あえて生産性を上げない

「生産性を上げよう」

こんな言葉を耳にしたことがある人は多いはず。僕もかつては生産性を上げることに注力した。

生産性は確かに大切だ。僕らはみんな時間に追われているから、生産性を上げることで、時間の自由を作ることができる。うん。間違いない。

仕事は生産性を上げた方が良いのかもしれない。生産性が上がれば上がるほど、仕事の効率はどんどん上がっていくしね。

でも生産性を追い求めるあまりに、僕たちは大事なことを忘れていやしないだろうか?

最近は生産性のためのツールがたくさん生まれ、なにかと効率化するようになってしまっている。

さて、生産性はほんとうに上げなくてはいけないのだろうか?

生産性が上がることで、危惧されるのは創造性の欠如。効率化されたタスクにはただの作業となる。なにも考えなくてもただ作業をするだけで、仕事が完結してしまうともはやそこに創造性のかけらすらない。

創造性の欠如は生産性を上げた結果起こる結末なのかもしれないね。

さらに人のコミュニケーションは生産性をあえて上げなくても良いと思っている。

全てを効率化してしまえば、温度感のないやりとりが生まれていく。

温度感をが失ったやりとりは、ロボットとやりとりをしているようで、何だか寂しいような気がする。

そして、失った温度感を再度上げるのは難しい。実際に会わなくていいかもしれない。でもあえて会って顔を見て話をしてみる。相手の思いや考えを聞いてみる。聞いた上で合意を得て、一緒に進んでいけたらベストだね。

相手の元に足を運び、時間を掛けて相手とコミュニケーションを図る。伝わらないことは何度も伝える。テキストコミュニケーションだけだとないがしろにされた気になってしまうから、大事なことはきちんと自分の声で伝える。

僕は温度感のないやりとりが苦手だ。電話も相手の表情が読めないから苦手だ。だから顔を見てきちんとコミュニケーションを図りたい。

顔を合わせるだけならオンラインでもいいんじゃない?

確かにオフラインで完結しても良いかもしれない。でもオンラインだけでは、その人自身の温度感は伝わってこない。オフラインで実際に顔を会わせて話をすることで、顔の表情や声色、仕草を見ることでその人の温度感がわかるんだよ。

だから僕は人とのコミュニケーションはあえて生産性を上げないようにしている。

生産性を上げることと上げないことをきちんと決めておく。

ときには非生産性的なこともやってみる。いつだって創造性は、非生産性なことから生まれる。

非生産性の中に、創造性が生まれ、時代や価値を作っていく。

生産性を上げるために、あえて無益なことをやってみる。無益なことは生産性なんて求めなくて良い。たとえば居酒屋で友達とただ酒を飲み交わしたりするやつをやれば良い。

散歩をしている時やお風呂に入っている時にアイデアが思い浮かぶのは、きっと余白があるから。

人とコミュニケーションを取っている時に、良いアイデアが思い浮かぶのは、1人ではなく誰かと一緒に考えているから。

創造性を生み出すために、効率化しないことを決めておく。

創造性を生み出すためにあえて無益なことを追求してみる。

あえて生産性を上げないことが、回り回って生産性を何倍も引き上げていく。

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