームービー。

ラップの定義って?

FUNIさんは在日コリアン三世のクリスチャン。
普段は鉄工所でダクトとかを造っている。
マジもんの鉄工所ラッパー。
彼が始めてラップに出会ったのは教会でパイセンに教えてもらったことがきっかけらしい。
教会という神聖な空間とラップというダーティなイメージの意外なマッチング。
FUNIさん曰く教会の懺悔室で出た言葉もそれはラップ。
外に出たものすべてがラップだという。
これには作家の高川さんも少し首をかしげていた。
「なんかチガウ気がするんすよね」と。
ただそれを完全に否定しうる材料が完全に見つからないというモヤっとした否定だった。

ラップのワークショップ

FUNIさんはラップのワークショップをひらいている。
ラップってワークショップで教えられるもんなの?
ストリートの中で磨き抜かれていくもんじゃないの?
ワークショップに参加する面々もなんだか大人しそうな男女だ。
「縛られるのはヤだけど、やりたいことがみつからない!」的な女の子や「世の中全部嫌いだ!リア充はやく爆発しろ」みたいな男の子。
なんだか爽やかな悩みを抱えた連中。
そんな彼ら彼女らが、自分のつづった言葉をバンドが生演奏で作ってくれるビートに乗ってラップする。
上手に韻が踏めなくてもいい。Flowが途切れてもいい。
そこに自分の真実の気持ちが乗っかっていればいい。
ZEEBRAのような「高級車のって、女はべらして、シャンパン開けて」みたいなrhymeじゃない。
呂布カルマのようなバトルの中で相手を叩きつぶす言葉でもない。
むしろそんなものが嘘くさく思えてしまうくらい、ワークショップの参加者は弱さも恥ずかしさも迷いも全部ビートの上に吐き出していた。
そんな姿を見ていると、俺にもラップができるんじゃないかなと思えた。

最初に好きになったラップに立ち返る

ぼくラップ好きだったんです。
Dragon Ashから入りました(あの頃はDAだって不良の音楽だったんですよ?)
ティーンエイジャーの頃の降谷建志の瑞々しい感性がrhymeに息づいてました。
大学の友達に勧められてRip SlymeやKick the Can Crewを聞きました。
全然ディープじゃない人ばかりです。
そしてZEEBRAやK Dub Shineを聞いて食傷気味になりました。
だってあの人たち「おれたちサイキョー」しか言わないんだもん。
それでしばらく聞いてなかったらなんか最近また流行りだしてて、でもオジサンついてけないや……って気持ちにちょっとなってました。
だけどこの映像作品を見て、FUNIさんがワークショップの受講生や高川さんに伝えているものって、俺が最初に好きになったラップと一緒だってことに気づいたのよ。
ワークショップの若者たちの言葉が紡ぎだした言葉はあの頃のkjの詩と通じるものがあった。

その言葉をラップたらしめるもの

教会での懺悔がラップになるか?
ラップが真実の思いを紡ぐものであるとすれば、YESだと思う。
教会という格調高いところでは、自分の罪をさらけ出すときも、しっかりと襟を正すものじゃないか。
少なくとも他人、しかも神の代理人に語るものなので、自分の中にある、きったないヘドロみたいな言葉を丸出しにするわけにはいかない。
もちろん、懺悔の最中泣き崩れたり取り乱したりするかもしれない。
だけど襟を正し告白しようとしたことに間違いはない。
他人に語るアウトプットの為に正そうとした襟の高さ、そこにトラックが重なれば言葉の原石がラップになってくれるんじゃないだろうか?

FUNIさんは高川さんの日記をラップにしていく過程で、sの子音を力強く発音することで頭韻を作り出したり、手の動きや抑揚をつけ感情を表現したりと、吐き出されたフレーズに肉付けをしていった。
高川さんの日記の言葉は「女抱きたい」とかの欲望まみれの言葉なんだけど、徐々にラップとして完成度が高められていった。

どんな言葉でもいい。
自分の中に言いたかったけど言えずにわだかまっていた言葉。
それを少しでもいい。襟を正して外に出し、ビートにのせて磨いていけば、RhymeやFlowが拙くてもそれがラップへと昇華される。
やり方がわかるとラップが自分の中に返ってきた気がした。
いや、ずっとそこにあっただけだった。

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