国語ぎらい

昨日、髪を揃えてもらいに美容室へ行きました。
そこでの美容師さんとのやりとりの中でのこと。

美容師さんには小学六年生になる娘さんがいらっしゃいます。
そんな愛娘について気がかりになることが…とポロッとこぼれました。
健やかではあるのですが、学力に問題があるらしく。
話を聞くと、どうやら〝国語〟が苦手なようです。
記述問題はある程度書けているのですが、選択問題がからっきし。

「あの子、読書は好きなのにテストの点数が悪いの。何故かしら?」

娘の成長を心配する彼女に僕は言いました。

「それ、当たり前ですよ」



実は僕も学生時代は現代文が死ぬほど苦手でした。
大学受験の際もキーになる科目で、「古典で稼いでカバーする」みたいな感じでなんとかやりくりしていました。
わりかし、小さい頃から作文は得意だったのですが、何故かペーパー試験では点数が取れない。
(もう少し僕の頭が良ければ、つまずくことなくクリアできていたのだと思います)
〝自分は国語が苦手なんだ〟と思っていました。



でも、そんなことはないんです。
〝苦手〟なのではなく、問題と向き合えていないだけのことなのです。
今ならその理由がはっきりと分かります。

そもそも〝現代文(現国)〟は国語力を計ることが目的の試験ではありません。
この点で問題用紙と向き合っている多くの者は認識のズレを起こしています。
国語力は関係なく、あれは〝出題者の意図が読めるか〟というパズルなのです。

つまり本文に本質はなく、目に見えない出題者の視点にこそスコアを上げる本質はあります。
これは子どもにとっては非常に分かりにくい、ねじれ構造の変テコなパズルなんです。

それに気付くことができれば、現代文は驚くほど簡単に解けます。



その小6の女の子や僕を含めた〝現代文が苦手な人〟はそのことが分かっていません。
しかも、なぜだか分かりませんが先生もその構造について教えてくれません。
〝現代文が苦手な〟僕たちは、提示された問題を本文を書いた〝著者〟とそれを読んでいる〝私〟との対話から導き出すべきであると思っています(それは読書のありのままの姿です)。
つまり出題者の意図がすっかり抜け落ちているのです。


文章が好きな人間であればあるほど、答えは自由で多様なものになります。
そもそも〝読書〟という行為はそこに本質があります。
書かれた内容が全てではなく、本と読者の対話の中で多様な解釈が生まれ、新たな発想や感情が引き起こされていきます。
受け取り方が豊かである方が良書(本としては質が高い)と僕は思っています。

それを〝答えは一つ〟とする方がおかしな話で。

第一、「同じ文章を読み、その試験を受けた全員が同じ答えになる」という社会を狂気の沙汰だと思いませんか?
受け取り方は多様であって然るべきなんです。
文章が好きな人ほど、この問題に悩まされます。
「なぜ、これ(自分の回答)が間違っているのか分からない」と。


これは、正解が一つである方が評価を下す側にとって都合が良いだけの理由なんですね。
それはコスト面や生徒に一つの思考(視点)を植え付けた方が便利だったり。
『ごんぎつね』に一つの正しい答えなんてあるわけないじゃないですか。
答えは読者1人1人の心の中にしかないんです。


〝現代文が苦手な人〟は本文との対話にエネルギーを注いでしまい(読書としては至極当然のことですが)、出題者の意図を見落としてしまっています。
このねじれ構造に気付かずに進めると試験は全滅。
そして解答を見ても納得いかなくて国語が嫌いになる。


悪循環。
ただ、この仕組みさえ分かれば現代文はイージーなんです(なぜこの構造を先生は教えてくれないのか!)。
そうなると、「現代文という科目は必要なのか?」という考えに展開していきます。
僕個人としては現代文(現国)の試験は、子どもの想像力や感受性を奪い、国語嫌いにさせる非常に悪質なものだと思っています。
(基本的な文法さえ学べば、そもそも国語に正しい答えなんていらないのだから!)



そんなこと言ったって仕方ないので僕は美容師さんにこうアドバイスをしました。
問題はシステムではなく、〝点数が取れない〟というところにあるということを見失ってはいけません。

*まず、出題者の意図を汲むこと。
本文はその材料に過ぎないということを割り切って考えてください。

*試験以外の時は今まで通り、娘さんの自由に読書をしてください。
色々な感想(時としてぶっ飛んだものでも)を抱き、さらにそこから飛躍してモノゴトを考えてください。
読書は本と読者の対話ですから、本の中に答えを探すだけでなく、自分の心や頭に深く入り込んで、浮かぶものを大切にしてください。
社会に出た時、様々な場面で娘さんの思考や感受性が役立つようになります。
つまり〝私だけの解答〟を出せるようになります。


僕は本当にそう思います。
「現代文には害しかない」とまではSNSではさすがに言えませんが、もっと良い方法をアップデートする必要はあるんじゃないかなと思っています。


〝国語ぎらい〟ではなく〝現代文の試験ぎらい〟であるということを知らずに活字から離れていく子どもがいるということはこの国にとって大変な損害であると思います。

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嶋津 亮太

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