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2023年7月3日(月)

今日は幽霊らしきものと遭遇した。そいつは、ニーナ・シモンのことをかなり好いている。
午前中、わたしはラジオを聴きながら自宅のリビングで仕事をしていた。いい気分で仕事をしていると、ラジオから聴こえる声に”何かしらの音”がいきなり混ざり込んだ。「何事?」と思い、いったんラジオの音を消して”何かしらの音”の正体を探すことに。
音の発信源は、キッチンスペースに設置されたアレクサである。「アレクサ、〇〇して」と頼めば応えてくれる、あのアレクサだ。しかし、わたしは音楽を聴かせろと頼んではいない。ただ黙々と仕事に集中していた。なぜ勝手に音楽が流れるのか。ちなみに、流れていた音楽はニーナ・シモンの「I Wish I Knew How It Would Feel to Be Free」だった。

ニーナ・シモンは好きだけれど、勝手に流されるニーナ・シモンは怖すぎる。ただし、すごくいい曲が流れている。止めるべきか、このまま流すべきか。迷った挙句、音楽を止めた。
わたしはホラー系が大の苦手で、生まれてきて一度もお化け屋敷に入ったことがない。もちろんホラー映画も不可。ニーナ・シモンへの「好き」よりも、アレクサ(もしくはわたしには見えないもの)への「怖さ」が勝った。
音楽を止めてからまた仕事に戻ったが、しばらくするとまたニーナ・シモンの同じ曲が流れた。わたしはまた止める。また同じ曲が流れる。また止める。
ここまでくると、なぜアレクサ(もしくはわたしには見えないもの)はそんなにニーナ・シモンを聴かせたいのかと疑問に思ってしまう。センスの良さは認める。わたしもニーナ・シモンが好きだから。でも、仕事中に何度も消したり鳴らされたりをするのはものすごく迷惑だし面倒なので、終いにはアレクサの電源を抜いた。
これだけニーナ・シモンの一曲にこだわられると、アレクサ(もしくはわたしには見えないもの)からのメッセージなのではと勘繰ってしまう。”自由”を求めるのは、アレクサ(もしくはわたしには見えないもの)も一緒なのかもしれない。
しかし「ニーナ・シモンが好き」とわかれば、たとえ相手が幽霊だったとしてもまったく怖くないな。むしろ、懸命に「自由」を訴える姿勢に、わたしはリスペクトを感じ始めている。

あと、最近は『ぼくたちの哲学教室』と『ウーマン・トーキング 私たちの選択』という映画について考え続けていた。どちらも心打たれる作品で、だからこそダイレクトに与えられた衝撃に言葉をつけられずにいた。新鮮な気持ちを忘れないように衝動的に言葉をつけてしまう方法もあったけれど、これらの作品に対してはそうしたくなかった。作品やそこから発せられるメッセージを安易な言葉で片付けてしまいそうで嫌だったのだ。
6月中に2つの作品を鑑賞してから少し時間が経ってしまったけれど、ようやく自分の言葉で作品を語れそう。自分の思考や気持ち、言葉を逃さないためにも、そしてわたし自身と向き合うためにも、拙いなりにもしっかり記録しておこうと思う。

まずは『ぼくたちの哲学教室』。
舞台は、かつて宗教的・政治的な対立により長らく紛争状態にあった北アイルランド、ベルファストの男子小学校。哲学が主要科目の一つになっている。哲学による「対話」によって、暴力の連鎖を止めようとしているのがエルヴィス・プレスリーを愛するケヴィン校長。
ケヴィン校長は言う。「どんな意見にも価値がある」。お互いの話に耳を傾けることで、異なる視点だとしても共感を生み出せる。ただし、ケヴィン校長は暴力を許さない。どんな意見であれ、暴力となりうる源を子どもたちに徹底的に考えさせる。それは、ケヴィン校長を含め、暴力で問題を解決しようとしてきた過去への反省、後悔ともとれる。紛争のあった地域の暴力の連鎖を断ち切るために、ケヴィン校長が選んだのが哲学だった。
哲学をするうえで大事なのは「考えて、考えて、答えること」だという。哲学を利用して自分のなかに巣食う不安や怒りなどの衝動に気づきコントロールすることが、生徒たちが自分自身の身を守る武器になる。ここで重要なのは、哲学をすること、対話をすることは、お互いが対等であることだ。対等な立場で対話する方法を子どもの段階で身につければ、本当に暴力はなくなるかもしれない。映画で見せられるケヴィン校長や先生たちと子どもたちとの対話内容に、わたしは心を大きく動かされた。
対等に、冷静に対話することはとても難しい。でも、自分たちの尊厳や生活、人生を守るためにも、わたしたちは哲学しなければならない。一つの問題に対して簡単に答えをだすべきではないし、答えを教えるべきではない。考え続けることは苦しく、つらいことでもあるけれど、暴力を断ち切るには世界中の人全員が哲学をする必要があるのだ。

