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嘘と冒険


去年の暮れ、コロナに始まってコロナで終わった一年の終わりに、ある一冊の本が刊行された。

「デス•ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場」

著者は栗城さん本人ではない。北海道のテレビディレクターが書いている。

今は亡き栗城さんへの、愛と憎しみ、憐れみと悲しみ、自責や執念の類。本書では、多くの関係者が多面的に栗城史多という人物を語り、徐々にその実像を浮かび上がらせる。

休み休み読んで7時間、酷く感傷的で強い倦怠感、凄まじい読後を味わった。

僕の知人の中には、これを取り上げて発信をしている事に嫌悪感を抱く人がいるだろうし、栗城さんの周りにいた人たちが読むのは、とてもじゃないけど、しんどいと思う。

この本は、あまりにも詳しく取材されていて、隠していたかった事も言えなかった事も、そのほとんどを白日の下に晒している。

読んでいて苦しくなるほどに、晒している。

だからこそ、ある人から見れば、この本のやってる事は死体蹴りで、著者に憎しみも恨みも感じるだろう。

しかしながら、この本を構成する言葉は、どこまでも第三者の言葉で、必ずしも栗城さん本人が語った結末ではない、という大前提を置いた状態で読まなくちゃいけない。

栗城さんはもう既に亡くなっていて、彼にはなんの弁明も弁解も、謝意も謝罪もできないのだから。

著者も刊行にあたって葛藤があったと、本書の途中で内心を書き連ねている。

既に亡くなった人の過去を暴く。それも、鮮明に。酷く克明に。

だが、これはただの暴露本ではない。

この本が問いている問題は、暴露本のそれではない。

これは栗城さんも僕も、極に居たから言語化できる問題である。

僕はこの本の傍観者でもあり、当事者だった。



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栗城史多(享年35)、登山家、北海道出身。

2004年のマッキンリー登頂を皮切りに六大陸の最高峰を登り、2018年、エベレスト南西壁から下山中に滑落。帰らぬ人となった。

掲げていたのは、冒険の共有。

登頂の瞬間を生中継するという、今にして思えば、栗城さんは先端にいた人だった。それはyoutuberの先駆け的存在であり、ライバー(ライブ配信者)のようでもある。登山とインターネットをいち早く繋ぎ、新しい世界を創造した。2010年の話である。

そうした発想、着想のトリッキーさは、登山の世界では真新しいものであったが、最後まで山岳界隈の人が栗城さんに対して辛辣な意見を述べていたのは、生死関わる世界で様々な疑念を抱かせたから。

無酸素単独、この二つに関してである。

山や冒険の世界ではそうした言葉を使用する事で、どれだけ危険で、どれだけ無謀かの目安になる。その言葉が付くか付かないかで挑戦の難易度が大きく変わるのだ。

どちらの定義も実のところ曖昧であるが、どちらも栗城さんは甘めに設定していた。だからこそ、それは無酸素ではない、それは単独ではない、という意見が噴出した。

本書では、その無酸素、単独の言葉を覆す秘密を暴いている。どこが嘘だったのかは本書に書いてあるので、割愛させていただく。

それでも、社会は実体を見ずに神輿(みこし)を担ぎ始める。

この本の著者、河野啓氏は北海道放送のテレビディレクターで、彼の活動初期から取材し映像にまとめた、その神輿の担い手である。

河野氏は2008年から2010年までの2年間、栗城さんを追いかけたが、その後仲違いをして交流を断絶している。

それを境に栗城さんは冒険や夢のアイコン的な存在になっていき、一種の栄光を掴んだ。大手スポンサーがつき、活動費何千何億円という世界に入り込む。

しかしながら、ある時期から栗城さんは陥される存在になって、下山家と揶揄される事となる。

皮肉にも僕が初めて講演会に行った2016年は、栗城さんにとって節目に当たる年だったらしい。

その頃は5回目のエベレスト登頂失敗、親指以外の指を失い、ネット上では誹謗中傷。かつての栄光に翳りが見えた。

その裏側ではイモト氏がマナスル登頂をはじめ、テレビで様々な山を制覇していく。

8000m級の山にはビジネスの波が押し寄せ、一般人でもエベレストを登れるようになった。それを知る人も増えた。

社会から少しずつ、エベレスト登頂という言葉の重さが消え、冒険の意味も薄れ、栗城さんの挑戦はネット上で格好の餌食となった。

しかしながら、山に登った事は本当だし、挑戦に挑んだ事も本当。

限界まで行こうとした事も、本当。

ただ、その過程で、いくつかの嘘が織り交ぜられていた。

その嘘に関して、僕は栗城さんに共感してしまう。

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ここから自分の話をする。

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かつて、僕はアマゾン河を自作の筏で二度下った。

他にも筏下りをしている人達はいるが、そのほとんどは複数人だ。

単独と複数では緊張感も絶望感も難易度も違うから、同じ筏下りの話でも温度差が明らかに違かった。

しかしながら、単独でも複数でも、多くの人から見れば同じ筏下りなのだ。

2016年当時、駆け出しYouTuberのジョーブログ(現登録者137万人)と僕は交友があり、「筏の情報を教えて欲しい」と連絡をもらって、夜の心斎橋で自分が知ってるアマゾンの情報を共有した。

