SAAB900。その助手席の女性、通り過ぎた街。(最後に)

彼女が母親と個展を、神楽坂のギャラリーで開催していて、自宅の工房で作業しているまだ作り上げていない作品は、何度も見させてもらったけれど、きちんと完成させた作品を観てみたかったので、クルマで出かけることにした。
神楽坂のギャラリーは古い洋風建築の一軒家を改築したような建物で、先鋭的ではない彼女の作品にとても合っている雰囲気だった。
入り口を入っていくと彼女と母親が在廊していて、母親にもその時はじめて挨拶をした。母親はレザークラフトというのだろうか、革でできた作品を展示されていて、コンタックスの一眼レフのフィルムカメラを持参していた自分は、母親の作品、そして彼女の作品を熱心に撮り続けていた。今考えてみると、その関心があることはいいのだけれど、もっと作品に込められたメッセージや、作家としての彼女たちの個性を知るために、作品を観ながら本人たちと話をして色々伺っておけばよかったと思う。
自分なりに思い出せる範囲でその清水さんの作品の個性を考えてみた。彼女の名刺にはジュエリーデザイナーとか、アーティストという肩書きではなく、「彫金師」とだけ書かれていた。彫金師、その字の通り彫る人、もう少し正確にいえば、グラインダーや数十種類もあるヤスリを、絵画で言えば筆のように扱って、削ったり磨いたりする人だった。グラインダーは磨く、研磨する機械だけれど、それでも、基本、ヤスリを使って手作業で、ひたすら作品を仕上げていく人だった。削って仕上げるその造形は、あくまでも自然で、多くはなかった作品の中で、自分は丸みを帯びたものがとても印象に残っていて、色々な丸型のデザインなのだけれど、なんとなくそのデザインが、彼女の作風について書かなければいけないことのひとつだと思う。三角形のイヤリングもあったけれど、それもとても自然な感じだった。宝石を台座に載せている作品もあったけれど、目がいくのは宝石の輝きではなく、台座のデザインやリングとしてのデザインだった。そのどれもが、柔らかく暖かく、シンプルだった。
自然で、簡単な言い方になってしまうけれどシンプル、そして装飾性を限りなく抑えた控えめなデザインを手作業で何万回とけずり出していく作業をする人で、作家によっては、その何万回が装飾的で美術品のような仕上がりになるのだろうけれど、彼女の作品は、何か大きな美術展を目指すようなものとは少し違った。大きな賞もいらなかっただろうし、ただ自分が本当に納得できるところまで、作品を仕上げていく。これは、やはりアーティストという言い方ではなく、職人に限りなく近い作家だと感じた。ただ、それは、彼女の美的センスや感性があってのことではあるのだけれど。
SAABの助手席に座った彼女もそうだったけれど、先を急がないし、でも本当に行きたい場所は、遠い八ヶ岳の美術館であっても行きたい人だった。あと個展の大切なリミットは作品を作り上げるためにはしょうがないのだろうけれど、一緒に行ったドライブでは、帰りの時間を気にすることもなく、とにかく予定や終わりをきっちり決めない人だった。
本当に好きなことであれば、細かな作業を厭わないということも教わった。目標は高いが、その過程で楽をしようとしてしまう自分とは違う人だった。
彼女は4つ年上だったことも、大切なことだった。ひとつ年上では、一緒に前に歩んでいくという感じがするし、8歳年上では、価値観の相違もあったかもしれない。年上のアドバイスのようなものが生活の中で多くなってしまうような気がするし。
4つ年上だった彼女は、言葉で直接言わなくても、こういう風に考えるといいよ、こっちも試してみたらという、人生のアドバイスとは少し違うことを教えてくれる人だった。ドライブ中に車窓を眺め、それも必死に探す訳ではなく、なんとなく目に入ってきたものを、これは何だろうね、とか、あそこ楽しそうじゃない、と優しく指をさすような感じで教えてくれる人だった。そういう彼女は、あの時の自分がお付き合いする女性として、本当に自分とバランスのとれた大切な女性だった。
30代のあの時の自分がどういう人だったかは、この連載で、もう少し色々なテーマについて書いてみないと分からないのだろうけれど、彼女は、そんな自分のことを、それとなく理解しようともしていたのかもしれない。
SAAB900も、清水さんも、清水さんと観た風景も、もう記憶の中にしかない、たまに思い出して懐かしくなる、通り過ぎた街のようだ。もう失ってしまったもののような気がしていたが、ただの記憶ということではなく、確かに残ったものがあった。それが本当に何なのか、今突き詰める必要はなく、またこの先、クルマを手にして、誰かと出会い、共に過ごす時があったりしたら、それはまったく清水さんの個性と違う人なのかもしれないけれど、あの時の清水さんが、自分にとってどういう存在だったのかということを、この先の人生で出会う女性が、その人の存在が、教えてくれるような気がする。

この清水さんのことがメインになった文章を書き始めたのは、ちょうどクリスマス当日だった。そのタイミングも感慨深い。ただ記憶をたどって思い出していただけだと思っていたが、また、本当に彼女が目の前に現れた。そんな風に感じたりして、この文章を書き終えて、ひとりアードベックを開ける時間に。色々あった今年だったが、その年末にふさわしい味わいがあって、そんな自分にホッとしている。

この連載は「人生を折り返す前に」と称して、手帳を元に書き起こしたマガジンの基本、無料の記事ですが、もし読んでくださった方が、興味があり、面白かったと感じてくださったならば、投げ銭を頂けると幸いです。長期連載となりますが、よろしくお願いいたします。

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