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イメージの世界は〝自分〟との対話

今、小説を書いています。

僕の中で同じ〝文章を書く〟という行為でも小説というのは少し特別で。
例えば、noteの記事を書くこと、自分のメディア(教養のエチュード)で記事を書くこと、依頼された取材記事について記事を書くこと…日々、色々と文章を書く場面がありますが、僕にとって「小説を書く」というのは全く別の行いなんですね。



僕たちは大きく、現実の世界(オフライン)とネットの世界(オンライン)と想像の世界(イメージ)の三つの世界を住み分けています。
それぞれに性格やアプローチを変えて、〝本人〟として生活を営んでいます。

現実とネットっていうのは基本的に他者との交わりによってコミュニケーションは成立します。
そこが想像世界とは違って、イメージの中では〝自分〟という他者とのコミュニケーションになるんですね。

自分を他者というのは少しおかしな表現かもしれませんが、イメージを掘り下げていくと、自分は〝自分〟という人間のことをあんまり知らないことに気付かされます。


修行ってマインドフルネスだと思うんですね。
例えば、楽器習ったり、書を習ったり、お茶やお花を習ったり、武術でも。
そういう時間は必要だし、肌で感じて上達していくもの、練習の蓄積で目に見えて上達していくものはやはり尊いな、と。
それって、ただ楽器がうまくなったり、字がうまくなったりするだけじゃなく、生活の細部、思考の細部に大きく影響して。
生き方が洗練されていく、つまり哲学として機能し始めるんですね。

修行というのはどこかのラインで〝自分〟という他者との対話に変化していきます。
「自分が納得できたか」という───内省ですよね。

つまり、修行を通して〝自分〟のことを深く知り始めます。
それはイメージによってより強く、より深く、自分の内側に潜り込んでいくことができるのです。


僕にとって小説はまさにそれなんですね。
深く深く内側へと潜り込んでいく作業。
自分の知らない〝自分〟に会いに行くみたいな感じです。


ただ、想像の世界(僕にとっての小説)に浸ることはあらゆる犠牲を伴います。
これは僕だけかもしれませんが、思考と精神がほぼ全てそちらの世界に持っていかれるんです。
つまり、現実やネットの世界が薄まってしまうということです。

カッコイイ言い方をしていますが、要は「他のことが手につかない」ということです。


で、この二ヵ月noteの更新もままならない状態でした。
でもね、「これはいけない」って気付かされたんですね。

先日、れもんらいふが主催する『れもんらいふデザイン塾』の取材に行きました。
講師はそうそうたる顔ぶれで、ヒロ杉山さん、谷川じゅんじさん、伊藤弘さん、そして塾長の千原徹也さん。
業界を第一線で活躍するイラストレーター、デザイナー、スペースコンポーザー、アートディレクターたち。

その場で紡がれる言葉は、濃厚で、芳醇で、栄養価が高い。
取り溢さないように静かに耳をそばだて、ノートにペンを走らせました。

その中でイラストレーターのヒロ杉山さんの言葉を少し紹介します。

ヒロ杉山
『イラストレーターって一つのスタイルを作らなきゃないけないんですよ。
それが認知されて初めて仕事がくるんですけど。
みんな焦って、インスタントなスタイルを作りがちで。
僕もそうだったんですけど、20代の頃ってとにかくはやく自分のスタイルが欲しい。
自分のタッチを開発してそれを世の中にデビューさせたいという願望がありますよね。
でも、インスタントでできたスタイルというものは脆いんですね。
家と一緒で、土台がしっかりとあって、その上に構築したスタイルっていうのは10年20年もつくらい丈夫なんです。
土台がフラフラしている上に、一年くらいでポンと建てた家(スタイル)というのはやぱり長くは続かない。


で、その土台って何かというと、やっぱり枚数をたくさん描いていくこと。
死ぬほど描くんですよ。
300枚、400枚描いたところではじめて悩むんです。
で、また悩んで修正して、また300枚400枚描いて……
でね、描いている時はね、悩まないんです。
自分が描きたいものをひたすらに描いていく。


その描いている状態っていうのは、自分の中の毒素を出すような感じなんですよ。
最初の頃って「あれもしたい、これもしたい」というような色んな想いが入っていて、余計なことをやりがちなんですね。
それが描けば描くだけどんどん浄化されていって、クリアになっていく。
そうすると次第に自分の中にある芯みたいなものが出てくるんですよ。
この芯が自分のスタイルだと思えばいい。


その芯を取り出すには枚数を書くしかない』

《読む「れもんらいふデザイン塾」第4期vol.1(教養のエチュードより)》


量をこなせ。

そんな言葉はこれまで何度も聴いてきました。
だけど、密度の高い空気の中で放たれた言葉は驚異的なまでに響きます。
こういう勉強会はテキストを読むだけでなく、動画を観るだけでなく、足を運ばなければいけませんね。


もうね、この言葉にやられて、「なんと自分が甘ちゃんだったか」と。
小説を書いていると他のことが手につかない、なんてもう、本当に、もう、恥ずかしい。

僕は決意しました。
「毎日文章を書く」と。
小説も書くし、noteも更新する。
もうこれは毎日。


昨日のnoteの記事の本意はこれだったのです。
書いて、書いて、書いて、毒を浄化します。


最後に…

また明日*


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嶋津 亮太

書くこと、飲み物をつくることを仕事にしています。お仕事やご相談はお気軽に*

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日々の気付きを書きます。 Art de Vivre. 生き方に芸術を。
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