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狩猟民族と共に暮らした、1ヶ月の記録。パプアニューギニア・サローミーの森より。


前編はこちら


セピック川に辿り着いたのはそれから3日後の事

小さな村を繋ぎ、森の内側へと入って行く。次第に緑は濃くなり、山岳を少し越えると熱帯の気候に変化する。じめったい風が強く吹いた。

森が運ぶ爽やかで懐かしくもあるその風は、なんだか心地よさよりも「また帰って来てしまった」という後悔の念に近いものを感じさせた。

それでも、道中は森や川の情報をできるだけ集めようと思い、現地の人に話しかけた。

筏は見た事あるか。竹は自生しているか。川の上流部に行った事はあるか。

しかし、そうした交流の過程はなんだかマリオネットの様に、誰かに操られてやらされている感がどこかにあって、他の誰でもない、自分で決めた事なのに、楽しさは感じなかった。

それでも「川さえ見れば、考えは変わる」と、そう自分に言い聞かせてセピックの川を目指した。

果たして、過去何度も見た、あのアマゾン川と変わらぬ濁々とした水流が何の前触れも無く目の前に現れた。

眼前に広がる風景は、匂いも、太陽の日差しも、風も、あのアマゾンと変わらない。

2度目のアマゾン川筏下りと、なんら変わりのない。

蝉がけたたましく鳴いている。

また、ここから始まる。

さぁ、始まる。

なんて。

気持ちは全く高揚などしていなかった。

筏で下ろうっていう気持ちが綺麗に、全て、無くなっていた。

誰かの感情みたいに、自分が本当にそんな事を思っていたのかって疑うくらい、数日前までずっと抱いていた感情を手繰り寄せる事が出来ない。

その糸すら掴めない。




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サハラに死す」という本がある。

1975年、単騎ラクダによるサハラ砂漠徒歩横断中に渇死した日本人青年の、サハラ砂漠に青春のすべてを賭けた想いを描く、不朽の名作である。

そのあとがきに、冒険論めいたものが簡潔に書かれている。

そこには「冒険は若者だけが持つ特権」と書いてあり、何者でもない若者が世界にいる限り、延々と、その中の愚かで、愛すべき馬鹿者が、直接的表現の冒険の旗を掴んでしまう。だから、どれだけ地図上の空白地が消えようが、前人未到なんてジャンルが無くなろうが、冒険する者はこの世界から消えて無くならない。

そんな事が書かれている。

自分も、そんな中の、愚か者の一人だった。それを誇らしく思っている自分もどこかにいた。馬鹿でもなんでも、やりたい事がある、そんな自分が好きだった。

それが、消えた。

自分の中にあった、大切なアイデンティティみたいなものは、実は有効期限があるもので、まだまだ続くと思っていたその感情の期限は、すぐそこまで迫っていて。これからは、直接的な冒険行為の無い、そんな人生が始まるのだろうか。

延々とそんな事を考えた。

考えるしかなかった。それ以外、ここには何も無かったから。

そして、ただただ、寂しくなった。

一日、川を見つめても、ピクリともしない。

既にセピックの川は深い森に囲まれていて、熱風がずっと吹いている。

筏でなんか、下りたくない。やりたくない。

時間が経てば経つほど、なんでここへ来ようと思ったのか、わからない。

あれは嘘だったのか。

時が経てば、また冒険がしたくなるのだろうか。

わからない。

筏下りを無理矢理にでも実行に移す事もできた。

でも、それをやって何になる。

今まで何度も言われてきた正論が、自分の中に木霊する。

それをやって、何になるんだろう。

わからない。

描いていた未来は、どこにあるのか。

わからない。

翌日、ここに留まっても仕方がないと思い、ジャングルの奥地、大きな湖がぽつりと地図上にあり、そこへ行ってみようと思った。

このまま日本へ帰ったら本気でおかしくなりそうだった。一ヶ月くらい、適当にどこかの集落に滞在して日本へ帰ろう、と。



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辿り着いたのは、経済社会の限りなく隅っこにあるような、小さな、昔噺の世界にあるような、そんな村だった。

村の名は、MARUYAMA。サローミーの深い森の中にあった。

70年前、旧日本軍が滞在していた村であり、日本の影が無くなった今でもその当時の名を引き継いでいる。オーストラリアによって一時制圧されたのものの、ジャングルの奥地という事で支配の影響が限りなく少なく済んだ。

パプアニューギニアは宗主国がオーストラリア(元はイギリス)であった為、公用語は英語である。それでも地方に行くとピジン語であったり少数言語であったり、様々だ。

丸山村はピジン語であるが、数人英語を話せる人がいる。そうした人達を介して、その村に留まる事になった。

村は狩猟をメインとした貨幣経済の外側にいる人たちが暮らしていた。森の中でカスカスという猫みたいな動物を狩ったり、カサワリという巨鳥や、刺々しいサゴの樹木の内部に棲むピナタンという親指ほどの幼虫を捕まえたり。

