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共同体と、仕事の意味 <タイ山岳民族ホームステイ体験記③>

前回からの続き。

このホームステイで感じたことは、彼らは「共同体」で生きている。いわゆる村社会というのに近いかもしれないが、3世帯にわたる家族がすぐ近くに暮らし、その集落内で協力しながら生活している。

水道管の工事が必要な時も、農作のために野焼きが必要な時も、村人総出で助け合いながら行う。お米や食べ物が足りなくなったら近くの仲間に分けてもらう。街に出る人はみんなの分の食料や必要なものをまとめて買ってくる。

もちろん、自分が生きていくために働くというのは都市の人間も同じだが、彼らはより共同体、仲間のために必要なことをしている、ということを感じた。目の前の人のために、助ける、喜んでもらう、とてもシンプルだった。

一方で僕らはどうだろうか。目の前の人、自分の共同体を助けるという感覚で仕事をしている感覚は、彼らに比べると薄いように感じる。どこか、誰のために役に立っているかを感じる機会が少ない。

仕事というのは本来、こんな風に「人の役に立つこと」というのが究極にシンプルな原型なのかもしれない。役に立って感謝されるから自分も助けてもらえる、だから生きていける。

自分はどんな共同体で、誰の役にどう立っていきたいのか。都市と山奥では前提も違うので完全に真似はできないけど、一度それくらいフラットに、仕事を定義してみると、見えてくるものがもしかしたらあるかもしれない。

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