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大学を休学することにしたこの一年を振り返ってみる


お久しぶりです。
2015年も残り僅かということで、報告を兼ねて一年間の長い振り返りです。


大学を休学することにした理由

この度、実は11月の初旬頃に休学することを正式に意思決定し、秋学期の休学をもう既にしておりました。(知らなかった人すいません・・)
急な意思決定のように見えるかもしれませんが、以前大学を辞めるという選択肢という記事を書いた時からずっと、この選択肢が頭の片隅に残っていたのです。
この記事はpv数が4500を超えるという反響があり(悪い意味で) そこからちょっと落ち込んだりもしていました。(今は公開制限をかけてあります笑)

大学を辞めるという選択肢を持つことによって、究極的に自由であり、何でもできる状態になれると確信するようになりました。

実のところ、大学を卒業すること、良い会社に就職することそれ自体が僕にとって他人のレールの上を歩んでいるような気がしてならないと感じてしまったのが大きな要因としてあります。つまり、他人の価値基準に従うのではなく、本当に自分のやりたいことに従った選択肢を切ることが、究極的に自由であり、なんでも出来る状態になのかもしれないなと疑ってしまっている自分がいたということです。
この疑いを身を以て実証してみたいという好奇心も相まって、即決してしまった次第です。

もちろん、大学に通うこと、大学で学問を研究することの価値は今も感じていますし、自由に使える時間をフルに楽しむことが重要なことも、理解していないわけではありません。
ただ、成し遂げたいことが決まった今、大学を卒業するということに時間を割くことよりも、自分の成すべきことに対して究極的に正直に生きることが本当の意味で幸せなのではないかと思ったのです。

二年もの間、アルバイトをしながら必死に入学した大学を休学すること、中退する可能性が増してしまったことに対する後悔は今のところありません。
というよりも、大学受験を決意した段階から、もしかしたら自分は大学を卒業しないかもしれないという選択肢があったことを告白しておきます。
むしろ、自分が目指していた大学にはいらなかったからこそ、学歴という価値観に執着しなくて済んだのかもしれないと思うと、今の自分はとてもお買い得だなーなんてことも思ったりします。

この一年間で得たもの

この一年間で得たものは今後の自分の人生を大きく揺れ動かすものであったと自覚をしています。
ただ目の前に迫り来る困難を一つ一つ乗り越えるたびに見えてくる景色が徐々に変わっていく様は、丁度見晴らしの良い山を登っていく感覚と似たような達成感がありました。

"組織の課題は全て自分の弱みが反映された結果だから、困難にぶちあたった時は、まず自分の弱さと向き合ってみてほしい"

この一週間を通して思ったことに記載した通り、数えきれない程の学びを得た1年間でしたが、その中でも特に"自分の力・器を磨き続けること"がトップの最大の役割なのだという気付きを得られたことは、今の自分が何をすべきかという問いに答えるものだったように思います。

また、この一年間は
"自分の描いた理想を達成するためにただがむしゃらに没頭すること"
"このタイミングで自分の人生を決める意思決定をしなくてはならないこと"
この2つが今年の大きなテーマでした。

様々な選択肢がある中で、それぞれの選択肢を今自分が本当に成し遂げなくてはならないことと照らし合わせながら、慎重に吟味しました。

このぐるぐると同じところを行ったり来たりしているような、一見すると無駄に見えるかもしれない時間は、ゆっくりとですが、着実に前に進んでいました。上からみるとただ円を描いているようにしかみえないことも、横からみることで、きちんと螺旋状に、上に登っていることがわかるという感覚に近いでしょうか。


"Stay Hungry, Stay Foolish"


他人の目や評価を気にした、他人のレールを生きる人生に意味はないということが自分の中で確信を帯びた瞬間、ふとスティーブ・ジョブズのスタンフォード大での一言が浮かびました。

そこで、最近自分の中で問い続けていた言葉を引用したいと思います。

あなたには生まれた時から、あなたの成し遂げたいことであれば、
どんなものでも必ず実現できるだけの才能があります。
ただし、その成し遂げたいことを成し遂げられるのは1つだけ。
またその1つに没頭し、生涯を注がなくてはなりません。
あなたは何を成し遂げますか?

