noteという救い




昨日、アーティストの坂口恭平氏のポストをみて、全noteユーザーに届けと思った。

もう書くという行為をはじめるイロハが上のポストに凝縮されている。

もうなんもしたくないとき、趣味がないとき、辛いとき、なんでもとにかくまず書きはじめてみるっていい。

書くは癒しだ。

モヤモヤしたときの最大の敵は見えざる敵なわけで、モヤモヤしたものを今感じているままに文字にすることで、見えざる敵は形になる。

形になれば、大体のことは大したことなくて、ただなんだかわからなくてモヤモヤしてたんだなヘヘヘとなる。

SNSでもnoteでも、誰でも1億人総アーティスト時代で、表現したい人が多すぎて、コンテンツありすぎて、可処分時間が足りなさすぎる。

誰かに読んでもらいたくて書くんじゃなくて、まず自分のために書く。

くだらないことを書く。

まとまっていないことを書く。

みっともないことを書く。

恥ずかしいことを書く。

つまらないことを書く。

そんなことばかり書いていても、だんだん書くことが面白くなるし、好きになるし、習慣になる。

そんな駄文をひとりでも開いてくれた人がいると、嬉しくて飛び跳ねたくなる。

なにより、明日忘れてしまうかもしれない今日思っていたことをアーカイブすることができる。

ネットに飽きてとくにやることなくてなんとなくまたnoteで文を書くことをはじめたけど、これは癒しだ。

今日の癒しとなり、いつかのための記録になる。

それはまず自分のためだし、もしかしたらひょっとして誰かのためにもなるかもしれない。

そういう意味でnoteというプラットフォームは救いの場といえる。
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うちの子ノエルにちゅ〜るをあげます。