春国で感じたこと。

新宿歌舞伎町のラーメン屋で、自然と流れる涙がありました。
絶え間なく流れ続ける意味がその時にはわからなくて、
多分だけど今こうして思うのは、
今までこうして最後まで活動してきて良かったと、心の底から思っている事。夢から醒めてしまうことの切なさ。引退の時。
それと、、多分、、4年間続けなかったことへの後悔。
自分の気持ちに素直になるのは本当に難しい。
でも、後悔していることに気づけた分だけ、次こそ同じ思いをしないように、これからの僕が後悔しないように、
その時の気持ちを大切に生きていこうって。
そういうことを最後の最後に教えてもらったんだなって、思えています。

そしてそんな自分のことを、ほんの少しだけ好きになれました。

任期一年間と、アイセックでの振り返りを行うには、あまりにも一息つけるような気がしないタスクが残っているので、今回の備忘録は、今月9日から行われた、最後の国内総会について記述していきたいと思います。今まで多くの宿泊行事に組織を代表して参加し、その度に一回りずつ大きくなれた気がしていますが、今回も多くの成長実感と、次年度へのバトン渡しができたのかなって思えています。


「次にあの場所へ立つ時、僕はなんて言うんだろう」

春期国内総会では何時の頃からか、一年間の活動結果報告をしています。
去年は次年度委員長として、次年度の執行部と一緒に、昨年度委員長だった25人の最後の勇姿を目に焼き付けようとしていました。
その中でとても印象に残っていたのが、ある委員会の委員長だけが、成果が出なかったのは自分のせいだと言って、涙を流していたことでした。
僕はその姿をみて、この人はきっと、本気で組織と向き合ってきたんだな。それでも変えられないことがあって、今こうして涙を流しているんだな。と、そういう風に感じました。
あれから僕は、一年後の自分があの神聖な壇上で何を喋ることになるのだろう。この一年間をどう終わらせたいのだろう。ということを真剣に考える様になりました。そして、その時がやってきて僕が喋ったことは、去年の僕が予想だにしなかったような内容でした。
僕が"一年間考え続けていた"ということそれ自体を伝えることになったからです。

何を喋るのかを考え続けていたはずなのに、考え続けていたことが最も伝えたいメッセージになったというのは、とてもおもしろい体験をしました。


やらなかった後悔の重たさ

やらなかった後悔というのは、続けるか続けないかの意思決定だけではありませんでした。
問題を自分の問題として、"取り組まなかった”ことの後悔が、取り付く島もないほど襲いかかってきます。
見て見ぬふりをしようとしたこと。自分だけが取り組んでも変わらないと思っていたこと。他の委員長たちのせいにしたこと。
それぞれの行動が、自分を織り成す信念に反したものだったこと。
その幼稚さ、しょーもないプライドだけを守ろうとしたこと。
自分しかいないとわかっていて、言い訳を繰り返したこと。
委員長が集まる最後の場に思い返すのは、そんなことばかりでした。
懺悔のように残る気になれなかったのも、自分のくだらないプライドによるものではあったのですが、
どちらかというと、自信のなさから選択できなかった事と、
戦う選択をした人たちに後ろめたさを同様に感じていたということの方が、
当時の心境を正確に表現できているような気がします。


それでも成長しているとしたら、自分の弱さを受け入れた所。

難しいのは、自分の至らなさに打ち拉がれている時にさえ、
自分の言葉を必要としている人たちがいるということ。
今この機会を(機会というとチープだな)
今この瞬間を、僕にとって、かけがえのないこの時間をどうやって使えばいいのか。
振り返ってみると無駄にしてしまったことが多くて、もっとこうすればよかったなとか思うのだけど、
後悔というのは、反面教師にもなりますから、僕が後悔を伝えることは、それ自体が
"そうなってはならないよう、精進してくれる次期の委員長たちへのバトン"
だと、そう思っていました。それはそれで、とても価値のある事。

確かに、強がっていたほうが、多分自分にとっては都合が良かったのかもしれません。うちの委員会が出した成果にふんぞり返ることは、非常に簡単に、気持ちよくできたのかもしれないけど、
それでも自分が伝えたかった事、その理由は、そんな自尊心への憧憬や尊敬を浴びる為ではなく、
一緒に前に進まないといけない若者たちという横のつながりと、
"トップとしてどうあるべきか”という、1年間僕が常に向き合い続けた心のあり方。その集大成。

とにかくこの2つのバトンを渡したかったから。

それはなんでかって、この組織が好きなのに、前に進んでいないことがもどかしかったから。
恥を承知で、伝えたい事があったのだと思います。
この春国で成長を感じたのは以上のような行動を取ることが出来たことなのかなって思いました。