もし自分が成し遂げたいことを成し遂げようとしたら、きっとそれは傍から見てもバカみたいなことだと思われるでしょう。でもきっとそれでいいんです。誰も成し遂げないようなことを成し遂げるというのは、誰もがやらないようなことをやる必要があるからです。

冷静に考えてみると、人は自分の手を動かそうと思ったら手を動かすことができ、パソコンを起動しようと思ったらパソコンを起動させることができ、いい大学に入学しようと思ったらいい大学に入学できます。
でも何故、成功しようと思ったら成功できるとは思わないのでしょうか。

最近身近な友人に様々な質問をしていましたが、その中でも2つ、聞いていて面白かったので紹介したいと思います。

『この世の中における森羅万象をあなたは何%知っていると思いますか?』

『あなたは手を動かすことはできますか?あなたはパソコンを起動することはできますか?(〜同じように後2つほど質問〜)...では、あなたは家を建てることはできると思いますか?』

サンプル数は少ないですが、
前者の質問には、大体0.1~1%と答える人が多く、
家を建てることができると即答した人はいませんでした。

このことから、
①人は意外と自分を含めた世の中のことをわかっていると思っていること
②したいと思うかは抜きにして、意外と自分のできることは少ないと思っていること
がわかってきたように思います。

実際に家を建てる為の段取り、具体的には
①設計図をかけると思うか
②材料を選択し、購入できるか
③人を雇うことはできるか
というように、段階に追って家を建てることはできるか?と問うと、
それならできそう、という回答を得られたりもしました。


究極的に時間と効率性をかけることができれば、僕達に想像できて、実現できないことは何一つないです。にも関わらず、多くの人は自分の限界を自分で設定して、それ以上のことをやりたがらないきらいがあるなーという印象を受けています。だからこそ、僕たちは現状不満足であり続けなくてはならないし、馬鹿みたいに没頭し続けないといけないんだということが見えてきた気がしています。

但し、成し遂げたい"コト"の大きさによっては、僕達の寿命を超えるほどの時間がかかるものがあるため、物理的に実現不可能なものとなっているケースも多いのが実情でもあります。
実際は先代の方々が"コト"にかけた時間を 知識やテクノロジー に変換して遺してくださっている為、後発の僕達は一気にジャンプアップして"コト"の達成に近づけていくことができますが。

このようなテクノロジーの立場から歴史を振り返ってみると、地球全体で大きなひとつのコトを成し遂げようとしている動きが見られるような気がしています。そう思ってしまうと、自分が本気で成し遂げようとしていることそれ自体も、あくまで歴史の流れを導くひとつのファクターでしかないのかもしれないなーと思っていることも確かです。
でもその歴史の中でも、自分の時間をただ1つのことに投資し続けることは悪くないなと思っています。それが自分の為でなく、他者の為に行っているという実感を持てているからです。



思考は現実化する

そんな折に紹介してもらった本は、どこかで聞き覚えのあるようでなんかでも知らない本でした。
その本を読んで驚きました。自分が信じていた信条と合致する点が多く含まれていたからです。

人間は自分が考えているような人間になるのである。

こういう成功哲学のような言葉は現代においてありふれたものとなっていますが、様々な偉人が口を揃えている以上、きっと嘘ではないのだと信じています。かのマザー・テレサも同じようにおっしゃっています。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

ガンジーもこんな感じです。

『人間というものは信じた自分になることが多い。もし、自分にはそんなことはできないと思ってしまうと、それで本当にできなくなってしまう。しかし、もしできると信じたならば、たとえはじめはそのような能力がなかったとしても、それをなし遂げる力を得ることができるのです。』

僕が第一志望の大学に落ちたことも、結局のところ信じた自分の通りになってしまったのだと変に自信を持って言うことができます。
どこか心の中で「他の人は今頃アルバイトもせず、予備校に通って家に帰るとご飯が用意されている環境にいるのだな」
「自分はこの環境下で本当に受かることができるのか」
なんてことを考えていた自分がいました。それがまさに現実化したのだということも、今の自分なら納得がいきます。ただ、その運命に身を任せる選択しなかった結果として、今僕は自分の可能性を信じられるだけの分岐点に立つことができたとも、確信しています。
常に自分が強烈に成し遂げたいことをイメージし、実行に移していくことを諦めない。それが今の自分にできる唯一のものであり、これからも変わらない習慣のような気がしています。


