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【#12アゼルバイジャン】ひのくに

ドバイでの乗り継ぎを経て、ヘイダル・アリエフ空港に降り立った俺は、アライバルビザを申請した。日本人は無料だった。

インドやネパールまではアジアということもあり馴染みがあったが、日本から遠く離れたアゼルバイジャンという国は未知な部分が多く不安が大きかった。ネパールでチケットを発券してもらったとき、行けるのだという実感がわいた。

ヘイダル・アリエフ空港

ただ、なぜアゼルバイジャンに行くのかという理由もまた、情報が少ないからだったりする。欧州ともアジアとも区分され、ロシアやイラン、トルコなどの大国に翻弄された歴史を持つ文明の十字路、コーカサス。そのミステリアスな響きを持つ地域を自由気ままに旅してみたかった。

空港を出て感じたのは「寒い」ということだ。気温は10℃前後で日本の冬と同じくらいだったが、首都バクーはカスピ海から近くずっと風が吹いているので、体感温度はかなり低い。

バクーの街並みは、水色の屋根にベージュ色の重厚な建物が連なっており、まるで欧州のようだった。一つ一つの通りが、これまで旅してきたアジアの国々とは違い、ため息が出る。

ゴージャスな街並み

アゼルバイジャン人は、身長が高く体格もよく、色白または少し日焼けしている程度であり、トルコ人のように鷲鼻で目がくっきりしていたり、欧州人のような顔立ちをしている人が多かった。

なんとなくアジアの延長上で考えていた俺は、「アゼルバイジャンってこんな国なのか」と気候、街並み、人々に驚きの連続だった。

人々

着いた翌日、名所であるヤナルダグに行った。アゼルバイジャンは石油やガスの埋蔵量が豊富だ。地下から天然ガスが地表に噴出することで、燃える光景が見られることから「火の国」とも称されるらしい。

ヤナルダグは、その天然ガスやメタンガスが燃えている場所のことだ。ガイドによると四千年前から燃え続けているという。風で火が揺れ動くから、生きているようで見ていて飽きなかった。これが、アゼルバイジャン人のアイデンティティかと思うと感慨深い。

近づくと火の熱さを感じ、手をかざした

これはヤナルダグ行きのバスで見たことだが、男性が席に座っているときに女性が乗り込んでくると、男性はさりげなく席を空ける。女性は別にお礼を言うこともなく、男性もまたお礼を期待することもなく、淡々としている。俺は知らずに座っていて、恥ずかしかった。

地下鉄は地下深くに造られており、エスカレーターは一体どこまで下るんだろうと思うほど長かった。旧ソ連時代には、核シェルターとしての利用を想定していたらしい。集団墓地では墓石に肖像画が描かれていた。

バス車内、運転手の顔が鏡越しに見えて面白い

アゼルバイジャンではケバブ店が多い。このケバブがとても美味しい。物価が高く、ケバブ以外の外食を食べようと思うとそれなりの値段はした。街中ではアゼルバイジャンの国旗と共に、トルコの国旗が掲げてあることがあり、両国の親密さがよくわかる。

ケバブ、左の方が少し高い

アゼルバイジャンに入ってから、寒さもあってかインド・ネパールの疲れもあってか、日本に帰ることが頭をよぎるようになった。イスラエルではカフェでパレスチナ人による銃乱射のテロが発生し、ジョージアではある法案をめぐって大規模な反政府デモが起きていた。

世界をこの目で見てやるという意気込みでスタートしたこの旅は、もう一ヶ月半に及び精神的、身体的に疲れが見えてきた。これから訪れる予定の国々のニュースも心配だった。

それでも前に進みたい。またいつか、は体のいい断り文句だ。他でもない自分にそれを言うのか。今しかない。自分の好奇心を信じて刺激と洞察に満ちた冒険をやりきる。そのために安定しているが、先の見えない仕事を捨ててきたんじゃないのか。

そんな気持ちの整理をつけつつ、首都バクーを離れ古都シェキを訪れた。出発前にバクーのバス・ターミナルでパンを買った。冷めていたし、予想と違い味気なかったので、食べきれずゴミ箱に捨てた。

