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【宇宙船とカヌー】 カウンターカルチャーの傑作

著:ケネス・ブラウワー

父フリーマン・ダイソンは世界的な物理学者で、星への夢を巨大宇宙船オリオン計画やスペース・コロニーに託す。息子ジョージ・ダイソンは、17歳で家を出て、カナダ・ブリティッシュ・コロンビア沿岸の大自然の中での暮らしを選び、巨大なカヌーの建造を夢見る。

交わることのない父子の生き方の中に、技術主義、エコロジカルな生活様式、世代間の断絶など、1960〜70年代アメリカのさまざまな姿を浮かび上がらせたベストセラー。


フリーマンダイソンについて

その名前を初めて知ったのは、ガイアシンフォニーという龍村仁監督によるドキュメンタリー映画によってだった。ガイアシンフォニーは各回オムニバス形式で数人の登場人物がインタビュー形式で地球を語る、ざっくりと言えばそんな映画だ。そのガイアシンフォニー第3番にフリーマンダイソンが出演していた。

最初は星野道夫の動画を探している時に、たまたまyoutubeの関連動画にその映画の予告編が表示され、5分程の予告編であったが鳥肌がゾワッと起ち、同日に何十回もその予告編を再生した

また、驚いたのが、星野道夫と並び出演しているのがナイノアトンプソンという海洋冒険家という事だった。彼の著書を一度読んだ事があり、それは講演を速記したものであったが、とても精神性の高い書であり、冒険記のようなものを期待して手に取った自分を良い意味で裏切った本だった。

星野道夫がそうであったように、ナイノアトンプソンもまた精神世界の内側を静かに見つめ、それが結果的に直接的冒険行為に結びついた希有な人物である。これに関しては読む人を選ぶジャンルの人であるが、俗にいうスピリチュアルだとか、そうしたカテゴリーにスッと入る様なものではない。

ガイアシンフォニー第3番は、星野道夫とナイノアトンプソン、そしてフリーマンダイソンが織りなす物語である。既述したように、前者の二人は事前に知ってはいたが、後者のフリーマンについては全くの無知であった。しかしながら、似た様な思想を持った星野とナイノア、その二人に挟まれたフリーマンに興味を覚えた。が、その名を追う事も無く、日々は過ぎて行った。


巡り合わせ

2017年の夏、私は北海道で3ヶ月間ヒグマの観察員をしていた。環境省管轄の仕事であったが、自然の中で暮らす毎日はまるで行政から請け負った仕事とは思えない程に刺激に満ちていた。

大雪山という冬になれば完全に雪に閉ざされる大地に、冬眠前の熊達は植物を求めて沼地を越えた草原地帯に現れる。その行動を日中観察し記録を撮るという仕事だ。朝方5時過ぎに起き、その1時間後には小屋を出て山を登って行く。2時間程歩くと定位置みたいな所に着き、日中はそこに滞在して熊達を見るのだ。

かつて大学を卒業した後に働いた穂高岳山荘も同じで、普段の生活で触れる事の出来ない自然の中で過ごす、あの時間と、何とも言えない充実感はやはり特別である。そして山荘でもそうであったように、特殊な環境下で働く人もまた特殊である。

斎藤さんという人が私に仕事を教えてくれた、言わば上司のような人がいた。少しお酒の香る物静かな人であったが、少しずつ話すようになると、今の自分と重なる事の多い、そんな20代を過ごした人だった。

「アラスカにも行ったなあ。ユーコン川を下って…」

自然が好きで、昔話をするその瞳はとても澄んでいた。30代になる頃、この北海道に行き着き、熊の仕事に出会ったのだと言う。肉体的体力よりも、移動し続ける生活をする精神的体力の方が先に削れてしまうのだと、多分、斎藤さんは今の自分に何かしらの教訓を伝える様に、ゆっくりと話してくれた。

私もこんな移動ばかりの生活がいつまでも続くとは考えておらず、斎藤さんの言葉は胸にずっしりときた。

いつかは、この生活にも、この生き方にも、終わりが来るのだと。

斎藤さんにはバイブルと言える本があった。その本を読んで、アラスカへ行ったというのだから、私にとっての「青春を山に賭けて」のようなもの。人を極地へと追いやる、腕力の凄い本なのだろうと思った。

タイトルは「宇宙船とカヌー」。

初めて聞いた本だった。

「ジョージ・ダイソンて男がいてさ、そいつが古代カヌーを作るんだよ。で、20歳を過ぎた俺は、その男にカヌーの作り方を教わりたくて、アメリカへ飛んだんだよ。今みたいに、インターネットなんかないから、飛び込みだよなあ。若いから出来た事だよ」

