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僕たちの東京

今日、とある出版社の編集部の方とお話をした。

この半年、月に数回、僕と妻は東京に行くようになった。その方は、僕たちが東京で仕事ができるように背中を押してくださる幾人かの中の一人だ。いろいろと相談に乗ってくださり、さらにはいくつかの的確な助言をいただいた。
大阪で活動をした10年間。いろいろなことをチャレンジしてきたけれど、今考えてみると、もっとやり方はあったような気がする。


その方は、いつも僕のことを人に紹介する時に、

「嶋津さんはとてもいい文章をお書きになる方です。そして、とても感じの良い方です」

と、言ってくれる。

───「感じの良い人」
もちろん自分ではよく分からないところではある。ただ、ふと思う。
もしかしたら10年間、僕はその〝感じの良さ〟を鍛えていたのかもしれない。
僕より頭の良い人や、文章がうまい人なんて山ほどいる。とにかく人付き合いが苦手で、不器用な性格のこの僕が、〝感じの良さ〟という実に曖昧なものでなんとか世の中と繋がっていることができているのかもしれない。


この10年、「文章の腕を磨いた」というより「感じの良さを磨いた」という方が本質として的を得た表現のような気がする。
東京には天才がごろごろいる。よほどの才能がない限り、専門的な技術だけでは食べていけない。そのことを思い知った時、何の役にも立たなそうな〝感じの良さ〟みたいな曖昧なものが、立派な資産であることに気付いた。


それもこれも、妻のおかげ。
彼女の心の清らかさや真っ直ぐさや、想いの強さに大きな影響を受けてきた。「こうなりたい」とも思ったし、「こうありたい」とも思った。彼女がいなかったら、僕は「感じが良い人」とさえ評価を受けていなかったと思う。
身近に尊敬する人を持てたことが何よりの幸運だったように思う。

それぞれの今日を生きている
それぞれの東京を生きている


僕が作家をさせてもらったラジオ番組で、コピーライターの小藥元さんがつくったキストーキョーというプロジェクトのコピーだ。彼はアートディレクターの千原徹也さんとの会話の中でこう言った。

「〝TOKYO(東京)〟っていう言葉の中には〝KYO(今日)〟という言葉が入っているじゃないですか───〝今〟という」

そのようにして、ほんの数分でコピーを作成した。
「ここにも天才がいる」と思った。こんな素敵な言葉を瞬時に思いつく人が東京には当たり前のようにいるんだ。
そして、その言葉がずっと頭の片隅に残っていて、時々ふと思い出す。


僕たちの東京───それは僕と妻の東京。
月に数回、訪れるようになって、〝僕たちの〟東京が生まれはじめた。
明日も別の天才と会うし、明後日もこれまた別の天才と会わせていただく。思いもよらないドラマティックな体験をする一方で、信じられないほど窮屈なホテルに泊まったり。いろいろなスペシャルが詰まった東京。


嬉しいことがあると、ささやかな祝福として妻と「おいしいものを食べる」東京。彼女は中華と韓国料理が好きなので、僕は評判の店を探す。

「中華を食べようか?」と尋ねると、彼女は「要らない」と答える。
「どうして?」と聞くと、「別に食べるものは何でもいいから」と言う。
いろいろ問うていくと「今は無駄遣いしちゃいけない」というのが本音。大好きな服も買うのを控えている。今日もファッションプレスでスケルトンのコンバースをただただ見ていただけ。ため息もしない、ただ静かに眺めている。
そんな彼女を無理矢理、中華料理屋に連れ出す。最初は「要らない」と言いながらも、食べているうちに笑顔になっていく。
言葉にしなくても、気を遣わせていることが、痛いほど分かる。12年もずっと一緒に生活しているんだ。
決して高級でなくてもいい。嬉しいことがあった時には、気を遣わずに中華を食べれるようにしなくちゃいけない東京。


僕も無駄遣いをしない。
この半年、大好きな本を買うのを我慢している。ただ、アンディ・ウォーホールの『ぼくの哲学』がどうしても読みたくなった。Amazonで調べると新品なら2500円。中古ならば送料込みで1500円。評価は「良い」だし、1000円のディスカウントならば買っても良いだろうと妻に内緒でカートに入れて注文した。数日後、日焼けとシミだらけのボロボロの本が届いた。すぐに出店者に連絡したら、アマゾンの規約では「ページの半分以上に書き込みがなかれば〝良い〟の評価を与えることができる」という旨のメールが業務連絡のように届いた。そんなの全然「良い」じゃない。ふざけるんじゃない。
ただ返品となると、最初にかかった送料と送り返す料金が自己負担になるという。それだけで1000円弱はかかってしまう。
泣き寝入りをした。この憤りを一番近くにいる妻にすぐにでも伝えたかったが、悲しいことに彼女に本を注文したことは言っていない。ボロボロの『ぼくの哲学』を見ると怒り狂うだろう。詐欺まがいの行為に対して以上に、僕自身がお叱りを受けてしまう。
そのもどかしさと、やるせなさを胸いっぱいに詰めてパンパンのスーツケースを転がす東京。


幸せも、しわ寄せも、目一杯の僕たちの東京。
喜びも悔しさも、感動も焦りも、全てが愛おしい東京。

どう展開していくのかは分からないけれど、希望の詰まった想いで駆け巡る、この街が好きだ。


今、彼女は隣で静かな寝息を立てている。
眠ってる横顔も美しい。

彼女が目を覚まして、この文章を読んだらきっと怒るに違いない。
でも、それも素敵な思い出の一つになると思う。
彼女には本当に感謝している。



「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。