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神様、才能をください

「神様、才能をください」

才能さえあれば何だってやります。才能さえ与えてくれるならば何を犠牲にしても構いません。神様、お願いです。才能をください。

真夏の蝉の大合唱のように、クリエイターの心の叫びはそこかしこから沸き起こり、サラウンド効果で一つの大きな声として聴こえてきます。努力とて圧倒的な才能の前には敵わないことを私たちは見て見ぬふりをしながらも気付いています。

私たちは才能に嫉妬します。自分よりも優れた能力を妬みます。神様からのギフトを受けるために日々、祈り、努力し、前向きに生きようと努めます。
そして、神様から選ばれなかったことを知った時、自分の能力を恨むと同時に神への復習を誓うのです。

奈落の底に落ちるような話ですが、私はここに人間の本質が隠されていると思っています。そして、文学は常に抱えきれない自己矛盾によって成立しているのです。それを〝弱さ〟と呼ぶならば、人間の弱さほど愛おしいものはありません。
その〝弱さ〟に寄り添い、さらには慈しみをもって私は文章を綴りたいと思います。


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敬愛なる神様へ

『アマデウス』という戯曲があります。
モーツァルトとサリエリという二人の天才音楽家の出会いから死までを描いた物語で、映画化もされています。私の大好きな作品の一つです。
題名はモーツァルトのミドルネーム「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト」に由来します。そしてはたと気付くのですが、因果を象徴するかのように〝アマデウス〟には「神に愛される」という意味が込められています。


内容をざっくりと説明すると、宮廷音楽家として地位も名誉もあったサリエリが、彗星の如く現れたモーツァルトという一人の天才音楽家の登場によって破滅していくという物語です。
旧世代の天才が新世代の天才によって崩れていく。
一言でいえばこうなりますが、そんな単純な話ではありません。

興味深いのは『アマデウス』という題名であるにも関わらず、物語はサリエリの視点で綴られていくということです。サリエリの繊細な感情の起伏に私たちは親密に寄り添うことになります。作品の中に自分しか知らない〝自分〟を密やかに気付かせる。文学性の高い作品は往々にしてそのような構造で組み立てられています。心の闇にロウソクの火を灯すように、私たちの心にもサリエリが住んでいるということを内側からそっと気付かされるのです。

サリエリはオーストリア皇帝に仕えるカペルマイスター(宮廷楽長)、つまりヨーロッパ楽壇の頂点に立つ人物でした。さらにはベートーヴェン、シューベルト、リストらを育てた名教育家でもありました。宮廷において彼は何不自由なく(むしろ優雅に)日々を営んでいました。

そんな中、サリエリの前に突如としてモーツァルトは姿を現します。この生命力と才能にあふれた若き音楽家は、ルーキーとして世間で評判になり、宮廷へ招かれるまでに至りました。
宮廷で演奏を聴いたサリエリは誰よりも早くモーツァルトの本質的な才能を見抜きます。彼もまた天才的な才能の持ち主であったためにモーツァルトの比類ない才能に気付くことができたのです。まだ十分に花は開いていませんが、その潜在的な才能はサリエリにとって脅威でした。

「まだ、誰もモーツァルトの才能に気付かないうちに」

サリエリは若き天才の芽を摘むべく、あらゆる手段でモーツァルトを追放しようと試みます。しかし、その計画はことごとく失敗します。



神への復習

「私に音楽の才能を与えてください」

敬虔なキリスト教徒であったサリエリは幼い頃から教会で祈る習慣がありました。音楽の才能を授かるために日々、彼は神に祈りを捧げていました。
酒も飲まなければ、ギャンブルもしない、女性との関りも持たない。
音楽のためならば禁欲生活も厭いませんでした。ただ誠実に───音楽に対して一途に向き合ってきたのでした。

サリエリとは対照的に教養もなく、下品で子どもっぽいモーツァルト。しかし、神に従順なサリエリよりもずっとモーツァルトの方が豊かな才能を持っていました。
これほど尽くしてきたのに、神様が微笑んだのはモーツァルトだったのです。

神はモーツァルトに音楽を〝奏でる〟才能を与えた。
しかし、自分には音楽を〝聴きわける〟才能しか与えなかった。


サリエリの最大の怒りはここにあります。
神が音楽の才能を与えたのは真摯に音楽に向き合ってきたサリエリではなく、下品で淫らな生活を送るモーツァルトの方でした。皮肉にも、神はサリエリにそれを聴き分ける「耳」しか与えなかったのです。


サリエリは神を恨み、復讐することを決意します。
あらゆる手段を行使し、モーツァルトを追い詰めて殺してしまいます(正確には病死ですが)。
神への激しい復讐劇を成功させたサリエリ。しかし、モーツァルトの死後、彼の人生が華やぐことはありませんでした。

