黒の月がみえる頃に#04

それから例の人とのやりとりは続いていてメンバーにはアプリで架空の人物を演じていることは話してなかった。話す必要性も感じていなかった。

相手は瑠衣(ルイ)という名前らしい。なんとなく響きがいいなと感じた。
話していくうちになんとなく察したことは、高校は高校でも通信とか
夜間学校に通っているのではないかと思った。
おそらく、バイトもしていない。趣味という趣味もないような気がする。
返事を返すとすぐに返ってくる。それも昼夜を問わずに。
でも全ては憶測に過ぎないし、だから何って訳じゃない。
そして今日は本当に久々のオフだったので、一日連絡をとっていた。

そしてやりとりをしてるうちに意外な連絡がきた。

「ソウマくん、通話しませんか?声が聞いてみたいです。」

悩んだ。電話なんてしたら余計に仲は深まる。
ただ僕は一人の人間として扱ってさえくれればそれで良かった。
これ以上は望んでなかった。ただ音で生きている人間としては
声に興味があったのは否めない。

「OKです。いつ話しますか?僕は今日だったら話せますよー。」 

気がつけばそう返していた。

「え、本当ですか?じゃあ今夜の月がみえる頃はどうですか?
もし月が見えなかったら、辞めましょう。」

誘っておいてなんなんだ。月が見えなかったらって天体観測が
趣味の僕に分からない訳がない。今夜は月は見えない。
100%ではないけど、ほぼそれに近い。正直、ほっとした。
でも次のオフがいつなのか分からない以上、話すことはないんだろうな。
と残念な気持ちも混在していた。

夕陽が傾いてきた。少し小腹が空いてきた。冷蔵庫を探索してみた。

冷蔵庫はワインセラーと化していた。もうこれでいいや。
せめてチーズとかサラミとかあったらなあ。いい夜になるのに。
まあ深夜に買いに行くことで手を打つとしよう。

久々のワインと葉巻。KEITH(キース)のアロマローストを愛煙している。
他にもアップルやミントなどフレーバー展開されている。
でも僕はこの甘い香りが好きだ。メープルのような。僕は甘党でもある。
チョコレートやカフェラテ、プリン、ジェラート、甘いものにはどうしても目がいってしまう。悪いことではないだろう。
歯磨きさえきちんとすれば。

ぱっと適当に手に取ったのは黒猫のラベルのワインだった。
なんて名前だったかな。ツェラーシュヴァルツなんとか、だったような。
樽の上に黒猫が乗ったワインは味わい深くて美味しい、とかそんな都市伝説のようなものにあやかってのデザインだった気がする。
それにワインてどれも名前が面白いよなといつも思う。

この葡萄の甘さがなんとも言えない。
1000円ほどの価格でこれだけ癒してくれる。
値段で選んでるわけじゃないし、値段で決まるものじゃない。と僕は思う。楽器も然り。要は相性だと思う。
職業柄かジャケ買いすることもよくある。このワインもその内のひとつだ。

ルイからメッセージがきた。

「ソウマくん、カーテン開けてみて。」

指示通り、開け放つと、そこには朧月があった。
と同時に着信音が鳴る。咄嗟に受けてしまった。

「もしもしルイです。」

声を聞いた時、脳が考えることを拒んだ。
なんというかフリーズした。
まず、今夜は月が見えない予定だったこと。
そして声の主、ルイは女の子だった。
一人称が僕だったのと、女性的な会話もなかったため
男だと思っていた。

「ソウマくんですよね?聞こえてますか?」
「あ、ごめん。聞こえてるよ。」
「声に透明感がありますね。」
「そう?言われたことないな。てか、女の子だったんだ。」
「あ、え、はい、女の子です。一応。月、見えてますよね?」
「うん、見えてる。なんとかやっとって感じだね。」
「でも見えてるには見えてるんですから!」
少し語気を強めてルイは言う。
「あ、でも突然鳴らしてすいません。なにしてました?」

僕は未成年だし、それは明かしてしまっている。
今していることは、一般的にイメージが良くないかもしれない。

「猫と遊んでたよ。黒猫。」
「おーーー猫!かわいいですよね。黒ってところがまたすごく素敵です!」
「いいよね。なんか品があってさ。」
「賢そうに見えるというか、カラスも賢いですもんね。」
「あ、月見えなくなったね。」
「本当ですか?え、見えますよ?」
「僕のマンションからは見えないよ?」
「そうですか。。。じゃあ残念ですけど、またお話したいです。」
「うん、是非、おやすみ。」
「はい、おやすみなさい。」

