イタリアンスタイルPastel−そして、この街にもいたカルチャーリーダー。(2)

Pastelの料理について、もう少し書きたい。たまにメニューの入れ替えはあったが、代表的な料理は、先に書いたポモドーロ、ペペロンチーノ、マルゲリータピッツァ、ハンバーグ、ズッキーニのフリット、イカのフリット、タコとセロリのマリネ、チキングラタンなど。どれもがやはり、高級食材を使用していなくても美味しく、チーフの料理の腕前が相当なものだと感心させられるばかりで、昔レストランでコックの修行をしていた話を伺ったことはあるが、そのお店は特別イタリアンの有名店でもなかったし、そもそもPastelはオープン当初はアメリカンダイナースタイルだったようなので、料理のジャンルを問わずある程度の基本的な調理技術が習得できれば、自分のセンスで表現できてしまうひとなのだと思う。ただ、調理器具にはこだわりがあったようで、包丁はグローバルというメーカーのものを大切に使っていたり、ガスコンロやオーブンレンジなども、超高級品ではないが、チーフの料理の技術にふさわしいものを使用していたのだろう。 
Pastelの飲み物と言ったら生ビール。生ビールのサーバーがあり、特に夏などは最高に美味しくて、例えば、ストローハットをいつもかぶり、恰幅のいい地元の会社の社長さんが仕事上がりに来店し、扇子で顔をあおいで「あー美味い!」って言いながらプロシュートハム(生ハム)をつまみに生ビールを飲んでいらっしゃった情景が懐かしい。いかにも下町の会社の社長という風貌の人で昭和のザ・社長というか、「よっ社長!」と声をかけたくなる地元の名物社長さんだった。よく思い出すエピソードとしては、三井住友銀行のグループ会社でシステムエンジニアをしている通称「さくら銀行」と呼ばれている常連客がいて、この人もとても変わった人で、この人についても色々書きたいのだけれど(毎日五百円玉を3、4枚握りしめてお店にやってきて、ワンコインのジンのストレートをちびちび飲むスタイルとか)、とにかく名物社長とさくら銀行さんが居合わせると「もっと融資しろ」とか、システムエンジニア職の人に言ってもしょうがないことなどを話し始め、「いえいえ、社長それは、、」みたいな困ったさくら銀行さんがいたりして、自分は心の中でクスクス笑ってしまった記憶がある。このようにPastelは、決して地元の高感度なセンスを持ったクリエイターの集う場ではなかったけれども、この社長のようなお客さんにも愛されている、地域のサロンのような役割をしているお店の側面もあったと思う。
社長といえば、小さな工務店の社長さんもいて、片山さんというサングラスのようなメガネにキャップ姿で、いつもご夫婦でいらっしゃる常連客の方が懐かしい。この夫婦は、ほとんどカウンターに座らなくて、テーブル席で飲み始め、やがて仕事帰りの他の常連客が来店し始めると「〇〇ちゃん、こっちで飲もうよ!」という感じでどんどん自分の輪の中に引き入れ、ひとつのグループ客がPastelに出来上がってしまう現象が起きるという本当に不思議な魅力のある方で、あまり年上だからと言って怒らないし、説教もしないし、いつも世間話をして笑ってばかりいる印象しかない。片山さんからは、よく飲み物をご馳走してもらった記憶もあり、自分のボトルをキープされているのだが、「自分の好きな物を一杯頼んで!」という俺の酒に付き合えという感じでもなく、強制された嫌な感じをしないで、みんなの輪に入れてもらうというような、少し居酒屋風なPastelのスタイルが、片山さん夫婦がいらっしゃると出来上がるのが不思議だった。今思えば、ただの親分肌ではなく、若い人が好きだとおっしゃっていたので、難しいこと抜きに、仕事も終わったんだから一緒に飲もうよ、楽しもうよ、という感じだったのだろう。とにかく場が賑やかになり、時にはチーフも、一緒に働いているチーフのお母さんも、持ち場やキッチンから離れてテーブルを囲むことがあり、誰がお店の人か、お客さんだか分からなくなることも多かった。これもPastelが、地域のサロン的な役割をしていたエピソードになるんだろうなあ、と今思ったりして本当に懐かしい。
飲み物で思い出すカクテルのことも少し。メニューにはないのだけれど、エスプレッソと何かのリキュールやミルクを使った4層のカクテル、ショットグラスで頂くHot Shot。今まで行ったバーのどこにもなかったような美味しいお酒で、その4層の色も美しく、チーフは、小さなバースプーンで本当に少量ずつ水滴を垂らしていくような繊細なカクテル作りも出来る人だった。おそらくこのHot Shot、地元の飲食店やバーなどはもちろん、都心のバーでもとても珍しいカクテルだったのではないだろうか。こういうカクテルの知識、技術を一体どこで覚えたのだろう。少し気になってネットで調べてみたが、Hot Shotの件数自体が少なく、画像検索しても、チーフが作るHot Shotに似ている写真が数枚出てくるだけで、その写真は、4層のカクテルではなく3層のものばかり。もし、チーフがどこかのイタリアンのウェイティングバーで、初めて頂いたHot Shotがあったとしたら、それもたぶん3層だったのかもしれない。3層がスタンダードなのだろう。だが、チーフはそこに、彼独自の発想として、4層のアイデアが思いついたのではないだろうか。しかも4層にするならば、各素材の比重を知識としてか、試作して試さないと作れなかったのではないだろうか。そのHot Shotの4層もただ分離しているだけでなく色彩のバランスが絶妙に取れていて、とても美しい作品だった。イタリアンに目覚めて、お店に伺ったのだろう落合シェフのラ・ベットラで撮影されたチーフと落合さんのツーショットの写真は、ああ、このパスタの美味しさはそこから学んだのだろうなと想像がつくが、Hot Shotを始め、他の料理の覚え方は分からないものが多い。とにかく、その創作のセンス以前に、チーフの心の根底に「美味しい」または「美しい」を追求し続ける姿勢、探究心があったことが、彼の本質だったのではないだろうか。メニューの品目は本当に少ないのだけれど、先に書いた通り、Pastelのほとんどの料理は、どこから来たお客さんに提供しても恥ずかしくないというか、思わずひと口食べて、「美味しい!」と言いたくなるものばかりで、地元綾瀬を代表するレストランofレストランの称号にふさわしいとさえ思えてしまうお店だった。

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