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存在もしていないし、もちろん読めるはずもない本について堂々と語る①   『檸檬喰う女、林檎は喰わない』梶井春音

 最近の私はすこしおかしく、どうでもいいことばかり考えている。協力してくれる人がもしもいたら嬉しい。

 前回こんな記事を投稿しました。

 先日、文春文庫から出た「『罪と罰』を読まない』」とかnoteの記事にも「#読んでなかった書感想文」なるものを薦めている記事があったりと未読だからこそできる楽しみ方というのは結構すくなくないみたいです。

 そしてさらに言えば私、これに関しても未読で申し訳ないのですが、架空の書評集であるスタニスワフ・レム『完全な真空』や空想ゲームレビュー小説である赤野工作『ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム』といった作品も存在します。

 急にこういう趣向のことがやりたくなりました。なので、やります。

 ※ここからはすべて存在しない小説について語っています。

『檸檬喰う女、林檎は喰わない』梶井春音

 正直に告白すれば、読み始めは古めかしく、地味だなという印象を抱いた。《気付けば、私は梶井基次郎の『檸檬』を携えたまま書店を出てしまっていた。お金を払っていないことに気付いたのは、店員に声を掛けられたあとだった》という幕開けの一文には惹かれるが、そこから謝る姿を店員に同情され、お金を払うことで許してもらえるシーンにかなりの分量を費やしていて、げんなりしてしまった。基本的に前半は悪意なく問題行動を起こしてしまう語り手の女性とその姉、そして姉の恋人であり語り手の女性が想いを寄せるロックバンドのボーカル、佐々木の三角関係を軸にして物語が進んでいく。恋愛小説といっていいだろう。『檸檬』は作品の性質上、仕方ないのかもしれないが、全体的に道具立てが現代っぽくない。

 しかしここまで色々と文句を付けてしまったが、この作品、後半の展開が素晴らしい。恋愛小説ファンよりもホラーやイヤミスといった作品を好む人のほうが肌に合うかもしれない。

 著者がおそらくかなり影響を受けているのだろう『檸檬』が作中に頻繁に登場するが、この『檸檬』に傾倒しまくってる佐々木が「檸檬ばっか喰ってる痩せてる女って、エロいよな」と馬鹿みたいなことを言うシーンがあり、まぁ正直この発言もどうかと思うが、この発言を真に受けた語り手の〈私〉が檸檬ダイエットを始めるところ辺りから本当に素晴らしい!

 それまでも語り手の様子に狂気らしきものはかいま見えていたが、決壊寸前で、ぎりぎりで留まっているという印象があった。檸檬ダイエットはそれが決壊した瞬間である。語り手の狂気は心底、怖い。そして終盤のその展開は、物語の爆発としか言えないものだ。基次郎が檸檬の爆発を願ったように、春音は檸檬で物語の爆発を願ったのかもしれない。壮絶である。

 こじんまりとしていた世界が徐々に広がっていく様子も読んでいて嬉しい。

 喰わないと決めていた林檎と語り手。その物語終盤の象徴的なシーンに、震えました。古そうに見えて、実は新しい。新たな名作の誕生を喜びたい。内容から著者の年齢は筆者よりも年上だと思っていたが、20代前半と聞いて驚いている。これからが楽しみだ。

(いないとは思いますが、もしも小説化したい方がいたら、どうぞご自由に。いないか……。)