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写真を上手に撮るコツばかり検索している人へ

どうしても違和感があることがある。

ポートレートを上手に撮る方法
料理を美味しそうに撮る方法
子供を可愛く撮るコツ

とか、検索するとたっくさん出てきますよね。
(私も立場上お話しすることもあったけど、「私の個人的に好きな方法」という風になるように心がけてきたつもりであります)

例えば
「ポートレートでの逆光は良い、順光は悪い」
「料理ではカーテン越しの光は良い、直射日光は悪い」
「運動会では望遠レンズ、Sモードで速いシャッタースピード」
色んな人の意見が、本当に色々。
それは、各人の意見であって、
当たり前だけど万人に共通の正解ではない。
場合によっては全くその理屈が当てはまらないことがある。
そして写真なんて流行なんだから時によって正解は変わっていく。

それなのにこんなにも沢山の情報が溢れている。
ということはそれを必要としている人がいる。

なんかそういうのを見ていて、
とても不思議でならないのです。
だって、その写真が良いかどうかはさ
本来、自分がどう感じたかで勝手に決まるものじゃないですか。
自分が見ていい感じにと思うなら、それでいい。
何か違和感があるならその「違和感を解く」ことをすれば良い。
万人に共通の正解を求めるのは、なんか、変だと思う。

この違和感ある状況のことを
前々からちょっと気持ち悪く思って、
何か私にできることはないかなぁと模索しています。

それで最近ふと思ったんだけど、ヨガをしている私としては
この状況は似ている。以下のことに。
これは、まるでアライメントがなっていないのに
ハトのポーズに憧れて、無理やりやろうとして
腰を痛めちゃっている人のようだ!!!と、そんな状況。
いやいや、ちょ、待って待ってwwww
とりあえず一旦落ち着いて呼吸を整えようか。
順番がありますから。
骨盤を立てて、股関節を開いて、胸を開いて、
必要な筋力と柔軟性がないと、
そのポーズにはなり得ませんから。
焦らないで焦らないで、
できる準備が整ったら結果として出来るものがポーズなんで
順番飛び越えて欲張りたくなる気持ちもわかるけど
結果的に自分が快適じゃないなら、やってて楽しくないじゃないですか。
それじゃ、腰、痛めますよ。
体に、違和感ありませんか?
と、なんだかそんな気持ちになるわけです。

実際問題、身体が硬い人はハトのポーズをしようとしたら
世にイメージされるハトのポーズとは遠い形状になる。
ヨガって本当にそこがいいよね。
できない自分の今の足りないところを教えてくれる。
どこが、まだ準備できてない。だから君は今、こんな状況であると、
身体が痛かったり、キツかったりして教えてくれるの。
だからそこにまず気づく、そしてゆっくり、出来ることから整えていく。
その過程は、とても心地ちの良いもの。
その快適さに乗っているうちに、
結果は自然についてくるようになってる。
なんて、素晴らしいんでしょうね。

ヨガの一つは自分の身体のとある部分が快適かどうかを
ひとつひとつ丁寧に見つめていくような作業だと思う。
自分と向き合うってほとんどの人に有益なはず。

それによって自分を癒せる。結果世界の見方がとても変わる。
何にもしなくても快適でいられるのって、
本当に赤ちゃんくらいじゃないかしら。
(赤ちゃん・・・ポテンシャル!
私の環境の恵まれ具合感謝すぎる・・・・・!)

さて写真の方に話を戻すとこれは、「好きとか嫌いとか自分の素直な心を認めるセンサー」が曇ってしまっている、という感じになるのだろうか?
いやいや実際、正解求めたところでもちろんヨガの件みたいに
腰を痛めたりはしませんが、結局自分自身の土台がなければ、
いろんな情報に振り回され、あっちこっちさまよって、
疲れ果てた挙句、どこにもたどり着かないだけだと思います。
自分の感性を持つってそんなに大人には難しいことなんだろうか?
大人になる間に、素直な気持ちを表現する感覚(=自分が好きと思うものを好きと思い、綺麗だなと思うものを綺麗だなと感じること)は
封印されてしまっているものなのだろうか?
我慢ばっかり強いられてきている代償なのだろうか。
だとしたら、、、、、、、、、、、
なんだろう!!!!
なんていうか!!!!
言葉になりませんが・・・・・・・・。

自分の身体大事にしようぜ!
赤ちゃんに触れようぜ!

と取り急ぎ言葉にさせていただきましたw
なんか、まぁ、今日はこの辺まで思考の言語化をできたので
自己満足は以上とします。
私に何か、もっとできることないかなぁ。


もしサポートいただいたらいつも他人に譲ってしまう傾向のある心やさしい旦那さまと、彼の大好きなカニを食べに行きたいです。応援よろしくお願いします。