見えていた。
月は雲に包まれながらも見えていた。

話したくなかった訳じゃない。
ただ、こんな僕でも、僕の中にも虎と馬がいる。

それは僕の想う気持ち。忘れたくない想い。

自分の何気ない嘘があの日のことを
明瞭に脳か身体のどこか、それかいずれも支配した。
前頭葉なのか海馬なのか、はたまた脾臓なのか。
分からないけれど。

誰かにはきっと言われる。
いつか来る日がその日だっただけだよと。

自分じゃない誰かになりたかったという気持ちは
いつしか僕を嘘製造機へと変えていた。
まるで呼吸するかのように嘘を吐いている。
ただ純度120%の嘘ってのは人間つけるものでもないらしい。
僕だけかそれは分からない。どこかに本当の自分が紛れ込んでしまう。


黒い犬なら飼っていた。ラブラドール。
あいつは賢かった。優しかった。何よりも他を想う気持ちが強かった。
二人で川釣りに行った時。あ、一匹と一人か。その時に小学低学年くらいの
子供が流されて僕たちの前を溺れている様子で流され、横切っていった。
僕が思考を巡らしていた、それをみたあいつは1.2秒もかからないうち
数コンマの間に飛び込んで行った。その川は大人でも流されたら
身の危険を伴うほど流れは緩急があり、深い。
ラブならきっと、と願うことしかできない自分が情けなかった。

流された子は意識を失っていたが、その子の服を懸命に咥え、
ラブは戻ってきた。
当時、僕もまだ子供だった。
知識がないというのは、何よりも怖い。
何をすべきか、優先順位をつけるどころか
選択肢は、【大人に任せる】しかなかった。
その子の母親らしき人は僕たちを一瞥し、深く頭を下げ、
どこかへ消えた。
おそらく近くに車を停めていたかで、救命隊を待つよりも
自分たちで向かうことを選んだのだろう。

その後、その子は助かったらしい。
そんな報せが僕のもとに届いた。
僕はそうか、助かったんだ。と安堵を覚える同時に
それ以上に強く
「なんでお前だけが」と思ってしまった。

僕はあの夜、一晩泣き通した。
嗚咽を隠すこともできなかった。
僕とラブは何をするにも、どこへ行くにも、二つで一つだった。
二人で入れない施設や建物があの頃はまだ多かった。
今となっては不謹慎だと思うが、僕が聴覚障害があったり、
なにかしらの障害を抱えていれば、これだけ賢いラブなら
盲導犬だったりの役割を果たしてくれてどこにでも二人で
いけるのに。なんて考えてしまうこともあった。
あの時、僕が先に飛び込んでいれば、ラブの方が僕を待っていてくれたかも
しれない。

救助の後、元気に戻ってきていつものように二人で森を掻きわけ帰宅した。
その夜、あんなにぐったりして、辛そうな、そんな姿のあいつを
初めて見た。
僕は、責めに責めた。
自分を。
あの流されていった人を。

あの日は真冬だった。
低体温症みたいなものを引き起こしたのだと思う。
それに伴い、何かの合併症まで誘発されていた。
子供ながらにもそれに近い感覚、寒さでいまこうなっている。
というのは知覚できた。

もう、何をしても手遅れだった。
森を歩いている間に、ほとんどの体力が奪われていた。

ラブの命をこの手で亡くした僕は何もかもに興味を無くした。

程なくして僕の誕生日がやってきた。
その日はラブの誕生日でもあった。
切り株のような形を模したケーキ。
きっとブッシュドノエルとかそんな名前だったような気もするし、
あれ以来そのケーキだけは食べていないから定かではない。
その隣にはいつもいてくれたのに。
母さんが買ってきてくれたケーキ。
そのケーキを見て、また男のくせに咽び泣いた。
隣で「ごめんね。ごめんね。」と何も悪くない母さんが
涙声で謝り続けた。
どれくらいの時間が経ったか分からないが、そうしていた。

僕がやっと泣きやんだ頃、母さんが奥から何かを持ってきた。

「持っているだけでも、部屋に飾っておくでも、どう使うかはソウマの自由よ。あなたは名前の通り育ってくれた。真っ直ぐに誰かを何かを自分を想える人になってほしい。だから想真。あの子のことは忘れなくていいの。想うってことはね、忘れないってことでもあるの。皆で過ごした日々も、ラブが助けたあの子のことも、忘れなくていい。
そんな顔みたらラブも泣いちゃうよ。開けてみて?」

槍のようなそれは、楽器だった。

僕の今に繋がっている、おかげで今がある。

真黒なベース。
音楽のことなんて何も知らない。
ただ僕はその日からまた世界に興味を持った。
ラブの代りだとか、黒だったからとか、そんなことじゃなくて
ただただ当時の僕には重たいそれを想ってみたくなった。

今でもレコーディングブースや、ひとりでどこかへ行く時、
夜の海や、知らない街、持っているだけで
一緒にいるだけで強くなれる気がする。

僕にとってのお守り。

でもどうしても心の中で想ってしまう。

よし、ラブ、行くよって。


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