見出し画像

志賀島に行ってきた

しばらく旅に出ないでいると、ふと旅がしたいと思う。数時間でも非日常の体験が必要だった。

そこまで遠出するつもりはなかったので、近場を調べていると志賀島が候補として出てきた。志賀島を知ったのは歴史の教科書だ。「漢委奴国王印」という名で知られる金印が出土した場所として紹介されていた。

金印というのは、後漢の光武帝が弥生時代に福岡にあった「奴国」の王に与えた高さ2.2cm、幅2.3cmの小さな金製の印鑑だ。

右が金印、左は刻まれた文字

紀元57年という時代に驚かされる。これは約2000年も前から日本と中国との間に交易があったことを示しているし、当時の日本に後漢ほどの大国から金印を贈られる規模の国があったこともわかる。

その志賀島に博多埠頭からフェリーに乗って行った。30分ほどで着いた。

その名も「きんいん」というフェリー

志賀島では、まず金印公園という金印が出土した場所に行った。

道中。見えるのは能古島だと思う。
波の音、塩の香りがして海辺を歩くのは気持ちよかった。

金印は公文書の印鑑や荷物の封印に使われたらしい。封印というのは、大切な書類を運ぶときに中身を見られないよう、また見られたときすぐに発覚するよう印鑑を結び目に押しておくものだ。

なぜ、奴国の王に贈られた貴重な金印が志賀島で見つかったのか。はっきりとしたことはわからない。奴国が滅ぶとき、埋蔵金のようなイメージで金印を隠したとする説もあるようだ。文書なんて残ってない弥生時代について、こんな小さな印鑑が多くの憶測を生んでいる。想像する余地があることもまた歴史の面白さだと思う。

オオシマザクラ、金印公園に咲いていた

志賀海神社にも行った。志賀島は博多湾に面していることもあり、海上の要衝として重要な拠点だった。神社の由来や歴史については何度説明を読んでも意味が分からなかったが、この辺一帯を治めていた領主・領民にとって重要な存在だったんだろう。

神社の拝殿、浄めの砂を左右に振るようにと書いてあった

神社はとても立派で、見応えがある。神前で参拝して、境内をぶらぶらしていると、ひとりの女性と目があった。黄色のカーディガンを着て、同い年くらいだった。女性は、神社の奥の隅の方によく並んでいる小さな祠(ほこら)の一つを選び、参拝していった。どんな祠なんだろうと気になってみると、神は「天照大神」で、ご利益は「国土安泰、衣食住保護」とあった。何者?


最後までお読みいただき、ありがとうございました!