イタリアンスタイルPastel−そして、この街にもいたカルチャーリーダー。(最後に)

Pastelは、残念ながらもう閉店してしまったけれど、チーフという人がいたこと、Pastelというお店が、自分の地元にあったことについてもう少し考えてみたい。
10数年前に、新潟の直江津にドライブ旅行で立ち寄ったことがあって、その土地のことは、昔でいうL特急の終点の駅とか、日本海側の古い漁港の町というイメージでしかなかったのだけれど、古い商店街の外れに小さなイタリアンがあって、店名は残念ながら忘れてしまったのだけれど、イル・マーレとでも名付けたくなるような素敵な木目の外観だし、他の選択肢もなさそうだったので、そこで昼食を取ることにした。店内も板張りの床、壁もグリーンに塗られた板張り、すごくおしゃれという訳ではないのだけれど、直江津のこの古い商店街の外れにあるのが、なんとなく不思議な感じがした。ランチメニューで、おそらくトマトソースのパスタを食べさせていただいて、その時、Pastelをもう知っていたかは思い出せないが、今思い起こすと、PastelのBarilla社のような太めの麺と、やはりPastelのホールトマトを使用したポモドーロだったと思えてしまうような美味しさだった。オーナーとは接客上のお話しかできなくて、ランチを食べて次の目的地に移動したのだけれど、どうしても直江津ならあのお店にまた行きたいという記憶が残った。
数年後、また友人と東京から新潟へドライブ旅行に行く機会があった。新潟市に住んでいる友人をクルマで迎えに行き、そこからどこか温泉地の目的地があったのだろうけれど、その立ち寄り先として、直江津に向かった。というか、そんなに直江津に寄る用事もなかったのだろうけれど、せっかくなら、またあのイタリアンで食事をしたいという想いがあった。友人たちと、とても楽しみにして期待して直江津に到着した。
古い商店街は、数年前よりまた少し寂れていた。お店の場所はなんとなく覚えていたのだけれど、数ブロック歩いても、また元の通りに戻って来ても、どうしてもそのお店は探し出せなかった。新潟市で働く友人も、そのお店を訪れたことがあったようで、もうなくなってしまったのか、ととてもがっかりしていた。もちろん自分も同じ気持ちで、やり切れない気持ちになってしまった。
本当に惜しいと思う。直江津の漁港で仕入れることができたであろう食材や、トマトなどの野菜もそう、新潟の直江津ならば、その地域性はよくわからないけれど、あのイル・マーレと呼びたくなるイタリアンが、きちんと経営の成り立つ町だったのではないのだろうか。そしてオーナーは、東京や大阪へ出る訳ではなく、地元でイタリアンをやろうという意志があり、お店の作り、料理の数々も、きちんとこだわりを持って提供できる人だったのではないだろうか。この直江津での体験は、北綾瀬のPastelや、Pastelにいたチーフ、また北綾瀬にいた常連客のことと併せて考えて見ると、同じようなケースではないだろうか。直江津のイタリアンのオーナーのやり方が、どうしても間違っていたとは思えない。確かにコンビニやチェーンの飲食店も、大都市と同じサービスを受けられることは大切なのだけれど、やはりその中に一軒だけでもいいから、地域に根ざした個人経営のお店があって欲しい。北綾瀬のpastel、直江津のイタリアン、そして、これを読んでいるあなたに、もしかしたら、自分の街にも、そんなお店があるのかもしれないと思ってもらえたのであれば、ぜひそのお店の扉を開いてあげて欲しい。きっとありそうな気がする。そしてそのオーナーと、カウンターがなくても、食事をしながら話をしてみて欲しい。Pastelのチーフとは違う人かもしれないが、音楽、ファッション、料理、クルマだけでなく、アートや文学、その他様々なジャンルをよく知った人もいるかもしれない。そういうお店、そういう人と、みんなもぜひ出会って欲しいと思うし、自分も、やはりこの地元の北綾瀬で、Pastelのようなお店との出会いがあることを楽しみにしてしまう。そしてそれは、そんなに遠くない将来のような気がする。

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