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その夢は誰のため?『サイバーパンク:エッジランナーズ』感想

※こちらネタバレを含みますのでご注意ください。

「どうやらSF好きみたいだ」と気づいたのは割と最近。攻殻機動隊を見たりVivyとかアクダマドライブを見たりしている。近未来の世界観は今の生活の延長線上にありつつ、未知の体験ができてワクワクする。そういえば、仮面ライダーもゼロワンの世界観は結構好きだった。

連休中にNetflixを開いてみたら、SF作品がまた増えていてしっかり釣られた。今回見たのはこちら。

あらすじを案内してから、見てぐるぐる考えたことをまとめてみる。

あらすじ

舞台は近未来。自分の身体にチップを読み込ませて他人の記憶を擬似的に追体験したり、身体に銃器を埋め込んだりして人体を改造することが当たり前の社会。主人公は高校生くらいの不良少年。学校には通っているけど馴染めていない。母親と2人暮らしでお金の余裕はない。ある日、ギャングの抗争に巻き込まれて母親を失ってから学校を辞め、サイバーパンクと呼ばれる無法者達のチームに加わり成長していく。

グロあり下ネタありで、薦める相手は選ぶかも。主人公がヒロインと徐々に距離を詰めてく感じは、丁寧な感じで悪くなかった。

自分の夢か人の夢か

「あんた人の夢のために生きてるの?」
中略
「夢は他人のものじゃないわ」
2話より

母親から「学校に通って大企業に勤めてほしい」と言われてそのまま従っている主人公に対して、ヒロインが言ったセリフである。「月に行きたい」という夢を持つヒロインと主人公とでは対照的であることがわかるシーン。

成長するにつれて主人公の夢が具体的になっていくというのは、よくある展開だ。しかし話が進んで主人公がたくましくなっても、この関係は変わらない。

「母さんもメインも俺に何かを託して死んだ。俺はまだ何もできてない」
8話より
「何もない俺の代わりに、君が君の夢を叶えてほしい」
10話より

メインとは、無法者達のチームリーダーだ。主人公はメインを継いでリーダーになる。しかしリーダーになっても主人公は自分の夢を持たない。最後まで誰かの夢を叶えるために行動している。ここでふと思うのは、この考え方は現実社会の流行りに逆行してるのではないか?ということだ。

自分の夢を持たせがちな現代社会

「自分の夢のために生きる」「好きなことだけして生きる」。最近よく聞くこれらの考えは、自分が起点になっている。「あなたの夢は?」とか、「やりたいことは?」と聞いてくるのもあるあるだ。Twitterを見ていても、この考えに則って生き方を変える人が多い印象。働く目的は金持ちになることではなく、有名企業に勤めることでもないからだろうか。無理のない生活や自己実現のために働く人が増えた流れで、「明確な個人の夢こそ大事」という流れが漂っている気がする。

だから主人公が自分の夢を持たないのは、社会の流れに逆らっているように見える。でもそれは、自分の夢を持たなくてもよいと肯定しているようにも見える。

その期待は誰のため?

こんなことを書いていて改めて気づくのは、母親とメインの託しているものは性質が違うことだ。

メインはチームを主人公に託している。これは「よければ俺の代わりにチームのやつらの面倒を見てやってくれ」の意だと思う。主人公が決める余白がある気がする。

一方、母親の託すものには余白がない。例えば学校を辞めたいと言う主人公に対して、母親は「じゃあ私は何のために働いてんのよ」と返す。お金がなくて他人からの風当たりが強いから、息子を大企業のエリートにさせたいと言う。見返したいから、息子に嫌な思いをさせたくないから、そんな理由であったとしても、息子は母親の存在意義を証明するために生きているのではない。だから母親の発言にはモヤモヤが残る。期待して託すことは一歩間違うと、呪いとなってしまうかもしれない。

選ぶのは自分

自分の夢を持っても持たなくても別にいい。というか、どちらかだけが正義ということはない。自分が納得して決めたことであれば、人の夢を生きたっていい。どちらであっても、自分に合えば夢は大きな原動力を生むのだろう。誰もが自分の夢を持つことにこだわらなくていいのだ。

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