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道徳とは、損得勘定を最大まで広げた概念の事である。

僕は、損得勘定という考え方が好きだ。

損得勘定というと、良くないニュアンスで使われる事も多い。

「あの人は、損得勘定ばっかりで物事を考えて……」

そんな風に批判的に見られたりする。

こんな時、大抵の場合は損得勘定の「範囲」が狭すぎる事が多い。

例えば、金銭的な損得勘定でしか物事を考えない人。

金銭的メリットがある事しかやろうとせず、人から嫌われたりする。

この場合、損得勘定の範囲が狭いのである。

人から嫌われるという事は金銭的に言ってもデメリットの方が大きい。

人は嫌いな人から物を買おうとは思わない。

そう、金銭的な損得勘定を大事にすればするほど、局所的な事ばかりを考えていてはダメなのだ。

範囲が狭すぎると、良い結果は出ない。

例えば、自己顕示欲でしか物事を考えない人。

「俺ってすごいでしょ?」という意図を感じさせるような発言ばかりをして、人から嫌われたりする。

これも同じだ。

人から嫌われてしまった結果、「すごい」なんて褒めてくれる人は誰もいない。

そう、悪いのは損得勘定じゃない。

悪いのは、範囲の狭さだ。

それでは、損得勘定の範囲を広げていくとどうなるか。

嘘をつかない。

人に優しくする。

誰かとの約束を守る。

自分勝手な行動をしない。

そう、損得勘定を広げれば広げるほど、行きつく先は道徳である。

日本には、これを簡潔に言い表した言葉がある。

「情けは人の為ならず」だ。

これは、「情けは人の為だけではなく、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、誰にでも親切にせよ」という意味のことわざだ。

そう、これこそがまさに損得勘定なのだ。

道徳というのは善悪の基準になる概念だが、具体性のある概念ではない。

法律とは違い、明確なルールがあるわけでもない。

これを、「道徳とは、損得勘定を最大まで広げた概念」と解釈してみてはどうだろうか。

道徳的な事をするのは、人の為にするのではない。

自分の為にするのだ。

他でもない自分自身から嫌われない為にも、損得勘定をうまく利用したいものだ。

≪今日のまとめ≫

・損得勘定は悪ではない。問題は、損得勘定の範囲の狭さだ。

・損得勘定を最大まで広げると道徳に行きつく。

・自分自身から嫌われない為にも、損得勘定をうまく利用しよう。

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