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西澤作品をできるだけ読んでみる16  『モラトリアム・シアター produced by腕貫探偵』

 気付くと、住吉ミツヲはカーペットにうつ伏せになっていて、ひどい頭の痛みを感じながら身体を起こすと、そのすぐ近くで英会話講師をしている同僚の妻の遺体を発見する。〈メアリィ・セイント・ジェイムス女子学園〉、通称〈MSJ〉というミッションスクールの臨時講師となったミツヲ。彼は、その学校で事務員として働く標葉いつかという魔性の女が〈疫病女神〉と噂される由来を知らないはずなのに、彼の深層意識が警鐘を鳴らす、という出来事が起こる。

《(前略)まさか他ならぬぼく自身が、少なくとも標葉いつかという女性にまつわる事柄に関して、いわゆる“信頼できない語り手”に堕してしまうとは、神ならぬこの身、予想する術があろうはずもない。とりあえずここでは、これ以降、一人称で物語られる内容はいちいち疑ってみることをお勧めする、と記すに留めておこう。》

 今回紹介するのは、

『モラトリアム・シアター produced by腕貫探偵』(実業之日本社文庫 2012)
 ――ぼくの中に、ぼくの知らないぼくがいる。

 本書は文庫書き下ろし作品です。

 ※ネタバレには気を付けますが、未読の方はご注意を!

 本作は〈腕貫探偵〉シリーズ初の長編作品です。〈腕貫探偵〉シリーズを読んでない人でも問題なく楽しめる作品にもなっていますが、登場人物への理解を深めるためにもシリーズ一作目から読むことをおすすめします。前作『必然という名の偶然』では登場しなかったシリーズ探偵である〈腕貫〉さんですが、本作では登場します。ただ今回はとてつもなく重要な役割ではありますが、かなり脇役的な立ち位置で、物語に関わる割り合いも低めです。

 語り手の封じられた記憶をめぐる本作では、物語前半に語り手が〈信頼できない語り手〉であると明かされています。自分の中に自分の知らない自分がいる、という形で進んでいく物語には読者自身にも他人事ではない不安を感じさせる魅力があります。しかし、マザコン(母親に欲情することがあるほどの)でシスコン、押しに弱い気弱な青年というイメージで描かれる語り手は情けない雰囲気は持ちつつも、嫌いになれない小心さと人の好さも感じられ、信頼してはいけないと釘を刺されているのに信用してしまいたくなる人物です。

 ただここまで西澤保彦作品を読んできて、大きな魅力のひとつに性格描写があると思っていて、その性格描写の秀逸さが本作でも、とてもよく表れている印象があります。真相が明かされた途端、登場人物の性格が180度変わるようなことはあまりなく、この性格ならこういう結末になることも納得できる、という腑に落ちる感覚があります。

 こういう系統の作品は西澤作品に限らず、嫌な読後感を残す作品が多い印象がありますが、本作の後味は決して悪くなく、物語の展開からは想像できないその意外な余韻も本作のおすすめしたい魅力です。