見出し画像

3月の終わりに

過去ブログの転載です。
もう4月ですが、前回の続きとも言える内容なのでupしてしまいます。



2020.3.31

あっという間に3月も終わってしまいます。


お世話になった恩師の訃報に始まり


幼い頃より慣れ親しんだ

志村けんさんの訃報で終わった3月でした。



先日散歩をしながら


今 見えているこの視界

今 この風景を見ながら

この気持ちを抱くこの意識

これらは私という人間が死んだら

どうなるのか

消えてなくなるのか

それとも意識だけは残るのか


意識(魂)は残る、

そう思って生きているけど

それは本当なのか


なんてとめどもなく考えてしまいました。



私はもうずーっと前から

「自分はどうやって死ぬのかな」

と自分の死因を考える癖があります。


火で死ぬのかな

水かな

事故かな

病気かな…


病気だとしたら

個別の臓器のどんな病気かまで考えます。


事故のシチュエーションも考えます。


かといって

死にたい願望があるというわけではなく


ただただ

「自分はどう死ぬのか」

を毎日考えるだけなのです。


と、ある時兄にそのまま話してみたら


「武士道じゃん!」


と言われました。



兄によると

どうやら武士は毎朝

自分が死ぬ場面を想像していたのだとか。


毎朝 自分が死ぬところを思い描くと

その日 自分が死ぬことが怖くなくなる、


「すなわち、武士道とは死ぬことと見つけたり」


だそうで。。


おそらく私はかつて

とんでもない戦禍を

生きた前世があるのでしょうか…。


もしかしたら武士だった時代もあるのかな。


父親が武家だった前世はあるようなのですが

その頃私は10歳くらいでこの世を去っていたようです。


話が逸れてしまいました。



生きていれば

いつ死んでもおかしくない、

と日々思っています。


「今」生きていても

次の瞬間に死ぬかもしれない。


今日は元気でも

明日動けなくなるかもしれない。


毎日そう思いながらも


日々の生活を

慈しんで

生きていきたいです。


明日死ぬかもしれないからこそ

今日はいつも通り過ごそう。


そう思ったりしています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?