武具は主に、槍や投石、斧、銛のみで狩りを行う、原始の世界だった。火を起こす道具はココナツを乾燥させたものに、樹木の幹をシュシュシュと擦り付けると、ものの20秒程で火がつく。

その極限までに研ぎ澄まされた生活は、最初こそ、桃源郷の様に思えた。貨幣経済が存在しない、無駄なものが一切ない、

生きる為に必要なものしかない。

不必要なものなど、何も無かった。


ここで、生活をしたいと思った。

ただ滞在するんじゃなく、彼らの食生活から、まるごとごっそり、その村の社会で、彼らのルールの中で、生きてみようと思った

この一年近く自分の頭の中に会った桃源郷めいた世界が、経済の外側の世界が、貨幣経済など存在しない世界が、目の前にある。

果たして、村に着いた数時間後には森で狩りのやり方を教わっていた。少しでも、その経済の外側に棲む人の感覚や感性を辿りたいと思った。だから、自分の飯は、自分で狩るべきだと

自分の中の桃源郷が、本当に桃源郷なのか、知りたかった。

筏も冒険も消えたからこそ、自分の中に少しでも残る、探求の心にすがりたかった。

終わっちゃなんかいない、そう思いたかった。

一日、二日と、村の生活は、これまでのどんな旅よりも刺激に富んだものだった。

でも狩りの能力が無い自分は、自分の食料を得る事すら出来ず、三日目には腹が減って眠れない状況になり、四日目の朝には空腹で倒れ、気がつけばいつもの寝床に横たわっていた。

必死に生きようと狩りをしようと思っても、獲物を目視出来ても、攻撃するというシーンまで持ち込めない。

樹木の上にカスカスが居ても、その木を薙ぎ倒す程の力と体力が無い。一番楽なサゴの樹木に棲む幼虫を喰っていたが、満足感などなく、五匹も食べれば胃袋がただただ虫臭くなるだけですぐに嘔吐してしまう。

ここは、桃源郷なんかじゃ無かった。

あるのは過酷な原始生活であり、経済社会、稲作文化の中で育った生温いサピエンスが生きれる土地では無かった。

経済の外側、貨幣経済の外側なんて、生きれたもんじゃない。

私は、私が作り出した桃源郷に敗れた。

簡単に、敗れた。

そんなの分かりきった事だと、空論ではわかっていても、私は実際にやってみないと気が付けない。

実にコスパの悪い頭と生き方をしている。

いつも、そう。




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パタリと倒れたその日から、村の人は優しく接してくれるようになった。

ただ哀れだと思ったのか、一種の熱が伝わったのか、どちらかは分からないけども、笑顔を見せる人が多くなって、その日から村の生活が始まった。

かけがえのない、忘れてはいけない、濃密な時間。

この感覚は忘れちゃいけないと思い、村での生活を体と心に叩き込んだ。

ここは、自分の居場所じゃないと。

ここは、桃源郷じゃないと。

ここは、私が帰る場所じゃないと。

ここは。



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一ヶ月の村の生活を終え、帰国しました。

道中、ウェワクにて静さんに会い、全てを話しました。静さんは変わらず煙草を燻らせながら、まとまりの無い森での生活を、自分の中から消えた一つの感情を、ゆっくりと聞いてくれました。

沢山、いろんな話をしました。

主観で見れば悲劇も、客観で見れば喜劇。

そんな言葉を、よく思い出す日々です。

これまで、できるだけ経済から遠い場所をここ一年は探し続けてきましたが、自分には経済が必要でした。

多分、とても滑稽で、馬鹿な、誰にでもわかるような一つの回答を、えげつない遠回りをして、掴みました。

掴んだものは、掴んでしまったものは、キラキラした夢でも希望でもなく、誰もが簡単に答える事の出来る現実でした。

一時期は、助けて、と叫びたくなる様なところまで行ってきました。

でも、帰ってきました。

やっぱり、楽しいんです。

そんな乱高下が。

馬鹿な奴だと笑ってこの文章を読んでくれる事を願います。

たぶん、また旅はしたくなるだろうし、森にも河にも行きたくなる。

もしかしたら、来年には山を登ってるかもしれないし、川を下ってるのかもしれない。

わからない事だらけです。

それでも、今は自分の中にある探求心を追って、生きたい。

そんな自分が好きだから。

さらば、冒険。



※川端静さんに会って四ヶ月後、静さんはウェワクの地にて永眠なされました。ご冥福をお祈りします。

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