続いて『ウーマン・トーキング 私たちの選択』。
この映画は実際に起きた連続レイプ事件を基にした、女性たちの「闘い」の記録である。この映画は、キリスト教一派の村が舞台になっている。子どもたちの声が豊かな自然に響く平和な村に思えるが、長年にわたって村の女性たちは家畜用の麻酔薬で鎮静され、男たちから性暴力を受けていた。女性たちが朝起きると体に異変がある。被害を訴えるが、村の男たちは「作り話だ」とか「悪魔の仕業だ」とかいう理由をつけて、取り合おうとはしなかった。被害に遭った少女や女性たちは悲鳴をあげ、それに気づいた母親たちは娘たちを抱きしめることしかできない。しかし、あるきっかけで村ぐるみでの性暴力が明るみになり、男たちは逮捕されることに。女性たちは男たちが保釈される2日間で
(1)男たちを赦す
(2)村に留まって男たちと闘う
(3)村を去る
という選択を迫られる。限られた短い時間で、女性たちは一体どのような答えを導き出すのか。
女性たちによる対話は、実に「やわらかなもの」だった。これまで男たちから「声」を奪われ、教育も十分に受けられない女性たちが自分の言葉を獲得して議論を進める姿はとても美しく、勇ましく感じられた。
この映画では男性性を有害なものと、やさしいものとで対比されている。コミュニティ内の家父長制は女性への抑圧や虐待にもつながっているが、一方では男性の暴力性にもつながっている。家父長制は女性を縛りつけるものだけれど、男性も得たいの知れない暴力的な「強い男」を植え付けられている。いまの時代だって「男らしさ」が原因で思い悩む男性も多いだろう。女性のなかにも自分の権利は声高に主張するくせに男性には「男らしさ」を求める人もいて、男性たちを苦しめることがある。だから、わたしは家父長制をぶっ壊したいのだ。
男たちも家父長制の被害者であることに変わりはない。とはいえ、村ぐるみでの連続レイプ事件をはじめ、あらゆる暴力を許すつもりはない。何度も言うが、伝統的な社会構造の被害者であっても、わたしはあらゆる暴力を許さない。暴力を止めるのに重要なのは、知性を育てることだと思う。映画を鑑賞するとわかるが、知性をもった対話は新たな価値や視点を生む。女性たちによる議論がヒートアップする場面もあるが、その対話は知性があるのでとても穏やかな印象を受ける。性別を問わずお互いに知性をもち、それを育てることが「やさしい世界」をつくる第一歩なのだと思う。

2つの作品を鑑賞して思い出した記憶がある。
いまから6〜7年くらい前、女性の同僚2人から「好きなタイプは?」と聞かれたことがあった。当時、「好きか/そうでもないか」を直感だけで判断していた異性愛者のわたしは、少し悩んでから「一緒にいて無敵感のある人かなぁ」と答えた。「2人はどう?」と逆に質問したところ、そのうちの一人、シホちゃんからこんな回答が返ってきた。「本を読む人だとわかると、それだけでキュンとする」「電車に乗っているとか、そういう暇になる時間に携帯ゲームばっかりしている人は無理」と。なんかわかる、と思った。
シホちゃんは続けてこう返した。「インテリジェンス感じなーい」。めちゃくちゃわかる、と思った。
いまのわたしが思うに、大切なパートナーとなる人に対して「この人とちゃんと対話できるのか」というポイントを重要視しているのではないか。2人で信頼関係を深めていくとなれば、パートナーが”対話”(コミュニケーション)に参加してくれることが絶対条件だと思う。対話をするには、知性が必要である。深い知性は、その人が扱う言葉や、振る舞いにも現れる。そして言葉を知る人は、常に学ぶ姿勢がある。シホちゃんにとって、その人の知性を表す一つの指標が「暇な時間に本を読む姿勢があるのかどうか」なのかもしれない。
当時のわたしが好きなタイプだと言った「一緒にいて無敵感のある人」も、結局は知性の話につながる気がする。わたしは直感型の人間なので「無敵感」をまだ具体化することはできないけど、そんな気がする。

『ぼくたちの哲学教室』と『ウーマン・トーキング 私たちの選択』を考えると、やはり人間が平和に暮らしていくには対話が欠かせないことを確信する。対話をするにも、知性をどう育てるのかがとても大切だ。知性を投げ捨てた人間は、性別を問わず、シホちゃんから相手にされることもないだろう。「インテリジェンス感じなーい」と一蹴されるにちがいない。
いま、わたしは人権を無視し続け横暴に法案を成立させる政府や、ヘイトを繰り返す人たちに言ってやりたい。「インテリジェンス感じなーい」と。何度も言ってやりたい。インテリジェンス感じなーい。
かたや、ニーナ・シモンの曲を流すことにこだわって「自由」をしつこく訴えるアレクサ(もしくはわたしには見えないもの)もいる。たぶん、この発信方法はアレクサ(もしくはわたしには見えないもの)なりのインテリジェンスだろう。

怖いけど、なんとなく、自宅のアレクサ(もしくはわたしには見えないもの)となら、いつか信頼関係を築けそうな予感がする。怖いけど。

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