すると、おじさんから「食べ物を捨てるな。お前には失望した」というようなことをアゼルバイジャン語で言われた。

バスを待っているときは、パン、イヤホン、子供服の物売りがバス車内に入ってきた。その物売りがインドのように「チャイ、チャイ」と単調ではなく、長めの口上を述べるのが面白かった。

シェキ旧市街、俺はこういう歴史的な街が大好きだ

シェキでは多くのアゼルバイジャン人に話しかけられたのが印象的だった。首都バクーでは、外国人慣れしているのか視線を感じることも稀だったので、アゼルバイジャン人の新たな一面を見た気がした。

シェキには、十八世紀ごろに実際に使われていた隊商宿(キャラバンサライ)が今も残っていて、その部屋に泊まりに来ていたアゼルバイジャン人に見せてもらったこともある。共用エリアまでは見学自由だが、一般人は内部を見ることができなかったので、ありがたかった。

隊商宿にて、親切なアゼルバイジャンの若者

シェキ旧市街を歩いていても、地元のアゼルバイジャン人から手を振られたり、凝視されたり、挨拶されることが多くあった。スーパーで買い物したときは、チョコレートを選んでいると「こっちの方が美味しい」と少年に教えてもらうこともあった。

夕方着いてから短い時間で、街全体から好奇心を持ってもらっている気がするほど交流があった。バクーの印象だけでアゼルバイジャンを捉えていると見誤っていたなとつくづく感じた。

ここまで人懐っこい国民とは思わず、シェキに一泊して明日にも国境を越えようと思っていた俺は、どうするか迷った。アゼルバイジャンについてもっと知りたいと思い始めていたからだ。

それで、明日の朝の気分次第でアゼルバイジャン第二の都市ギャンジャに向かうか、国境を越えてジョージアに向かうか決めることにした。

朝5時にアザーン(イスラム教礼拝の呼びかけ)で目が覚めた俺は、やはりギャンジャに向かうことにした。こういう自由さが一人旅のメリットだ。気になるなら行ったらいい。

ギャンジャに着いて、チェックインして名所を見回った。夜になると、ちゃんとしたアゼルバイジャン料理を食べたいと思い、探し歩いた。ギャンジャにはケバブ屋は多いが、レストランは少ない。

ギャンジャの街並み
宿の主人とその子供、マツダ車なのが嬉しかった。
主人は英語が少ししか話せず、わからないときは子供に電話したが、
意味さえ分かるとすぐに電話を切った。それを言葉につまるたびに繰り返した。

だいぶ暗くなってきたので、もう少し探してないなら諦めてケバブ屋に入ろうと思っていると、二階建ての複合施設が目についた。一階はスーパーになっており、二階はレストランのようだった。

二階に上がると、客はほぼおらず奥のカウンターでウェイターが雑談しており、近づくと「ウイスキー?」といきなり聞かれ、バーだったのかと気がつく。メニューにはケバブしかなかったので、俺は「アゼルバイジャン料理が食べたいので」と言ってエスカレーターを降りた。

すると、後ろからウェイターが追いかけてきて「美味しいアゼルバイジャン料理の店を知っているから案内する」と言ってくれた。

一つ目のお店は高級レストランだった。メニューを見ていると、もう少し安いお店もあるということで二つ目のお店に連れて行ってくれた。その店では、メニュー表が文字だけだったが、QRコードを読み取れば画像が見れると教えてくれて、一つずつ気になる料理を確認しながらメニューを一緒に選んでくれた。

結局、チキンのピラフ、トマトときゅうりと玉ねぎのサラダ、パンとオリーブ、チーズ、バターを注文した。食べている間にも「何歳だ?」「仕事はなんだ?」「これからどこに行くのか?」「インスタは、やっているのか?」など話をした。

料理はとても美味しく、本格的なアゼルバイジャン料理が食べれて満足だった。最後には、そのレストランのウェイターからティーをサービスで頂いた。ナルトの大ファンで7回はアニメを観ているからということだった。ジャムもクッキーもティーも美味しかった。

アゼルバイジャン料理

アゼルバイジャンに来る前は不安でいっぱいだったが、去る前にはお腹がいっぱいになった。ギャンジャに来て良かったなと思った。その翌日、アゼルバイジャンの国境を徒歩で抜けて、ジョージアに向かった。

食後のティー

最後までお読みいただき、ありがとうございました!