斎藤さんはカヌーで旅をする為に、そのジョージ・ダイソンに会い、カヌーを作ったと言う。一種の若者が持つ、突き抜けの行動力を斎藤さんもまた持っていて、その行動の矛先がその男と、カヌーだった。

「ジョージ・ダイソンには父親がいてさ、フリーマン・ダイソンって言うんだ」

その名を聞いて、ガイアシンフォニーの映像が蘇った。そうか、彼の息子の話なのか、と過去の出来事が少し期間を空いて繋がった事に、また、やはり自分の行く様な所にはそうした同種のサブカルチャーが流れている事に、なんだか嬉しくなった。

そして、その本を手にし、ヒグマの観察員を終えた後のパプアニューギニアの冒険でそれを読もうと思った。多分、斎藤さんがバイブルにする程の本なのだから、適当な場所でそれを読みたくは無かった。

読むなら、特別な環境下で。

そう考えた末の結論だった。


森の中で

420ページもある分厚い本には、二人の親子の物語が交互に描かれ、まるで年代の違う書物を二つ同時進行で読むかのような不思議な感覚を覚えさせる本だった。

読書に馴れている人ではないと全てを読む事は難しく、内容もかなり難しい。この本が発売された1970年代という現代とは違う文体で書かれている事もあるが、一番複雑にしているのは、やはりフリーマン・ダイソンである。

理論物理学者の父、その話の大半は宇宙である。昨今、分かりやすい宇宙の本が沢山存在しているが、この本に記されている宇宙の話は読み手にとって優しくはない。言わばフリーマンの話のレベルを落とさずに、そのまま彼の言葉や思想を記述している。

その息子ジョージ・ダイソンはと言うと、冒頭から彼が住むツリーハウスの話から始まり、古代カヌーの構想、着想、実行と、話に起伏があるからこそ読みやすい。その合間に父の話が来るのだから、読み手には「こりゃー、父と息子は合わんよ」と納得する。

もちろん、息子は宇宙に興味が無いというのでは無く、仕事一筋、テクノロジーに邁進する、文明の先端にいる父であるからこその分断である。

そんな親子が物語後半に差し掛かると、まるで交差する事のなかった二人の物語がシンクロしてくる。

決してスラスラと読める本ではないが、前編の項を読めば読む程に、後半に来るシーンは感動ものだ。

私は2017年の12月、パプアニューギニアにてこの本を読んだ。2日かけて、じっくりと。

読む環境も森の中とあって、ジョージ・ダイソンがアリューシャンの海流をカヌーで進む下りはなんだか気持ちがドライブしてしまって、パプアの現地人が使う木舟にどうにか帆を張れないかと本気で考えて、いくつか試作をした。

作中、ジョージのカヌーに風が当り、その風を受けた帆が凄まじい力でカヌーを押し進め一瞬でも空を飛んだ、というのだから、古代の人達が持っていた海洋を旅する技術、今の時代において捨てられてしまうローテクノロジーに隠された未知の力は、やはりロマンの塊である。


カウンターカルチャーの傑作

既存の文化に対抗する、反対側の文化を指す言葉にカウンターカルチャーというものがある。戦争に突き進む動きがある一方で反戦の文化が起こり、消費社会のある一方ではエコロジカルな文化ができる。

そうした逆の、一種の回帰文化であるものがカウンターカルチャーである。

ピッピーの文化は、言わば時代を少し戻る様なものであり、過去との繋がりを一度見つめ直すという側面がある。そうしたカルチャーの上によって文化も芸術も、様々な分野に多大な影響を与え、その文化の中に新時代のシンボリック的な人間が生まれたりする。ジョン・レノンやボブ・マーリーなどが代表者である。

この本が持つ一つの側面に、カウンターカルチャーがある。

冒頭の書籍のあらすじでも書いてあるが、技術主義、エコロジカルな生活様式、世代間の断絶など様々なテーマが静かに内包されてて、ある程度攻めの姿勢で読まないとそうした隠れた題材というか、この本に内在している多様なテーマに気が付けない。

アメリカではベストセラーになり、世界各国で翻訳され日本でも出版されているこの本は、これから100年先も読まれる作品だと思う。扱っているテーマが普遍的であるから。そして、私のような冒険的行為に走ってしまう馬鹿者が消えない限り、この本は輝き続け、斎藤さんのようにバイブルとしてこの本を愛でる人も消えないだろう。

今の時代、テクノロジーの進歩が目覚ましい、社会が変化するスピードが凄まじい、そんなシンギュラリティ真っただ中の時代だからこそ、読みたい一冊。




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