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自分の直感を信じる勇気

2015年の絵馬には、変革者への一歩と記載したことを明確に覚えています。
今でも家に飾ってあって、相変わらず汚い字です笑

変革者への一歩っていうことは、今は2歩3歩と進んでいなくてはならないので、今の自分って進んでるんだっけ?ってところを振り返りながら、
しっくりくる今年の抱負を掲げることができたので、最近考えていたことをさっくりまとめてみることにします。


ロジカルに意思決定をしようとすることが既にロジカルじゃない

最近、特に自分のキャリア的なものを意思決定するときにロジックを用いようとすればするほど、納得感はあるんだけど"なんか違う的な現象"に苛まれるなーみたいなことを考えていました。
"なんか違う感"っていうのは、個人的な定義でいうと、
「その選択肢はわかりやすいインセンティブがあり、メリットを享受するために選択をしているが、なんかモチベーションがあがらないなー」
みたいな時になるのかなーって思います。フィーリングですね完全に。
選択肢におけるわかりやすいインセンティブのところでいうと、
・その選択肢を取ると自己成長する。
・給料だったり社名だったり安定だったり楽さだったりが良い
この辺がキャリア的な意思決定で重要とされているところらへんな気がしていますが、その選択肢に納得感が持てるかどうかは、その人がどれだけキャリア的なものの選択肢を知っているかのリテラシーに依存します。

例えばその人の決め手が給料で、初年度実績500万!みたいな会社がありますが、初年度からいきなり600万給料くれるところもありますよね。
逆に新卒の給料が600万スタートだから入ったのに、二年目の給料が簡単に下がってしまったり、400万スタートしていた友人がもう既に800万くらいもらってんぞ! みたいな状態が普通にあり得ることを考えると、
給料というわかりやすい指標でロジカルに意思決定していたのにも関わらず、
自分のリテラシーに問題があって全然ロジカルじゃなかったやんみたいな現象が起きちゃいますよね。しかもこの現象の際どいところは、入社前にそんなにちゃんと教えてくれる企業や人が少ないっていうところですね。

このリテラシー依存型ロジカルクソ意思決定の悪いところは、なんかちょっと不都合があるとすぐに、
「もしかしたらもっといい選択肢があるかもしれない・・・」
という自己不安に襲われるところです。クソですね。キャリア的なものをロジカルに意思決定しようとすると常になんか違くなる問題はこの辺にからくりがあるんだなーって思いました。
どうやら小賢しくなるとこういうジレンマにハマってなんか不幸っぽい状態になります。当人にとっては意外と自覚症状がないのがキモです。

結論としては、見かけのインセンティブは意思決定基準にはなるかとは思いますが、どちらかというと、自分の感情が満たされるような意思決定基準を設けることが良さそうですね。
もっと残念なことをいうと、ロジカルクソ意思決定っていってるけど、究極的に人はロジカルにキャリア的なものを意思決定していない。そう言った方が適切だと思います。リテラシーに依存するのももちろんですが、給料が500万と言われてそれを少ない! と思うか、 多い! と思うかはその人の解釈に依るからというのと、自分にとって都合のいいロジックを構築することで納得した気になっているからです。だからこそ、感情的に都合のいいロジックを構築してしまっている問題をメタ的に認知していくことがかなり大事かと思います。

もう一つの解消方法は、条件を満たしているからこそ、"なんか違う感"=こんなもんやろ と認識しようとすること。意義付けする力を身につけること。ですかね。ここからは価値観の話になって来る気がしますが。

キャリア的なものなんて存在してなくね?

