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「仲間になる」ということ

「崇めることも、崇められることも好きじゃない」

これは僕が尊敬する人の言葉。
過剰に崇めても、過剰にへりくだってもいけない。
僕たちは〝仲間〟だと思われなくちゃいけない。ファンだと思われてしまえば、そこで線が引かれる。とはいえ、リスペクトは必要だ。
僕たちは「仲間になる」ということをもっとよく考える必要がある。


仲間とは何だろう?
プロジェクトを実現するためのメンバー。それは目の前の仕事を成立させることから、はるか壮大な夢まで。あまねくプロジェクトに必要になるのは友達ではない。仲間だ。
仲間として受け入れられるために必要なこと。それは信頼だ。

「この人は約束を守る」

最も大切な部分はここにある。基礎となる土台は、スキル、専門的な知識、人脈よりも何より「相手のことを信じることができる」ということ。
だからむやみやたらに約束を破ってはいけない。一度として裏切ってはいけない。意見が食い違う時は、その旨をしっかりと伝えなければいけない。
信用を失くせば、魅力的な仲間はその場を去っていく。


自分ができること。
「信用」という基礎ができれば、そこからは自分の武器を磨く必要がある。
自分は何をしてプロジェクトを実現することに貢献できるか。自分の資源はなんだろう?
肉体を使った労働力かもしれない。専門的な知識や技術かもしれない。円滑に人間関係を築くためのコミュニケ―ン力かもしれない。圧倒的な美意識かもしれない。人脈や経済力かもしれない。

自分は何ができるのか?

そのことについて、より真摯に考える必要がある。
仲間にとって〝かけがえのない存在〟になるための努力。


相手をリスペクトする。
「リスペクトは愛だ」と、世界的に有名なフォトグラファーは言った。
信頼関係はそこから生まれる。お互いをリスペクトできれば、そのチームは強い。彼らはそれぞれの役割を果たすことだけに集中できる。
リスペクトの第一歩は「相手を知ろうとすること」。相手がどういう人なのか───興味を持って接する。「あなたのことを知っている」ということは、それだけでリスペクトになる。知っている度合いが深ければ深いほど、リスペクトは大きくなる。

ただ、ここで注意しなければいけない。
僕たちは、過剰に崇めてはいけないし、過剰にへりくだってもいけない。それをした瞬間、相手は僕たちのことを「仲間」として見てくれなくなる。あくまでも同じ土俵の上に立ちながら、リスペクトを送る。


「人」として見ることができるか。
年齢も、性別も、国籍も、過去も、他者からの評価も、全て0にしてフラットに「ひとりの人間」として見ることができるか。
自分が「すばらしい」と思えるか、あるいは「ダメだ」と思えばそれを相手に忌憚なく伝えることができるか。
有名になればなるほど、権力を持てば持つほど、周囲にはイエスマンしかいなくなる。その中で「人」としてフラットにコミュニケーションができるか。それが最もシンプルで、なお且つ最も難しいことかもしれない。

そのためには相手に対して全くの無知であるか、自分に圧倒的な自信がなければ成立しない。

「仲間になる」ということは思っている以上に簡単ではない。ただ、できないことはない。そのために「仲間になる」ということを、僕たちはもっと考える必要がある。


「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。