誤解のないように書いておくと、プレゼンでも話した通り、
トップが上げられる成果なんて、本当に大したことないです。
結果を出すのはいつだって現場であり、メンバー達だから、
僕はその成果を独り占めする気なんてなかったし、
本当になにもしていないから、本当になにもしていなかったということができるのかもしれません。
ただ僕は、それはそれで自分の経営のスタイルだとも思っていましたから、
それはそれで自分の居場所を作っておいたつもりです。
もうひとつ、確かに僕たちは今年で名実共に日本一の組織になったのかもしれないけど、
まだまだ甘いところいっぱいあるし、
なにより目標としていた成果がでなかった以上、ふんぞり返るわけにはいかなかったというのが正直なところです。

最後のプレゼンのあの時、
このメンバーでやれて本当に良かったって
ポロッと自分の口からこぼれていたのを動画で確認した時、
思わず本音を言ってしまったなぁと思いました。

でも、多分そう思えるかどうかって、
自分のスタンスと向き合うことの他に方法がないようにも思います。
きっと去年の自分が今の自分を見たら驚くと思います。


「なんで君はそれがやりたいの?」

という問いを最後に聞いていたと思うけど、
最終的に行き着いて欲しかった答えは、
どんなに組織をディスっても、どんなに問題を指摘しても
それを変えたいと思っているかどうかは
その組織が好きだからに他ならなくて、
その組織を守りたいと思うかどうか、
決められたルールを守るかどうかは
本質的に、その組織が好きかどうかで決まるんだと思いました。

「この組織を変えられるのは自分しかいないし、自分がやらないとって思っている」
そんな責任感で動いているように思っていても、根底にある本当の動機はそんなところじゃないということ。
委員長になった時の選挙では思っていなかったのに、今ではクリアに断言できることに
「あぁー自分変わったなー」なんてことを思っていました。

それも多分きっと、
「うちのメンバーはアイセックが好きだと思う?」
という問いに対して、みんなが
「そうだと思う!」
って答えていることで確信に変わっていて。
これは他の大学の委員会だとこうはならなくて。意外と。
また、
「もし俺がいなくなったら、うちの組織どうなっちゃうと思う?」
という問いに対しても
「回ると思います!回せると思います!」
って言ってくる可愛くないカワイイ後輩たちがいるかどうか。

こういう経験を通して、
"人は制度で動くんじゃなくて、感情で動くんだ"
って、"事件は現場で起こっているんだ"みたいな言い方で言えるようになったんだなって思います。
多分みんな、これだけ聞いたら「そりゃそうだろww」って思うかもしれないんですけど、
んじゃあ組織をよくするためにメンバーに動いてもらおうってした時、多分殆どの人が
制度作りましょう!仕組み作りましょう!っていう無機質なところにいっちゃうと思ってます。
最初のころは自分もそうだったからこそ、この一年間で何を感じて、その度にどうやって成長してきたのかがはっきりと見えました。


「あなたが委員長で良かった」

そういってもらえること、これは去りゆく者に向ける最高の餞のような気がしました。
今回の春国では、特に僕の背中を見ていたらしい(後頭部は置いておいて)次年度の委員長がそう言ってくれました。
僕は言葉で伝えることよりも、信念や誠意で示すことの方がより多くのことが伝わることを実感していました。

この春国でもって、僕が伝えられることの全て、僕の1年間の全てを伝えきったような気がしています。
僕ができたのはイチ組織の価値観と、意義を統一したことくらい。
全ての委員会と、アイセックに波及できなかったこと。
これは自分の幼稚さが及ぼしたもの。
次のステージを目指して、後任が動き、成し遂げてくれることを楽しみに待つばかりです。
今回の春国で、タネは蒔けたような気がします。
だから、あとはそっとしておくことにします。


「先輩はこれからどうしていくんですか?」

んーまだ全然決めてないし、どうなるかなんて自分でも一番よくわかってないです正直。
やっぱり不安に思うのは、サルトルの言葉があるから。
今はこんな心境です。(八木さんからいきなり送られてきて、うわって思ったやつ)

-人間は自由の刑に処せられている-
人間は、自分自身で考え行動し選択する権利があり、
それこそが「自由」というもので、
そして自由であるからこそ全てが自らの意思であり、
そこに一切の救済はない。
サルトル『自由への道』

ぶっちゃけいくら悩んでも悩んでもキリがなくて、
後悔している最中でも、前に進まないといけなくて、
期待をかけてもらっている分、なるべく開花の時は早いほうがいいんだけど、
自分としてはまだまだ実力不足を感じていて。

だから、いまだけは
もしかしたら存在するかもしれない治療薬を探すために目の前のことをやっていくことにしようと思っています。

多分自分は、一生LCPとして生きていくんだろうな。
次こそはMCPにならないとな。


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