彼らはアマゾン河筏下りをエンタメとして視聴者に届けたかったらしく、その工程を企画していた。

自分との温度差のギャップを強く感じ、情報を伝えた事に少しだけの後悔を感じた。

少し経って、ジョーの筏下りが動画になる事、筏下りが一般に知られるようになる事が怖くなった。

何が怖かったと言えば、面白そう自分にもできそう、と見られるのでは…と思ったからだ。こっちは単独、向こうはチーム。でも、同じ筏下りだ。

その翌年、果たしてジョーブログは筏の動画をYouTubeにアップロードし、何十万、何百万回と再生された。

そこには僕のクレジットは無く、自分よりも有名だった秋田の冒険家・阿部雅龍さんの名前が書いてあった。その人に筏の情報を貰った、と。

後にも先にも、こんなに悔しい気持ちになったのこの時だけだった。

情けない話だ。

他人から見ればどうでも良いような言葉のオプション(無酸素、単独)が、実は自分のアイデンティティにも繋がっている。

栗城さんはある時から自身のサインに「無酸素 栗城史多」と書いていた。

そういう事だと思う。

アイデンティティになっていたのだ。

簡単に手放せない。

栗城さんが頑なに、最後まで、無酸素、単独にこだわり、冒険を続けた理由が、僕には少しだけわかる。

間違っているかもしれないが、共感してしまう。

戻る事のないレールを自分で敷いて、背中をいろんな人が押す。

そして、そんな自分が好きだったりする。

他人と違うことをして、自尊心を保って。

そのカルマから抜けれなくなる。

栗城さんは、承認欲求に飲み込まれた悲劇の人か。

僕にはわからない。



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単独での挑戦による副産物の一つに、虚像がある。

人は1の話を10にしてしまう。話を盛るし、脚色する。

山でも冒険でも、何でも、一人だけで行った挑戦には、嘘をつける隙間が沢山ある。

栗城さんも僕も、その隙間を知っている。

その隙間さえ利用すれば、人は簡単に自己ブランディングできてしまう。簡単に「すげぇ」と言わせる事ができる。

それが、虚像だ。

この本は、徹頭徹尾、その虚像と実像の話である。

では、どうして嘘をつくのか。

それは自分自身を大きく見せるだけではない。

そんな単純なものではない。

個人的な挑戦が、みんなの挑戦に変わる。

それは、冒険が仕事になるという事。

相手を喜ばせたい、楽しませたい、期待に報いたいという何とも厄介な気持ちがそこに現れる。

人が見ている、人が待っている、だからこそ、心にざらついた気持ちが寄り添ってくる。

僕も、栗城さんになりえた。

2017年、300部だけ刷った本にこれまでの全てを書いた。たぶん、誰も気が付いていないような話だが、人についた嘘も修正してそこに書いた。

それで虚像とサヨナラをした。

植村直己に憧れたのは、どこまでも等身大の言葉を書き連ねていたから。僕も等身大のまま評価される人間、生き様でありたいと思った。


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2018年、それから僕は等身大の実像を追いかけて、ニューギニアの森に辿り着いた。

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そこは原初の森で、人は自然と共存して生きており、僕にとっては今まで経験した事のない、過酷な環境だった。

余計に生まれた猟犬の子供は村の端に捨てられ、蝿がたかって微かに目玉だけが動いていた。

虫を食べ、猿のような獣の頭をかち割り、しかし野生にはなれない。

夜は残酷なほどに暇だった。

目に見えないものを日本で沢山育んだが、そんなもの、あの森にはどれ一つとして必要なものではなかった。生きる目的とか夢とか。

圧倒的に、全てが違かった。

そこで、冒険をやめた。

もちろん、葛藤はあった。

もう一度、冒険をしていたような熱量で次の人生を送れるだろうか。

同じ輝きを、取り戻せるだろうか。

あの頃のように、本気で生きていけるだろうか。

ニューギニアの冒険から3年。

僕は今でも、冒険の次を見つけられないでいる。

悔しいな。

あんだけ振り絞って、やめたのに。

先日、31歳の誕生日を迎えた。

今の僕は、半年間、実家の農業を手伝って、その半年は自分探しをしている。

自分探しって言葉に、少しの違和感はあるものの、やってる事はそれだと思う。

再熱できるものを、探して、挑戦して、立ち止まって、また走り出して、その繰り返し。

それでも表現する事に、諦めはつけたく無い。

この文章も、自分なりの表現で、もしかしたら、冒険の次なのかもしれない。

わからない。

わからないから、やるしかない。


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2020年は、振り返ってみると何も出来なかった、何もしなかった年だった。

2021年は、語れる年にしたい。

この本を読んで、強く思った。


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最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。

僕は冒険以外で人からお金をもらった事がありません。

だから、今回初めて値段をつけてみることにしました。

新しい挑戦の一歩です。

もし、この記事を読んで、少しでも心に動くものがあれば、ぜひ購入をして頂きたいです。

お金は、冒険の次を見つける行動に使います。

よろしくお願いします。

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