心の病と対処療法、今、書けることの幸せ。

30代を振り返るにあたって、最初に書かなければいけないテーマはこれになった。29の時に心身症になり、会社の産業医の診察を受け、それでは症状が治らず、産業医の紹介で築地のメンタルクリニックに通院することになった。前にもこのnoteに書いたが、新卒で勤めた会社で、オーバーワークと上司のパワハラでヘトヘトになっていた自分は、気力がなくなり、眠れず、食欲が落ち、朝ベッドからどうしても起きられなくなり、出社出来ない日が増え、長期間の休職を取らざるをえなくなった。30代の始まりは心の病との戦いだった。
 築地のクリニックの担当医は温厚そうな初老の先生だった。藁をもすがる思いで初診を受けたが、「ここでも、診察は5分から10分くらいですよ」と言われ、心療内科では親身に時間をかけて治療するというイメージを持っていたので、少し拍子抜けしてしまった。良くは覚えていないが、しばらく会社を休みましょう、という診断書と心療内科的な薬を、睡眠剤、お腹の薬などと処方してもらい、とにかく静養しましょうというのが、治療の最初期だった。とりあえず、ハードワークやストレスで精神的に辛い状態になってしまう環境から、一時、身を離れて、静養することになった。自分も出来ればそうしたかったので、その診察、診断には本当にホッとした気持ちになった。その時は、やっと解放された、その安堵感だけで、とても救われた気持ちになった。結構ギリギリまで自分を追い込んでしまっていたのかもしれない。
最初期の休職は何をしたのかは、あまりよく覚えていない、好きなラジオを聴き、好きなTVを観て、食事をきちんと摂り、あまりあれこれせずに早く眠る、長く眠ること、そんなことを心がけるというか、自分が無理しないでできることの最小限な生活を送ることしか出来なかったほど落ちていた。
3週間の休職を経て、元の職場に復帰したのだけれど、まだ、仕事の集中力も途切れがちで、会社に実際行けない日も多かった。職場に行くと、やはりお腹も壊しがちで、自律神経もまだまだ整っていなかった。そんな日が続き、まだ休職期間が足りないだろうということで、クリニックの先生から数ヶ月単位(1ヶ月だったか)の診断書を書いてもらい長期休職の時期に入っていった。
そして、静養して心身の整え期間、それは2ヶ月ぐらいかかっただろうか、基本生活のベーシックを少しずつ出来るようになってきた。2ヶ月本当に安静にし続け、やっと何かをしたいという意欲が心の中に沸くようになった。それくらい安静の時期が必要だった。
少し意欲的になってきたので、正確な時期は忘れてしまったけれど、ひとり旅で沖縄旅行を計画して行った。沖縄本島の西海岸、万座ビーチホテルという万座毛が見え、眼下は青い海が広がるホテルの部屋を取らせてもらい、ビーチでデッキチェアに寝そべり、海をボーッと眺め、たまにシュノーケリングで熱帯魚を見て、夜はライトアップされたホテル内の温水プールで、やはりデッキチェアでのんびりするという、お金も貯金が沢山あったので、少し豪華だが、転地療養には絶好な場所で心の洗濯をしてきたことが、かなり効果的な治療になった。今では、それも青い海、あたたかい風という、病気でなくてもまたこれから行ける機会があったら行きたいと思える素敵な場所だったことが懐かしさと共に心に浮かんでくる。
あと、銀座のセレクトショップに洋服をよく買いに行っていたので、それも再開した。すぐに仕事につながるスーツとかは買わなかった。休日モードの服、私服で着たい服を、休日のショッピングのように楽しめるようになった。やはりこの段階では、まだ仕事のことを考えたくなかった。まだどこか心身共に万全ではなかったのだろう。でも、本当に少しずつだけれど、行動範囲が広がってきた。長いこの休職期間の自分の心の声を確かめるように聴き、行動範囲を広げ、外出する機会が増え、外に出ることを厭わない感じになってきたのは、とてもいいやり方だった。もちろん、仕事から離れている条件ではあるのだけれど。
銀座と言えば、セレクトショップのとなりにあったスタンディングバーにも初めて休職中にバーデビューと言ったら大げさな気もするけれど、立ち飲みスタイル、でもスタイルはオーセンティックという興味があった場所に訪れることができた。このバーMODについては、やはり30代の大きなテーマにできる話なので、また改めて書きたいと思う。
休職中の会社との接点は産業医ではなく、会社所属の保健師の女性だった。この方と長期休職の間に定期的に連絡をとり、面談をすることになった。とても親切な方で、親身になってくださったことを良く覚えている。教訓めいたアドバイスは一切しない女性で、いい相談相手というか、悩み事や、その時感じていることをとにかく否定せずに聞いてくださったので、とても心強かったし、会社ともまだ繋がれているのだなという安心感もあった。とても大切なポジションの女性だったと思う。

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