人生の目的は自分を表現する事だ!

そう、更に言うと「目的」って感覚すらいらなくて。

「自分で居る。」以上! みたいな。

それを表現する、表現し続けるのが人生で有って。

この「表現」って感覚も、意識的であっても、無意識的であっても、実は、存在そのものが、表現であって。

変な話、会社に遅刻する事も、上司に怒られることも、満員電車に乗る事も、自己表現の一つなのである。

この人、何を言ってるんだろう....

って思う方々も沢山居るかもしれませんが、これが、私の、自己表現であって。

実際、自分の感じている事、思っていることを、こんな感じで、文章で表現出来ているのは、自分に取ってはとても楽しい事、喜びであって。

日々こんな事を、真剣に考えたり、感じたり、表現しているのが、ある種自然な自分であり、「自分で居る」事なのだと感じている。

もちろん、なんとなく、世間一般的に、受け入れられやすいような、なんとなくそうだよねと言う、文章を書く事も出来るのです。

例えば

人生の目的とは、目標をしっかり掲げて、計画を練り、そこに向けて、努力を重ね、人様に迷惑をかけることなく、社会に貢献する事、社会に役立つ事である。

その為には、社会のルールをしっかり守り、規範となるような行動、活動が求められ、誰からも否定や批判をされない様、最新の注意を図ることこそ、重要である。

こんな文章表現をすることもできる。

ただ、今、この文章を書いてる、自分の気持ちはと言うと、いまいち乗ってこないというか、あまり面白くなく、自分に嘘をついているような、苦しささえ感じる。

人生は相対的にできている

表現自体に良い悪いというのは実はないのだけれど、与えられてると感じる場や、状況によって、その表現は、良い悪いと判断されることが有る。

そう、このNoteといコンテンツに対して、私が感じるのは、自分の思う事、感じる事を、自由に表現できる、安心感、楽しさな様なもので。

それを感じたとき、自分に許した時、表現したい思いや、内容が自然と湧いてくる。

このNoteというコンテンツに対して、どういった捉え方をするかは、人それぞれで、その捉え方や、更に言うと、その人の人生の捉えかた、在り方で、色々な価値感や、見え方が出来てくる。

先の遅刻においても

ベタな話ではありますが、急に倒れた老人を介護して、病院に連れて行っていたら、なんて親切な人なのでしょう???と相対的に感じるかもしれませんし。

そんな人を、見捨ててでも、会社に間に合う事を優先した場合、それについて、どう感じるかも、人それぞれである。

数千社、数万人と仕事の場面で交流した気付き。

そんな相対的な世の中においては、本当、様々な方々が、様々な思いや価値観を基に、行動、表現を続けていて、そのすべてに、良い悪いの判断や、ジャッジをして行動、表現をしていると、結局、きりがない部分が有って。

社会で活躍している方々は、自由な自分を表現している流れで、自分を表現しやすい場所に、導かれている。

これも、何を持って、活躍と言う、観点がありますが、実際

これは、意識的にも、無意識的にも、自分は認められない、受け入れられないなんて、考えている人たちは、それを証明できる場

ルールが厳しく、厳しく指摘をしてくる、会社や、上司に導かれていくのである。

これが、今回のタイトル「人生の目的は自分を表現する事だ!」

ということに繫がっている。

これは、言い換えると、結局、自分の表現を受け入れる事で、自分が何者か解ってくる。

人生の目的は、自分の表現を通じて、自分を知る事。

そんなことなのだと思う。

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内山 龍一

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