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コロナで得られたもの

 段々と葉っぱの色が鮮やかになってきました。もう秋です。非常事態宣言が出て、生活様式が変わった4月から半年が過ぎ去りました。何もかもに「異例の」という言葉が付き、ほとんどの方が我慢を強いられた1年だったと思います。

 私にとって2020年は新社会人として歩むはずの年でした。しかし、入社は延期…。1年をフリーターとして過ごすことになりました。何を考えて過ごしてきたのかを書いていこうと思います。

期待と希望からの絶望と焦り

 コロナが流行する前、私は就活で見事に第一志望の会社に内定を貰いました。卒業論文、卒業旅行も順調に進み、翌年からの社会人生活に胸を膨らませていました。しかし、会社から突然「入社が延期となりました」の通知が来ました。「なんでだよ」とひどくショックを受けたのを覚えています。

 私が思い描いていた未来予想図がいきなり崩れました。私は周りの友人が新たな世界に向かっていくのを何もせずに、ただ見ているような。だからか、非常事態宣言の時、オンライン飲み会で友達の仕事話をただ羨んでいました。

傷ついた「無職」の肩書き

 色んな書類で肩書きを書く欄があるのですが、私の場合はあれをフリーター、あるいは無職と書かされます。いや、それ以外ないんですが…。この欄を見るたびに何度も「いや本当は今すぐ働きたいんだけど…」「本当だったら働いている予定だったんだけど…」と心の中で呟いていました。

 何かをしようにも「コロナ」の影響は強く、新しいアルバイトも派遣も全く受かりませんでした。旅行で行きたかったところ、始めてみたかったこと全てできず、無職の私は何をしたらいいのかわからない毎日を送っていました。

トラブルは素晴らしいチャンス

 そんな中でも始められることもたくさんありました。たくさん時間があるので沢山本を読み、様々な勉強をすることができました。プログラミング、投資信託や株などの金融知識、クレジットカード、英会話等。続かなかったものもありますが、そのこと自体がどんなものか知れたいい機会でした。

 特に金融知識と英語に関しては、かなり深められたと思っています。社会人になるとこういった勉強をする機会が減るので、基礎知識をいれるのに絶好のタイミングでした。思ったほど悪くはないのかもしれない「無職の時間」も。


 「人生 楽ありゃ苦もあるさ」と水戸黄門で歌っていますが、苦にいるときにこそ自分を成長させる何かがあるのかもしれません。苦しみや悔しさ、寂しさといった感情で見つけにくいですが、一生懸命探していると現れると思います。たった20と数年しか生きてないので説得力ありませんが、今回のコロナ騒動で強く感じました。

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