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アル中の父親が亡くなったことで私が得た学び

実は先月、父親がなくなりました。
67歳でした。
酒をやめられない人だったのでクモ膜下出血で
突然倒れ救急車で運ばれた2日後に亡くなったそうです。
(サムネイル写真は関係ないですが先日離乳食デビューした息子・・・。)

だいぶ気持ちも落ち着いてきたので思うことを
書いておきます。
めちゃくちゃプライベートなことで、しかも重たいので
友達にもおそらく誰にも話したことはないのですが
もしも興味のある方は読んでください。
似たようなこと・・・家族のことで悩んでいる、お酒をやめられない人が身近にいて悩んでいる人などの救いになれば嬉しいです。


重たい暗い話が苦手な方はこちらで帰りましょう!!!



まず私の父と母は、私が高校卒業した頃くらいに離婚しています。
それというのも主な原因は父親のお酒。
今思えばアルコール中毒か、依存症だったのでしょう。
タバコも超ヘビースモーカーで欠かさず吸っていました。
毎晩のように欠かさず飲んで、飲むと母に対する
ひどい暴言、罵声。
話し合いにならず、言っている内容は支離滅裂、荒唐無稽。
しかも、バカヤロー、絶対お前が悪い、などと大声を上げる。
「お前の育て方が悪いから子供があんなになっちゃうんだ」的なことも
よく言っていました。
さらには、時々母親に対する暴力も。
顔にアザを作っていたこともありました。
そんな環境は物心ついた頃から、離婚するまでずっと続いていました。
だから私にとって父親は『かなりヤバイ酒飲みクソジジイ』でした。
言い返すことは母親に無駄だからやめなさいと止められていました。
当然、私はそんな父のことが大嫌いで、避けて、無視し、恨んでいました。
父と遊んだ記憶などは本当に一つも有りません。
なぜそんな環境で母は私が高校生卒業するまでまで耐えていたのかというと
「親権のことで揉めるから」とのことでした。
私にとってそんな父について行く選択肢は1ミリもなかったので、
私は一刻も早く離婚してほしいと小学生の時から思っていました。
でも結局それは叶わず、私が高校を卒業するというタイミングで
逃げるように母と家を出たのです。

そこから、私は、一人暮らしし、大学生になり、
社会人になり、結婚しても、子供が生まれても、
父親と連絡を取ったことは一切ありませんでした。
縁が切れたことで母親はだいぶ顔色も良くなって
毎日が楽しくなっていたようで私は心底ホッとしていたし
私の生活もそれなりに充実して満足していたので
連絡を取る必要は何一つなかったからです。
結婚した時と、子供が生まれた時は、一応報告くらいしてみようかな
と思ったこともありましたが、
辛い記憶の方が勝るので実行には至りませんでした。
ただ、結婚した時に戸籍謄本を見て再婚したらしいことだけ
知っていました。
『あんなヤバイ奴と結婚するってどんな風変わりな人なんだ・・・』と
だけ思いました。

そんな背景がある父親が亡くなったと、突然の連絡が来たので
とても複雑な気持ちになりました。
実の親ながら『あんな奴、もう勝手にのたれ死んでもしょうがない』という気持ちと、とはいえ、実の父親なんだから『子供が生まれたことくらい知らせてあげればよかった』という気持ちが交錯しました。
だけども流石に葬式ぐらいは顔を出さなくてはという気持ちが襲ってきて
再婚相手の方に連絡を取りました。
そして、なぜ彼女はあんな父と再婚したのか、そして父との最期の時間がどんなものだったかを知りたくてたまらなくなりました。

後日、時間をいただき、その再婚相手の方(Mさん)とファミレスに行きました。
そこでMさんから聞いた父親の姿は私の知っている人物とは別人でした。
色々話してもらったんだけど要約するとこんな感じ。
・大人しくて、優しかった
・タバコは完全にやめた
・一緒に旅行に連れて行ってくれた
・料理をよく作ってくれた
・小さい子供が好きだった
・一緒に歩いていると良く優しそうな旦那さんねと言われた
・一緒に近所のスーパーに買い物に行くのが好きだった
・帰りが遅くなると泣いて待っていることもあった
・猫を愛でていた
飲みすぎると暴言を吐くというところは変わっていなかったようでしたが
それはそんなにしょっちゅうあることではなかったそうです。
とにかく、優しくて、楽をさせてもらった。と言うのです。

ショックでした。
父親は、本当は、そう言う面も持ち合わせていた人間だったのです。
いや、実は私も薄々は大人になってから気づいていました。
父がお酒をやめられないのは、裏に何か抱えている
本人の心の中の問題を直接向き合わずに、逃げているからなのだろうと。
何かから逃げるために、お酒に走ってしまった。
それは弱い人間のすることです。
問題の内容は何であれ逃げることでは絶対に解決しません。
でも、だとしたら、私だってそこまで父親のことを
感情的に嫌い避けるのではなく、
『この人は何でこのような愚行を繰り返すのだろう』
と言う冷静な目で見ればよかった。
気づいていれば孫にくらい、会わせてあげたのに・・・。と
激しく後悔しました。
が、しかし、死んでしまった人にはもう会えないし、話せません。
それに、もう死んじゃったからここまで思うことができたのかなぁとも
思っています。

そんな父から私が学んだことは・・・
キレて怒鳴っている人とか、暴力振るっちゃう人というのは
必ず理由がある。
だから、そういう表面的な言動を見て、
簡単にジャッジしてはいけないということです。
もちろん本当は本人がアル中になってしまうこと、怒鳴ること、暴力を振るうことを制御できたら一番いいけど、人はみんなそんなに自分の問題に完璧に向き合える人ばかりではないです。当然私も。
今さ、問題になっている「訳わからない無差別殺人事件」とかも
きっとこういう私の父親みたいなパターンで、本人ははけ口を見つかられないまま
誰にも助けてもらえないまま、凶悪化しちゃったバージョンなんだろうと
思うんだよ。
自分に余裕がなかったら、酷い言葉を投げかけられたりしたら
こいつは酷いやつだ、嫌いだ、去ろうとかってなってしまうけど、
少し余裕があれば「なぜこうなるんだろう」と相手の立場を想像できる。
そういう、余裕ってどの人間関係にもあるのとないのでは、
きっと違ってくるはず。世の中、平和になって欲しいじゃないですか。
だから、感情で判断する前に、一人一人が少しだけでも理解の輪を広げていけたら
いいんじゃないかって。そう思いました。

そんな感じに父を少しだけ理解できたことで、自分の心に引っかかっていたものが
少し外れたというか、血流が良くなった感じがするのです。
やはり、どんなに日常生活に関係なくても実の父親を
恨んだまま生きていくのは気持ちの良いものではないので。
なので、本当にMさんには感謝でいっぱいなのです。

最後に、死ぬところを見せてくれて、人としての大事なことを教えてくれたと
思えば大分遠回りだけどいい父親だったのかなと思います。
遠回りしすぎて笑えます・・・。

私が死んだ後に父親に会えるとしたら、それが楽しみになった一件でした。
Mさんとは、不思議な関係なんだけど、今後もたまに会いたいと思っています。
生きている私たちは、しなやかな心を持って、限られた時間を楽しく時を過ごしていきましょうね。

もしサポートいただいたらいつも他人に譲ってしまう傾向のある心やさしい旦那さまと、彼の大好きなカニを食べに行きたいです。応援よろしくお願いします。