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【沈黙】 文化に昇華する宗教

原作著者:遠藤周作

映画監督:マーティン・スコセッシ

島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる……。神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける。


宗教史上の奇跡「信徒発見」


踏み絵、という単語を強く覚えている人は多いと思う。江戸時代という約260年のざっくりとした歴史の中で、何回もテストの穴埋めやらマークシートやらに出てきたから覚えているのであろう。

しかしながら、その1600年代初頭から始まる長崎を軸にした宗教史上稀に見る出来事は、日本の教育の中では熱を帯びた話ではなく、比較的クールに流される。少なからず、私が受けてきた教育の中で、踏み絵の重さや、棄教の背徳、命を賭けても信心を捨てない生き様はあの頃一切理解が出来なかったし、何よりも宗教というものをまるで理解していなかった。

それはキリスト教の概念や、宗教の歴史という事ではなく、単純に、神を信じて生きるという事が理解できなかった。

海外では日本よりも宗教や民族の多様性があり、宗教史上の奇跡「信徒発見」は日本人以上に関心度の高い出来事である。

そもそもの始まりは、イエズス会宣教師のフランシスコ・ザビエルが1549年にキリスト教を日本に伝えた所から始まる。その後、江戸時代に入りキリスト教が「禁教」とされ、長崎、大分、熊本など九州に広がったカトリック信徒は隠れキリシタンとして、250年にわたり迫害されながら、司祭のいないまま密かに信仰を守り抜いてきた。

見つかれば殺されるという時代、何世代にも渡って神の教えは脈々と受け継がれ、長い潜伏の時代を経た明治維新直前の1865年、フランス人神父による長崎における隠れキリシタン、信徒の発見に繋がる。

これが宗教史上の奇跡と言われている所以である。

長崎でのキリスト教の歴史は、確かにドラマチックであった。


宗教と文化

少しパプアニューギニアでの日々を挟む。

2017年の暮れから2018年の始めまで、私はニューギニア島北部にあるサローミーの森の中で狩猟民族と共に生活をした。そこは現在も経済の波が及んでいない場所で、ほとんど貨幣経済が入っていなかった。もちろん、紙幣の存在は知っているが、お金を持っていても使う場面が森の中には無いので、状況的に貨幣経済の外側にその民族はいた。

そして、その民族は特殊な宗教文化を持っており、滞在1ヶ月の中でも大きなトピックとして今もそれについて考えたりする。

かつてニューギニア島はオランダの植民地であり、それがイギリスに渡り、オーストラリアによる統治が始まった。その歴史の中で宣教師がニューギニア島にやってきて布教を行った。

長崎と同じ要領でキリスト教が広まって行く。日本とは違い、ニューギニアではキリストの教えは広く広まり、森の奥までその概念は行き届いた。

しかしながら、森の奥に行き着く頃には口伝されたキリスト教に土着の文化が入り交じり、ワニ信仰と十字架がミックスされた茅葺きの聖堂が森の中にできた。それはニューギニアと言う深い森を持つ環境ならではの事で、世界的に見ても稀な文化であった。宣教師の教えは彼らの文化に溶ける様に昇華した。

だが、私が集落を訪れた十数年前、アメリカから新たに宣教師がやって来たのだと言う。私は少しばかり疑問を抱いた。もうキリストの教えは届いてるではないか…と。

話を聞けば、宣教師の目的は「正しい教え」を伝えに来たのだと言う。私が共同生活を送った民族のキリスト教は本当の教えではなく、口伝された正しくない教えであった。つまりは土着の宗教と混ざってしまった独特のキリスト教を矯正しに来たのである。

宗教の修正や矯正は、彼らが作り出した文化を少なからず変化させた。

村でクリスマスを越した時、昔はそこにワニを祭ったと言うが、私が過ごした時間の中にワニは出て来なかった。ワニよりもキリストが上位にきて、自然崇拝の文化は薄く残る程度であった。

良い悪いの話ではなく、見えない所で世界の文化は少しずつ改変されて行くのだと、その一端を覗いた気がした。


棄教による実践

さて、話を江戸に戻すと、その時代オリジナル不在の状況下でキリスト教を土着の文化と融合させずに紡いできた歴史は、先に述べたパプニューギニアの件と比べると凄まじい。そして、圧力の中で密かに繋いできたからこそ、オリジナルを忠実に何代もバトンを渡した。もちろん良く言う国民性もあるかもしれないが、分かりやすい敵がある事によって、一層強く、そして忠実に繋ぐ。

映画の本編ではグロテスクな描写はほとんどないものの、海外から見れば侍の時代にあった刑罰というのは誠に異質なものであり、今の時代から見てもリアルに感じ取る事ができない。あまりにも異質な文化だからだ。その末裔である日本人ですら、江戸が作りだした独特の文化は馴染みが遠い。

あの時代、キリスト教を捨て行きた人々は多いと思う。絵踏みをし対外的に棄教の精神を見せた人も、実際に心の中からも棄教した人も、様々であったと。

作中でも棄教をした後の人生にフォーカスを当てている。それが一つのオチに繋がるのだが、それこそが実践なのだと強く思った。

他の誰でもない、自分の心にだけ棲み着く、神の存在。

その境地に達して、初めて神の沈黙は破られるのかもしれない。

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