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2023年5月25日(木)

今朝はいったん4時に目が覚めた。それからなぜか頭も冴えて眠れなくなってしまい、どうにかもう一度寝ようと努力してみたが、精神的にものすごく疲れた。これほど辛いのならば起きてしまえと開き直ったものの、本を読み始めて20分ほどで眠気がやってきた。5時半頃に二度寝をして、起きたら8時ジャスト。いつもの起床時間に自然と目が覚めるのだから、迂闊にも目覚ましをかけ忘れていた今日は習慣に救われたし、一方では「目には見えない”いつもの時間”に、自分の体がこんなにも正確についていけるものなのか」と恐ろしさも感じた。

9時半に仕事を始め、13時まで働きお昼休憩。お昼ごはんを食べたあと、庭に出てハーブのお世話をした。最近は太陽が照っているからか朝に水をあげても土が乾燥しやすく、今日もお昼の時間にまた水をあげた。外はあたたかく、風も気持ちよかったのでそのままハーブたちを眺めながらのんびり。何をするわけでもなく、ハーブたちのそばに座りながら、ただぼーっとのんびりした。気づくと1時間も経っていた。ゴハンを食べる時間も含めた本日のお昼休憩、約2時間。

いま、わたしはフリーランスとして働いているので、時間の使い方の柔軟性はけっこう高いほうだ。会社勤めをしていた頃は内心で「お昼の休憩は1時間じゃ足りないよ!」といつも思っていた。まず、わたしは食べるのが遅い。人も時間も気にせずに食べていいと言われれば、一人で黙々と食べても30分以上はかかるのではないだろうか。15〜20分は余裕で超える気がする。そのほかに「食後にコーヒーを飲んで一息つきたい」「歯磨きをしたい」「ATMでお金をおろしたい」「ぼーっとしたい」「すこしお散歩をしたい」「ちょっと仮眠したい」「お菓子かアイスを買いに行きたい」などの欲求が生まれたとすれば(日によってやりたいことは若干違うけれど)、わたしのお昼にやりたいことリストは1時間ではおさまらない。お昼休憩が1時間以内に収まっている人は、ほんとうにすごい。とても有能な人だと思う。

「お昼の休憩は1時間じゃ足らないよ!」と言ってはいるが、会社勤めをしていた頃も内緒で約1時間半のお昼休憩をとることもあった。しかも、頻繁に。幸いにも直属の上司は離れたところにおり(上司は本社、わたしは支社にいるという不思議な業務体系)バレたことはないし、注意されたこともない。意図的に時間をのばしていたというよりも、自分がマイペースすぎるせいか気づくと時間が経っていたことがほとんどだった。わたしは「決められた時間」に合わせて行動することと、団体行動がとても苦手なのだ。会社員として、社会人として生きていくには致命的な欠点だ。いやいや、もはや人間として大きな欠点だ。

ただし。お昼休憩を1時間以上とっていても、仕事はしっかりした。その日に終わらせなければならない仕事は時間内にきちんと完了させていた。なんなら人よりも多く業務量をこなすこともあったし、仕事は正確に早く仕上げるほうだったと思う。ところが時給制だったので、いくら決められた時間内に業務量をたくさんこなしたとしても結果的に「給料」と「業務量」と「質」が割に合わなくなる。給料が上がったとしても微々たるものだから「仕事自体は好きだし程々にがんばろう」という諦めも含まれたモチベーションで仕事をこなす日々だった。いま振り返ると「決められた時間は絶対にその場所にいなければならない」という縛りが最も苦手で、とてもじゃないけど、本来わたしは時給制で働いて許される人間ではないんだと思う。

こんなわたしでも働ける会社はあるのか。ちゃんと働くけれど、お昼休憩は2時間くらい必要。出社してもいいけれど、通勤も苦手だからたまに在宅で働かせてほしい。できれば定時もなくしてほしい。働きたい時間に出社して、その日の仕事を終えたらすぐに帰宅したい。ずいぶんと自分勝手な妄想だけど、それぞれが理想とする働き方を実現できるような選択肢がたくさんあれば、ポンコツなわたしでも立派な会社員になれるかもしれない。「自由」な働き方と保障の両方を追い求めるのは、贅沢なことなのだろうか。

ところで、アラームなしでもいつもの起床時間に目を覚ますことができるのに、なぜお昼休憩の時間はわからなくなるのだろう。なんとバランスの悪い人間か。


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