怒りという感情はただの甘え

人間のなかでもっとも必要のない感情は「怒り」ではないだろうか

怒りのメカニズムは防衛本能とOOす「べき」という思い込みからくる

防衛本能は一次感情でなにかを感じる

寂しい、虚しい、納得ができない、悲しいなど

この一次感情の防衛として二次感情の「怒り」が現れる

感情はこの段階を得て変化していくわけだが

防衛本能次の行動は相手への「リクエスト」がくる

これはOOす「べき」でも同じで

俺の時代は電話したら折り返すべきだ

会話中にスマホをいじるべきではない

遅刻するべきではない

など、「べき」は人により様々で人によって違う

これをリクエストしてなんとかやめてくれないか

こうしてくれないかと伝える

伝えること自体は悪いことではない

問題はそこに「怒り」があるかないか

怒りからくるリクエストは誰も聞かない

幼児を叱りつける時でもそうだが

人間というのは攻撃性があるものに対して反発してしまう

本当に相手にリクエストを伝えるのであれば

怒りがあってはいけない

怒りは二次感情であるのでコントロールができる

防衛する時に起きた一次感情と向き合い

自分は悲しいという気持ちを二次感情の怒りに変換しないで

相手に悲しいのでこうしてほしいとリクエストを伝える

そのことにより相手に初めて言葉伝わるよう二なると思う

怒りという感情がなぜいらないかというと

怒りは攻撃性がつよく、他者や自分を傷つけ

連鎖をうむ、弱いものを攻撃しさらに弱い者を攻撃し

怒りの連鎖は止まらない

怒りというのは親しい間柄こそ出てしまう

家族、恋人、夫婦、親しい友人など

つまりは親しいからこその「甘え」だ

思考を放棄して相手の気持ちも考えないで

自分の気持ちや要望だけを押し付ける「甘え」にすぎないのだ

怒りは誰も得をしないし、誰も幸せにならない

怒りを作品にぶつけるなどはいい結果になることもあるが

大抵怒りというものは不必要だと思っている

怒りをコントロールして幸せに生きたいものですね

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