若者のすべてが、なぜエバーグリーンなのか。

フジファブリックの志村正彦が亡くなって何年経つのだろうか。今年の夏はあまりかからないが、在京のFM各局では、花火大会の時期や晩夏に「若者のすべて」がヘビロテだった時期が数年前にあった。

彼は富士吉田出身で、同級生たちとバンドを立ち上げたが、自分の才能を過小評価、過大評価することなく、何か当時の邦楽ロックメインストリームに追随しない、音楽シーンの可能性を感じていたのではないだだろうか。

今回は、志村正彦論の書き始めだから、長くいっぺんに書くつもりはないが「若者のすべて」、歌詞は昔の彼女のことを想った夏の出来事の世界なんだけれど、志村かA&Rは、あの曲につけたかった曲名は「若者のすべて」だった。

簡単に解説、解明するのは志村やフジのフォロワーに失礼かもしれない。

でも、結論は、成人期に入る前、青年期の志村が、なんとなくチャートとは関係ない世界、志村の世界の総決算として、あの名曲を書き上げてしまったところに何かヒントがあるのかもしれない。

死んで伝説って分かりやすいストーリーだけれど、自分は志村正彦に生きていて欲しかった。今、40代の志村がフジを率いていたら、たぶんアリーナやスタジアムではなく、もともとの富士吉田で仲間と音楽が好きでバンドを始めた世界を大切にしたミュージシャンになっていたのではないだろうか。そう思えてならない。

そんな彼の話や自分なりの思い出を特別に感懐や追悼の想いではなく、正当にチャートに上がったはずの志村さんを紹介していきたい。

またCDの音源から解説めいたものを書くけれど、ただのいちファンのたわ言だと思って、次の投稿のぞいてみてください。



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