自信とはなんぞや

新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

早速ではあるが、去年は全く投稿してなかったやないですか一体全体どうしちゃったんすかという皆さんの疑問(特別気にしてないだろうけれど)にも通づるテーマ「自信」について書いていこう。

2018年、私を取り巻く環境がガラッと変わった。五年間組んでいたバンド、Bait fishはメンバーの進学や就職などで各方面に飛んで行ったため、活動休止となった。
そして、私は一人旭川に残り、依然として学生生活に従事している。
一応、新たな研究活動も始まり、Siriのような対話型システムを作ろうと日々研究に勤しんでいる。

そして、活動休止の余韻に浸る間も無く、新しいバンド「PLUCK FLAVOR」を始めた。

書いてみると、以前とあまり変わり映えなく、普通に生活をしているじゃないかいと思う方もいるだろう。
しかし、昨年の私はあることを意識した。

「やれること何でもやってみよう」

非常にシンプルな思考である。私は本当に言葉どおりを実行した。海外の大学のインターンシップがあると聞いてタイに行き、ライブ出演のお誘いがあれば快諾し、今まで行っていた研究を一旦止めて、新しい研究を始めてみたり、その他にも頼まれごとや自分でやりたいことがあれば何でもやった。
人生で一番時の進みが早かった一年だった。

しかし、急速な時の流れとは裏腹に私の自信はみるみる衰退していった。
何をするにも不安ばかりが募り、失敗に怯えて体が動かなくなったり、考えがまとまらず、モチベーションが上がらないといったようなことが多々あった。それでも自分が決めたことだからと無理矢理にでも身体を動かすけれど、自分の目標には届かないような結果が多く、自己嫌悪をしてしまう。

まさに悪循環である。書いていて思ったことは「こりゃ相当病んでるぜ旦那」というなんとも軽い感想だが、当時はそんな軽いことも言えないほど、切迫詰まった心情だったのだ。

ではなぜ、2019年になった私が、このような軽口を叩けるようになったのだろうか。
それは、ある友人の助言がきっかけであった。

「自信がないからじゃない?」

ついこの間、就職して地方に行った友人が帰省してきた。
日々の疲れを癒すべく、共にのんびりとした時間を過ごす中、友人がなにかを察して言ってきた言葉だ。恐ろしく察しがいい人なので、私が疲れた顔でもしていたのか、近状について、深い所まで聞いてきた。そして先のようなことを話した時、友人が言った言葉である。

「自信がないって、俺は自分がやっていることは結果的に間違ってないと思ってるよ」
「じゃあ何で苦しそうにやってるのさ。」

そう言われて、ふと考える。たしかに、自分が決めたことに対して苦しみを覚えているのはなんだか締まりが悪いことだ。その原因はなんだろうか。

ポワポワのクッションを抱きかかえながら思考を巡らせる。私が胡座をかいて無駄に可愛げな体勢をとっている一方、友人は大きめのソファに浅く座り、私と向き合っている。こんな感じで聞いたら失礼かと思い、クッションを置いて姿勢を正そうとした時、あることに気がついた。

「あ、俺いっつも、自分のやってることが人からどう思われるか気にしてる。」

そう、私は思いついたことを何でもやっていた裏で、周囲の反応に過敏になっていたのである。
もともといじられがちな性格なので、何かを行うとそれに対してケチをつけられるようなことが多い。
難癖をつけられるたびに私は、言われたことは自分にとっての欠点であるという考え方からそれを正そうと行動を起こす。良いことではあるけれど、それによって自分のやりたいことへの時間が減り、事の締め切りが近づいて焦り、中途半端な結果に終わって自己嫌悪に陥っていた。そして、自尊心が失われていき、それを取り戻そうと奮闘するけれど、というような悪循環の原因になっているのだ。自分の身に起こった現象に、立てた仮説が当てはまっていく。

「自分も他人と同じく気遣わないと、疲れるだけだぞ。自分と他人を天秤にかけた時、どっちの方が重いって感じる?」
「うわ、俺、比率で言うなら自分:2の他人:8だわ。」
「そら苦しくもなるわい」

自分で自分に驚いたのは初めてだった。直感的に出た比率が2:8って。
私は小さい頃から家族に限らず人の顔色を気にする人間である。自分の周りにいる人が少しでもマイナスのニュアンスを含んだ表情をしたならば、自分に原因があるんじゃないかと疑い、その原因がわかるまで自分の一挙一動を分析した。
大抵、そういう時は自分に関係のないことだったりするのだが、それがわかったとしてもモヤモヤは晴れず、非のある行動をしていなかったかを考え続けていた。
そういう性分だからといって、変えようともせず、諦めていた。しかし、今まさにこの性分で自分が苦しんでいることを知った。

「気遣いは出来るに越したことはないけど、気にし過ぎて動けなくなるのは本末転倒ってわけか」
「そんな気にしなくても良いんだよ。」

私はこの言葉を誰かに言って欲しかったのかもしれない。心溜まっていた汚れが少しだけ、洗い流された気分だ。

議論を通して、確信を持って言えるのは、「自分に愛を持つ」ことが、確固たる自信へ繋がるのではないかという事である。
周囲がどう思うかは、もちろん大事なことである。客観視点はそこにしかないからだ。しかし、自分の行動に嫌悪感を抱いていては、客観が主体となってしまい、自分の行動に自信が持てなくなってしまう。程よく、他人を気遣い、自分を愛することこそ、今の自分にとって必要なことだと感じた。
2019年は自分を大切にする年にしてみようと思う。
意識し、行動しなければ変われない。意識が行動に反映されるように、行動も意識に反映されるのだから。

「ありがとうね」
「おう、んじゃ明日はスロットだな」

次の日、ギャンブル運のない私は負けに負けた。ノリ打ちだったため友人にも負担させた上で大敗した。
それでも、今の私は自分のやったことに後悔していない。

「これでいいのだ!!!!」

友人が苦々しい顔をしたので、しっかり頭を下げた。
少しだけ罪悪感を感じながら、息を大きく吸って、ゆっくりと吐き出した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?