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「語る」より「語られる」生き方。

「住んでいるところを〝地球〟に変えたんです」

僕がメインパーソナリティをしているラジオ番組にホームレス小谷さんがゲストとして出演してくれた。彼は名前の通り「ホームレス」だ。家がない。でも結婚もしているし、日々充実した生活を送っている。なぜそんなことが可能なのか?

彼は、自分を一日50円で販売して生活している(50円支払えば依頼人の頼み事を何でもやってくれる)。もちろん、購買者から支払われる50円だけで暮らしていけるわけはない。ここにはカラクリがあって(カラクリというより、それこそ〝人〟の素敵なところなのだが)人の心にある本質的な要素に働きかけることで、結果的に50円以上の対価を受け取ることになる。

小谷さんを50円で買った人が食事や寝床を用意したり、差し入れを贈ったり、お土産を渡したり。時には周囲の人からお供え物(もはや神格化している)が小谷さんの前へ置かれたり。

「50円の仕事内容」というのはそこまで重要ではなく、「破格の値段で働いてくれた」という事実が小谷さんへの感謝へ変わる。つまり、50円で自分を売ることで小谷さんは相手に〝恩〟を贈っているのだ。購買者はその恩返しとして、現金ではない〝何か〟を小谷さんへお返しすることになる(完全なる善意として)。小谷さんも購買者もみんなハッピーというわけだ。

さらに彼は、その生き方をエンターテイメント化した。彼のライフスタイルは、時に購買者へ喜びを与え、時に彼らの物語の一部となり、時にアート的な感動をもたらすことさえある。小谷さんの生き方に触れることでお金を超えた大きな〝何か〟が常に動いている。

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「生き方」としての魅力

その見た目も芸術家のようで、巻き髭に〝全身真っ赤〟というセンセーショナルな風貌。どこにいようと「ただ者ではない」という存在感を放っている。それはただ単にこけおどしによる粉飾パフォーマンスではない。小谷さんの求心力の秘密。それは「生き方」「ハッキング」にある。

僕は、小谷さんを実際に〝生〟で小谷さんを見るのは三度目だった。一度目は本屋さんのイベント。二度目はタイ。そして三度目が、今。その旨を伝えると「あー、そういや去年タイに行きましたねー。タイの国営放送に密着取材受けていました」と答えた。思わず声を出して笑った。



ホームレス小谷に学ぶ話術

要は「何ですか、それ?」と言わせることができれば〝勝負アリ〟。これはどの世界も同じで。先ほどの例でいうと「タイの国営放送からの密着取材って何だよ!」と思わせた瞬間、話は小谷さんベースで展開していく。

「何でそんなことをしているのですか?」
「どういう意味ですか?」
「そうなってしまった理由は?」

質問中はずっと回答者のための時間が流れる。その間はずっと話題の中心に居座ることができるということ。質問を受けるためには、相手の脳内をハッキングしてバグを起こさせる必要がある。〝思いもよらない答え〟が質問を呼ぶのだ。



七並べの〝六〟をいつ出すか。

一問一答が成立するような人物になってはいけない。質問の答えが、さらなる質問を起こさせる必要がある。一見〝脈絡のない答え〟が、次の質問を生み出す。

例えば、ラジオ中に小谷さんはこんなことを話した。

・ホームレスになってからの方が太った
・関西弁は世界共通です
・スリランカでぼったくり犯から髭剃りをプレゼントされた

どのエピソードもタイトルを聞いただけでは納得できない。つまりは、聴き手の頭にバグを起こさせる構図になっている。聴き手はそのバグを急速に修理したいので、矢継ぎ早に質問を投げかける。

ここに小谷さんのテクニカルな部分だ。彼の話はタイトルこそ論理破綻を起こしているが、実際に話を聴いてみると納得がいくものばかりだ。つまり、〝はじまり〟と〝終わり〟、〝入口〟と〝出口〟だけ喋ってしまって、中間をごっそり省略している。

「七並べの手札をいつ切り出すか」という手法に近い。全て繋がった論理構造を持つ一つのエピソードでも、隣り合ったカードをあえて見せないことで相手をハッキングし、意図的にバグを呼び起こす。それは演出かもしれないし、感覚的なものかもしれないし、単純に話すのが下手だからなのかもしれない。

そこから学べることは確かにある。だけど、重要なことは技術どうこうというみみっちい問題ではなく、人間のスケールを大きくするのは生き方だ。

ここで、本記事の題名に戻る。



「語る」より「語られる」生き方。

五年前、キングコングの西野さんの助言があり、彼はホームレスになった。彼のようになりたい人もいるだろう。お金ではなく〝恩〟や〝信用〟が循環する構図を頭で理解することは簡単だ。

だけど、彼のようになれる人はほとんどいない。

頭では理解できる。だけど、実際に「ホームレスになる」ということを愚直に行動できる人間はほぼいない。踏み込む勇気。大きなリスクを伴った生き方。そう、極端でなければ成立しない生き方だ。

SNSの登場により誰もが「語ること」のできる時代。褒め称えたり、こき下ろしたり、狂喜乱舞、血眼になって題材探しをする人々。しかし、自分が〝題材〟になろうとする者は少ない。

「語られる生き方」はブルーオーシャン

ブルーオーシャンでは、質問されるために必要な〝思いもよらない出来事〟が溢れ返っている。ハッキングが機能する。自分が語ったり、分析したり、記録したり、考えたりすることが苦手なら、別の人にやってもらえばいい。

語る側でなく、語られる側へ
観客席ではなく、舞台の上へ

生き方をエンターテイメントに。今よりももう少し人類を信じて、今よりも少しだけ勇気を出せばいい。「語る」より「語られる」側に。

ホームレス小谷の生き方が多くの人の背中を押すことに繋がっている。彼の人生が、多くの人に勇気を与えている。

真っ赤な服を身にまとい、次々とカメラのレンズを向けられる満ち満ちた笑顔の彼は、ミッキーマウスのようで眩しかった。


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