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草むしり

うちの庭は無駄に広い。

お陰で、梅雨の合間はよく草むしりに駆り出される。

ここ1週間ぐらいは、長袖長ズボンに手袋をはめた完全防備もどきの格好で、膝が濡れないように新聞紙を下に敷いて草むしりをするのが恒例となっている。(”もどき”としたのは多少は蚊に刺されるから)


雨の水分によって成長エネルギーを与えられた雑草たちは、あっという間にに庭の白砂を押しのけて、上に横にとグングンと伸びていく。

そして、毎日毎日雨に打たれながら「せっせ、せっせ」と自分の生きる範囲を広げて行った先で、僕の手によって命を絶たれる。

涙ぐましい努力を続けた生き物に対しては残酷すぎる仕打ちだが、残念ながらこちらにも「庭の景観を保つ」という事情があるので、多少のご理解を頂きたい。僕もしたくてしているわけではないのだ。

しかし、雑草側から見れば忸怩たる思いでいっぱいだろう。

それこそ、死んでも死にきれない。


そうか、だから雑草はまた生えてくるのか。


死んでも死にきれない思いが遺伝子レベルで脈々と受け継がれた結果、雑草たちは強靭な生命力と繁殖力を備えることになったのだろう。同じ生命体として見習わなければならないのだが、如何せん抜かないわけにもいかない。


庭。



それは終わることのない、雑草と人間の大いなる戦いの場なのだ。



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