彼にはもう凡庸な曲しか作ることができませんでした。何を作っても、何を弾いても、色褪せて聴こえる───それは、モーツァルトの奏でる音楽のすばらしさを誰よりも知っていたからです。色鮮やかで、躍動感があり、抒情的で、繊細なモーツァルトの奏でる音楽。それ以上の曲を自分には作ることができないということを誰よりも知っていたのです。

「神への報復による罰はこれだったのか」

そこでサリエリは気付きました。
自分は神を打ち負かしたのではない。神に背いたことにより、生きながら地獄を味わうという罰を与えられたということを。
対照的にモーツァルトの作品は、彼の死後、数多くの劇場で演奏されました。サリエリはモーツァルトの残像によって、自分の才能の至らなさを日々思い知らされることとなったのです。

犯した罪には必ず罰が伴う。

晩年サリエリは密やかに、孤独の中で過ごしました。


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アマデウスの文学性

サリエリはモーツァルトの才能を絶やしたいと思う反面、その圧倒的才能を適正に評価できない(感受性のない)世間に対して苛立っていました。

モーツァルトの作品の美しさやそこに秘めた可能性に感動しながらも、欠伸をして退屈そうに演奏を眺める皇帝に憤りを感じていました。

才能を感知するためには、それ相応の才能が必要になる。

サリエリはモーツァルトを憎しみながらも、その裏側で彼の作品を溺愛していたのです。モーツァルトの作品に適正な評価を与えることができない世間にうんざりしていたのです。
この自己矛盾を孕んだ感情が何よりサリエリの心を傷つけました。彼は音楽を誰よりも愛し、神を誰よりも愛し、モーツァルトの音楽を誰よりも愛していたのです。



嫉妬と妬みの違い

サリエリが抱えたのは嫉妬や妬みという負の感情です。
とある脳科学の専門家曰く、心理学的に嫉妬と妬みは言葉の定義が違うようです。

嫉妬は「自分が所有する何かを奪われる危機感や恐れ」に対する言葉。
例えば、好きな人が別の誰か(自分でない)を好きになるんじゃないかという不安から生まれる。

妬みは「羨ましさから相手を引きずりおろしたい」という感情に対する言葉。
例えば、自分より後から入って来たにも関わらず、自分よりも重要なポジションを与えられた人に対して、いじわるをしたり相手の不幸を祈ったりする負の感情。

サリエリがモーツァルトに抱いた感情は紛れもなく〝妬み〟でした。


さらに妬みには良性と悪性の二種類があります。
人を傷つけたり、引きずりおろしたりするのは悪性の妬み。
相手の実力を客観視して「自分も頑張ろう」と心がプラスに働くことが良性の妬み。
例えば、ライバルの悪口を言って評判を落とそうと考えるのが悪性の妬みで、ライバルの能力を認め「あの人にもできたのなら自分にもできるはずだ」「自分も相手に見合うように頑張ろう」とマインドを切り替えるのが良性の妬みです。


妬みのエネルギー転化

そこでタイガーウッズの有名なエピソードを思い出します。
2005年に行われたトーナメントの決勝でライバルと接戦になりました。相手がパットを外せばウッズの優勝が決まるという場面。
後のインタビューでウッズは、相手の打ったパットに対して「入れ!」と願ったといいます。

「ここで外すような相手は自分のレベルに合わない」

自分と接戦する相手なのだから精神的にも肉体的にも一流であってほしい。まさに良性の妬みをエネルギーに転化させたメンタルです。

結果は、ライバルがパットを外し、ウッズの優勝が決まりました。


鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの墓碑にはこのような言葉が刻まれています。

「自分より賢き者を近づける術知りたる者、ここに眠る。」

Here lies one who knew how to get around him men who were cleverer than himself.


自分よりも能力の高いものを退け、敵対視するか。それとも相手の能力を求め、仲間として迎え入れるのか。大きな事業を成し遂げるために、相手の能力を自分の力に変えればいいということを僕たちはここから学ぶことができます。
一時的な感情ではなく、長期的な視点で考えた場合、私たちの判断と行動を変えることができます。


ただ、サリエリが抱いた妬みをプラスのエネルギーに転化できていたとしたら、サリエリは救われたのかもしれません。しかし、この文学的芸術は生まれることはありませんでした。サリエリの矛盾を孕んだ葛藤が、時代を超えて人の心を惹きつけるのです。
文学にはそのような力があります。


「神様、才能をください」

そう思った時に「自分は今、誰かに妬んでいるのかもしれない」ということを見直してみる。そして、意識の片隅に「〝妬み〟を良性に転化させる」ということを文鎮のように置いておくことで壁を乗り越えることができるかもしれません。

自分の心とどのようにして折り合いをつけるか。
私たちは『アマデウス』から多くのことを読み取ることができます。


「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。