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悲劇のヒーロー


心を病む法則性


 人というものは会話しなければ病む。そう教わったのは、ある日の友達からである。突然核心を言われて納得してしまった自分が居た。露骨に会話する回数が減っていたからである。

 自分はあくまでも人の幸せどうこういいつつ、虚像に見える自分を引きずるのに必死である。

 ある日、長く続いた縁のある友人が、「ポエムばかり投稿しているように見える、そんな人達とは仲良くなれない」と呟いていた。
 正直、傷付いた。それを糧に成長しているにもかかわらず、それを淡々とではなく「仲良くなれる気がしない」と書いた本人の見える場所で呟く人間性にぞっとした。
 確かに仲良くなれる気がしない。自分だって仲良くなろうとは思わない。

 かといって、別に被害妄想をしているわけではない。彼女はあくまでそういう自我を持った人間であり、そういった人達と相寄れない自分が居るよ、と彼女は呟いただけだが、その言葉遣いで無意識に人を傷付けているということを何度お互いに指摘しても変わらないのだから、じゃああえて自分から攻撃して前に進む日だってあっていいじゃないかと思い、割り切り、それを公表することによって自信を持っている。故に自分はこれを綴っている。


「悲劇のヒロインぶるな」

 ずっと自分は人生という舞台の上で踊っている道化師の様な気分で、ヒロインではなく面白可笑しく生きる側だった。しかし、それを変えようと真っすぐ生きようと思ったのがnote、あるいは吐き出す事で前に進む為付けた日記だった。
 ある日、向けられた言葉は「悲劇のヒロインぶるなよ」という言葉だった。深く、深く傷を負った。いや、今まで言われてきた中でもかなりのものだった。確かに、客観的に見たら悲劇のヒロインぶってるように見えるのかもしれない。嘆いてばかり、虚勢張れなくなって突然泣くようになったし、こんな記事を…って、ネガティブになるルーティンになる事もある。今朝がそうだった。

 しかし、書く側で居る事によって、自分の心の平静を保っていられる意味を知ったのは、まず「morgen」さんという方からである。
 そんなmorgenさんが綴ったもの、しかも昨日自分が課題と格闘している間に綴っていたもの。それがこんな素敵な記事であり、一種の自己暗示でもあるが、自我を保つ為の大切な手段としてnoteを用い、表現や批判を恐れつつも吐き出す事によって前に進んでいる彼女を見て、自分は共感しかなかった。


 恐らくこれから色んな事を経験していく中で、このタイトルは僕の心の中で淡い輝きを放ち続けるし、決して独りではない、抱え込んでしまうよりどこかしらで吐き出しているだけ、「ポエマー」と軽々しく笑う様に言われて泣いていた自分に後付けするくらいの心意気で今を生き延びる。


世間を蝕むもの


 今日、世間を蝕んでいるのは新型コロナウィルスだけではないと理解する人が多い中でも、あえて叫びたい事がある。


 それは人間の言葉思想エゴである。


自分が好きなアーティストが沢山居る中で、ずっと追いかけてきた、また精神的支柱になったバンドがある。

 それは、『CIVILIAN』という。

 彼らの最新曲「正解不正解」


https://www.youtube.com/watch?v=DanXF6QBjZ0


現実逃避の脳内で 安寧の夢むさぼって
呑気な平和がいつまでも続くって信じきっている
現在陳腐な常識も 平俗凡愚な限界も
「全くもって下らないね」なの言ってんのはいったいどいつ

かすれてく記憶の彼方で
ねじ曲げられてく 遥かな約束
誰も皆忘れているなら
眼(まなこ)を開いて 思い出させてやる
超えてゆくのさ 残酷な世界を
誓い合ったあの日の儚い希望
蹴り上げてやれ キミの痛みを
全てを飲み込むその業火で正解不正解 可能不可能
全ては この手の中


Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/civilian/seikai-fuseikai/



 2番の歌詞をいずれ知る人の為、言わないでおきたい感情がある。それはとても至極当然のことながら人類が見落とし、蹴落としてきた、そんな概念である。そんな概念を含む二番の歌詞が音源のみでしか公開されていないため、少し悔しい。
 
 常に彼らに共通しているのは、「『常識』『理屈』疑え、そして今を生き抜けよ、そんな感情にいつまでもぶら下がっている自分」というイメージ。先日のライブでは、曲の選び方が明るい未来に突き進む系のものへとシフトしていた。

いつまでも泣き寝入りするな。絶望を抱えて今を生きて俺らを越えていけ

というメッセージ性。

他人のエゴや感情に掴まるな。自分らしさを大事にしろ。ただし、周りの支えを大切に、絶対に裏切るな。一緒に歩んでくれる人達を後悔させるな。

彼らがそう叫んでいる様に。



鉄は熱いうちに打て


 「人を呪わば穴二つ」の精神で生きる事、そしてこの文才と感性を活かして、また情勢に沿った生き方を、自分なりの在り方を見つけることが出来た世界に感謝しつつ、それが崩壊してしまえとも思う危険思考が自分には宿っている。そんな自分に優しく接して、ときに厳しく向き合ってくれる仲間は、例え僕が泣き崩れても、立ち直るまで、傍に居てくれる。そう確信できたのは何度も言うが六月であり、さらに自分で歩み始めたのがかなり遅かったが、自分なりにできること、表現方法を磨ける環境を最大限に活かし、周りをしっかり頼りつつ、多岐に渡って自己表現を続ける。
 スタジオを借りるのは来週になるだろう。「歌ってみた」や「踊ってみた」というものを自由性を追い求めて、精一杯自分に出来ることを、この混沌とした世界の傷跡として添える。





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