キャリア的なものを意思決定しようとする行為はリテラシーと解釈に依存しているので、(解釈は過去の経験に依存している) その時の自分にとっては最も困難な選択肢だったと思っていたものも、実はそうでもなかったりします。また、その時は最高の条件だと思ったことも、"なんか違う感"に苛まれたりすることがあります。
なぜそのような結果になってしまうのかを考えていくと、
"人生にはキャリア的なものが存在していて、階段を登っていくようにゴールに到達するのだと考えているから"
な可能性が高そうです。(僕がそういう価値観でした)
これは就職や就活をビジネスにしている人たちがそういう価値観を創ることでお金を儲けようとした副産物なのかもしれません。あるいは過去にそういった成功モデルがあったか、はたまた出世競争という価値観からくるものなのか、その辺はわかりませんが、つまるところ
実は人生に確実にゴールに到達する階段とかエスカレーターとかって、ねぇんじゃねーの?笑 っていうことが言いたいのです。
ずっとキャリア的なものっていっているのはそういう意味で、
ここのからくりを世界の成功者たちがしきりに「人生プランとか計画とかってねぇんじゃねーの?」っていっている意味と一緒なんじゃないのかなーって思っているというわけです。

じゃあどうやったら幸せになれんねん!っていう話なんですけど、仮説として置いているのは、
"その選択肢が困難で辛いんだけど、自分がやりたいことだからやっているって言い続けられるもの"
をやっていくことがいいんじゃないのかなーって思い始めました。

試しに飛び込んでみる。が一番大事かも

メタ認知を意識して自己を突き詰めていくと、自己の存在が最も仮説検証サイクルを回しやすいサンプルになってくるという、変な感覚になってきます。演劇やRPGを実生活で行っているみたいな変な感覚ですね。アドラーぽいですね。

新年明けてから、検証サンプルとしてひたすら自分を突き詰めた結果として、今自分の身体を一気に前に倒していかないとなーって思うようになりました。そうでないと最も成長する環境と、最も自分がやりたいことをやり続ける環境を手に入れられないって思うようになったからです。それがわかっていながら甘んじて環境に適応しようとしてしまうのは非常に残念なことです(´-`).。oO(

身体を前に倒すっていうのは、泳ぎ方を知らない人をいきなりプールに押し倒して、ほら、泳げ!!っていったら多分泳げるみたいなイメージのことです(笑)泳がないと溺れ死ぬので、多分その人はすぐ泳げるようになると思います。「お!意外と泳げるやん!」ってことにも気づくと思います。もちろん、クロールを習った人よりは進むスピード遅いかもしれないですけど、もしかしたらバタフライの方がめっちゃ速く泳げたやん!みたいなこともあるわけですよね。

"その選択肢が困難で辛いんだけど、自分がやりたいことだからやっているって言い続けられるもの"を行う為には、今みたいに「泳げ!」って言われるのとおんなじ感じで崖っぷちから海に自分を「ほれ!いったれ!」っていって前に倒す必要があるなーって結論になりました。
これを客観的に、自己を検証サンプルとして行っていくことが多分うまくいく秘訣で、変に「こえーよ!!」とか言ってると、飛び込みに失敗して腹打って痛くて死ぬっていう悲惨なことになりかねないので、どこかで演じる自分とそれを客観的に分析している自分とを生み出していきたいなっていう、ちょっと変なことを最近は考えだしてます。
恐怖に打ち克つのはいつだって圧倒的な好奇心だなーみたいなことを考えた時に、進撃の巨人のエレンとアルミンも、そういった理由から巨人と戦っているんだなってことがわかってなんか楽しくなりました(・ω・)


自分の直感を信じる勇気

意外と人の直感って正しかったりするんですよね。というより、信じた直感が正しかったと解釈したいと言った方がより適切な気がしますが。
自分が今、こうだ!って思っていることがあるとしたら、多分その直感に従った方が幸せなんじゃないかなって思います。どんなに不安なことがつき纏っても。
というわけで、2016年の抱負は
"自分の心に素直に生きる"
って書きました。

気づいたらやってることをやり続けていることが一番楽しそうですね。
というわけで、今年はいろいろと大変になりそうだけど、心が言ってることに従って生きたいなって思います。それが変革者としての2歩目だと思うので。


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