今の自分に不自由なものなどなにもなかった

自分のこれからの人生を深く考えていくうちに、ある結論に辿り付きました。

今の自分には存在を認めてくれる人がいて、お互いに高め合える仲間がいて、メンバーにも恵まれている。お金はそんなにないけど、生きていくことはできる。
今の自分に果たして足りないことなんてあるのかな?なんてことを考えてみたりしていました。様々な偉人の思想や宗教の原典を調べていくうちに、
"本当の幸せというのは、足るを知ることなのではないか?”
と考え始めるようになりました。
また、"かけがえのない小さなことに幸せを見出す力"を持ち合わせていなかった僕にとって、その力の偉大さを気づかせてくれたのが僕の4つ歳下とくると、人と人の関係に上下なんてないんだなーなんてことを感じたのも、大きな学びのうちの1つでした。
そうなったときになんでかふと、
『あれ、人って実はもっともっと働かなくていいんじゃないの?』
って思うようになりました。


人がもっと働かなくて済む世界を実現してみたい

2015年12月初旬、フィンランドがベーシックインカムの導入を検討していることで盛り上がっていましたが、このようにもっともっと人が自由に使える時間が増えた結果として、かけがえのない幸福に心を向ける余裕が生まれたり、自分のやりたいこと、成し遂げたいことに時間を割くことができたりする社会があってもいいんじゃないかなんてことを考えていました。

「週5で1000万もらえる会社と週3で500万だけど、残りの4日間は何してもいいとしたらどっちの会社で働きたい?」
なんてことを聞いて回っていたりしますが、「時期にもよるが、後者が良い」という人が周りには多かったです。
週3で働いて、最低限のお金はもらいつつ、ボランティアや教育事業、副業をしたり芸術を楽しんだり、子育てに時間をつかったり、さりげない一時に価値を見出していったり。。。
もっともっと人が使える時間を増やしたほうが消費も増え、経済も回っていくんじゃないのかなーっていうのが今の僕が感じている仮説です。
これからの時代は貨幣よりも時間に価値がシフトするような気がしているので、この文化・価値観をまずは自分がテクノロジーの力を活用しながら組織という形で体現してみたい。今自分が最もやりたいことはそんな社会を実現する為のファーストペンギンとなること。また、頑張っている人や教育にお金やテクノロジーをドンと支援できるような人になること。

誰もやろうとしないのなら、まずは自分がやる。信条のうちのひとつです。
そのためには今よりももっともっと力が必要です。

初志貫徹

ワンピースでいう新世界は雷の降る島や、空を走れる島や、巨大なゾウの島や、ドラゴンの居る島など、奇想天外の大海原となっています。
多分僕たちがこれから旅立つ世界もなにがなんだかよくわかんねーよみたいな現象に巻き込まれていくことでしょう。

今の自分には控えめにみても、メンバーを巻き込み、メンバーの生活や人生を背負っていくだけの力が圧倒的に足りていないなって思ってしまっています。
メンバーを露頭に迷わせることは何がなんでもあってはならないことだと思っていますので、"一緒にやろう"の一言がぶっ刺さる想いと力が乗るまでは、
丁度ルフィ達が2年間修行期間を置いたように、
僕もひとまずレイリーの下で修行を積みたいと思います。
それまでは、2015年に思い、決断した志を貫き通すことを
来年の抱負として、2016年をスタートしていきたいと思います。

休学は1年。1年後もまた同じように、大きな決断に迫られるでしょうが、
それまでは修行期間として、心身共に磨いていこうと思います。


最後は感謝

うちの事業統括の2人がよく言う言葉のひとつですが、
最後は感謝に尽きるのかなって本当に思います。
今年も沢山の出会いがありました。沢山の学びと成長がありました。
また、沢山の人に迷惑をかけた年であったとも思います。
今まで一緒に走り抜けてくれた経営層と、メンバーには
ありがとうと、これからも駆け抜けていこうの二言で締めたいと思います。

めんどくさがりでだらしなくて自分に甘いリーダーですが、
これからも他者成長の為の自己成長を体現していきましょう。




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