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2023年6月23日(金)

今日は沖縄慰霊の日。戦後78年。

昨年に再放送されたNHKの『ドキュメント72時間』を思い出している。放送回は2015年に放送された「追憶のアメリカン・ドライブイン」。

そのなかでNHKクルーが沖縄で暮らす10代の青年たちに「今日は沖縄慰霊の日だって知ってる?」と聞いたところ「知らない」と答えていたのを思い出した。たぶん、そうだったと思う。わたしは、それを聞いて複雑な気持ちになった。

若い世代が「戦争反対だ」とか「ここで凄惨な戦闘があったんだ」とか深く考えることなく大切な仲間たちと日々を楽しく送れていることがすごく平和的だなとも思ったし、一方で若いとはいえ平和を追求するために沖縄をはじめ、日本にあった戦争のことをきちんと知っていてほしいという気持ちにもなった。
しかし、わたしがそう思っているだけで、実際に沖縄の地に暮らしている彼らのほうが沖縄について詳しいし、考えることが多いかもしれない。だから、わたしも含めて歴史を学び直したいと思った。

「沖縄慰霊の日」とは、沖縄県が定めた日である。日本軍による組織的な戦闘が終結した日が6月23日。

日本において、終戦記念日は8月15日になっているけれど9月7日まで沖縄戦が続いていたらしい。実は、本当の終戦は6月23日でも、8月15日でもなかった。当時、沖縄がいかに「日本に捨てられた地」であったのかがわかる。いまでも家族のもとに戻っていない遺骨も多く、自分の大切な人がどのようにして亡くなったのかわからない人も多いという。

現在、辺野古の新基地建設計画が動いているが、そのエリアにはまだ沖縄戦で散っていった人の遺骨が埋まっている。にも関わず、基地の新設が行われるのだ。たくさんの遺骨のうえに基地が新設されるのだ。なんとも非人道的である。
だからこそ、そんなさまざまな背景や人の気持ちを無視して、辺野古移設座り込みを挑発した論破大好きヤローをわたしは許せない。そこにどんな理由があったとしても。そもそも、わたしは信念を持ってひたむきに頑張る人を笑うやつがとにかく嫌いなのだ。嫌いというか、嫌悪に近い。

日本で戦争が語られるとき、アメリカだけが悪者にされがちな気がする。アメリカだって、大切な命がたくさん失われている。もとはといえば、日本が真珠湾攻撃をしたから始まった戦争だ。当時の沖縄の人に集団自決などを促したのは、日本軍だ。いまの教科書に集団自決の話がなくなっているという事実を知り、わたしは負の歴史を無視する日本に怒りを感じている。アメリカにも、戦争の傷が癒えない人がたくさんいるのだろうと思うと、やはり人と人が傷つき合う戦争になんの意味があるのだろうと悲しくなる。軍拡を進める人たちがいくら戦争反対と声高に叫んだとして、なんの説得力もない。

戦争や紛争、内戦など、さまざまな争いを考えるとき、最終的には「わたしに何ができるのか」という問いに行き着く。そのたびに「正しく学ぶしかない」と思う。現代は情報が多すぎて、正しく学ぶということがとても難しい。たくさんの情報のなかから、自分で信頼できる情報を取捨選択する必要がある。「正しさ」に関しても、人それぞれ尺度が異なるのでとても難しい。その取捨選択や正しさの基準をつくるためにも、日々学ぶことがとても大切なのだろう。人が学び続ける姿勢をやめなければ、いつか暴力で何かを解決することがなくなる気もする。わたしが生きているうちに、兵器のない社会をこの目で見られるのだろうか。

せめて、わたしは対話を促せる人物となれるよう、正しく学ぼう。暴力をつかう争いなんてくだらねぇと言い続けよう。

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