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自分で判断しながら写真を撮ることで、心を癒そう

写真を教えさせてもらう場で必ず出てくる
「どっちにすれば良いですか」という質問。

露出は0がいいのか+0.7がいいのか。
望遠で撮ったらいいのか、広角で撮ったらいいのか。
構図はタテがいいのかヨコがいいのか。
F値は5.6がいいのか、11がいいのか。
持っていくレンズは単焦点がいいのか、ズームがいいのか。

これって、実は写真の質問のようで、実は
本人のそれまでの生き方が見えてくる問いだということに、
最近気がつきました。大げさじゃなく本当に!
だってさあ、私がイチバン最初に写真を習い始めた時、
そのように先生に「どっちがいいか」を聞こうとは
一度もしたことがないのです。
私の場合は・・・
「なるほど、その項目を変えたら、こう変わるのね。
じゃあ、私だったらこんな写真を撮ってみたいから、
こうしたらどうなるだろう!違うバージョンにしたらどうだろう!」
と、とにかく暗闇に光が差したようにワクワクした気持ちになったことを
覚えています。
そのとき、疑問や不安の感情は皆無です。
とにかく「そうなんだ〜!色々と試してみたい!」という気持ちしか
なかったのです。

でも、そういうふうになる人はマイノリティーなようです。
(というか、そういうふうになる人は写真を習いに来ないw)
差異を聞いたところで、「じゃあ、私は風景を撮りたいから、どっちにすれば良いですか」とか、そんな感じの繰り返しとなってしまうのです。
違うんです、どっちが良いかはあなたが判断しなきゃいけないし、
写真を撮るということは、その判断をすることなのですよと繰り返し言います。
でも、いつまでも、そういうふうなやりとりが続いてしまう・・・。
こういう人たちは「自分で決める」ことに根本的に不安で、自信がなく
慣れていない生き方をしてきちゃってるんじゃないかと思うのです。
だから、「自分で判断してください」と言われるとフリーズしてしまう。
時にそれに怒る人もいたりします。なんで講師が決めてくれないんだ・・・と。
それって、、、もはや写真じゃなくて生き方の話になっちゃうと思う。
今まで組織の中で他人に合わせて自分の意見を言わないようにしてきた・・・
周りの人の様子を伺ってから、自分の立ち位置を決める・・・
とか、「自分で自由に決める」ことをずっと押さえつけてきたから、
(写真の設定なんていう些細なことでも)自分で決めるのが怖い、抵抗がある
、人のやり方と一緒にしなければいけないと思い込んでいるように
見えるんですよね。
たくさんの人が写真を習いにきてくれる。でも、自分で自由に決めていい
ということに、抵抗を抱いてしまう人がびっくりするくらい多い。
それは写真とは別次元の問題です。

ただ、習いにきてくれている=写真を撮りたいという気持ち=自由に表現したいという気持ちだと思うんですよ。そういうのが、きっと本人も無自覚のうちに心の奥に眠っているんじゃないかなぁ。
だから、今まで押さえつけていた、我慢していたものを解放して、自分で判断して、思うように撮ってみたらいいんです。
それで、その写真を「キレイだね」とか褒めてもらえたら
とっても嬉しいと思うんです。あるいは、褒めてもらえなくても
自分の中で気に入ったならそれで良いじゃないですか。
自分に、正直になると良いと思います。
写真が、そういう心の解放に役に立てば
人を癒すことにも繋がるんじゃないかななんて、思う今日この頃であります。

逆に、なんで私は「先生にどっちがいいか聞かなきゃ〜」みたいな
発想にならないんだろうというのが疑問ですが・・・。
なんでだろう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
ちょっと、それは、サッパリ全然わからないですね。
考えておきます。

もしサポートいただいたらいつも他人に譲ってしまう傾向のある心やさしい旦那さまと、彼の大好きなカニを食べに行きたいです。応援よろしくお願いします。