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幸せの経典

ある国で幸せになるための方法を見出した者が居た

彼の考え方は書物としてまとめられ配布された。

その書を手にした人々は歓喜した、これこそが幸せの道だと、幸せに生きるための方法だと。

その書は経典として崇められ、更に沢山の人の手に渡り、その書の考え方に共感する者、それを称賛する者が増えていった。

次第に古い考え方は、悪しき考え方として弾圧、糾弾されていき、その書の考え方が絶対的なモノとして崇められるようになった。

数年の後、その書の考えに異を唱える者たちが現れ始めた。
その中に真の幸せについての答えを見出した者が居た。

彼の考え方は書物としてまとめられ配布された。

その書を手にした人々は歓喜した、これこそが幸せの道だと、幸せに生きるための方法だと。

その書は経典として崇められ、更に沢山の人の手に渡り、その書の考え方に共感する者、それを称賛する者が増えていった。

次第に古い考え方は、悪しき考え方として弾圧、糾弾されていき、その書の考え方が絶対的なモノとして崇められるようになった。

ある時、世界の国々で幸せになるための方法を見出した者たちが現れた

彼らの考え方は書物としてまとめられ、その国々に配布された。

その書を手にした人々は歓喜した、これこそが幸せの道だと、幸せに生きるための方法だと。

その書は経典として崇められ、更に沢山の人の手に渡り、その書の考え方に共感する者、それを称賛する者が増えていった。

次第に古い考え方は、悪しき考え方として弾圧、糾弾されていき、その書の考え方が絶対的なモノとして崇められるようになった。

国々の交流の中で、様々な討論が起こった

私たちの経典が絶対だと、嫌、自分達の経典こそ絶対だと

そこにある賢者が現れた

人々は賢者に尋ねた、果たしてどの経典が真実を述べているか?どちらの考えが正しいかと。

賢者は答えた

太陽が太陽である様に、海が海であるように、そこに正しさはなく

太陽が幸せか、海が幸せかは、私たちの理解が及ぶものでなく

人の幸せに正しさもなく、他人の幸せについては理解は及ばぬ

自分の理解が及ぶもの、それのみを求めよと。


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