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2023年5月22日(月)

GW前に植えた種たちが芽吹き始めた。コリアンダー、クレソン、青ちりめんしそ。残念ながら、同じタイミングにまいたスイートバジルとカモミールの種は一切応答なしである。特に青ちりめんしその種は「もうだめか」と諦めようとしていたところ、最近になって芽がでたのでウキウキしっぱなしだ。

芽が出たばかりの「青ちりめんしそ」

小さな、小さな、愛おしい芽を一つ一つ見るたびに「がんばれ〜」と心の中で声をかけながら水をあげる。こうして種から植物を育てていると、種から芽が出るのは当たり前ではないと実感する。たくさんの種をまいたはずなのに、芽吹いたのは3分の1程度。ハーブを育てる前に「土の中に種をまいて水をあげれば芽が出て実がなる」と思っていた常識はくつがえされた。種をまいて芽がでるのは当たり前ではない。何かしらの条件がきちんと整わなければ芽はでない。自分がハーブを育てるようになってから、スーパーで売られているお野菜の背景には生産者の並々ならぬ努力があるのだと痛感するようになった。よく「規格外」といって廃棄されてしまうようなお野菜が安く売られているけれど、そんなのどうだっていいじゃないか。美味しさは変わらないんだし安くする必要もないじゃないか。流通の面から「規格外」としてお野菜を選別しているが、そもそもお野菜や果物などの実がなっていること自体が凄いことなのに、見た目で「売れる/売れない」「価値が上/下」を判断しなければならない現実に嫌気がさす。規格外で安くなったお野菜や果物だとしても、おいしく提供してくれる生産者の方に感謝を忘れないことが大事だと思う。食料自給率が低い国内に限らず、海の向こうでわたしたちのために食べ物を育ててくれる人たちへ想いを馳せよう。

そして5月19日(金)から21日(日)まで、G7広島サミットが行われた。正直、わたしは「”平和を願う”ヒロシマで、このサミットを開催することになんの意味があったのか」と感じてしまうのだが、やはりこの国にはもう民主主義はなくなってしまったのだろうかと考えさせられる件があった。G7広島サミットが行われている裏では、商店街などでサミットの開催中止を求めるデモがあった。理由はなんであれ、デモ行進は憲法21条で保障されている国民の権利である。それにも関わらず、デモ隊と警察権力が衝突するニュースが報じられ、デモに参加した男性が機動隊から必要以上の暴力を受けたという情報も目にした。この報を受けて、わたしが真っ先に思い出したのがフランスのドキュメンタリー映画『暴力をめぐる対話』(ダヴィッド・デュフレーヌ監督/2020年)である。

民主主義の名のもとに行われる国家や市民の暴力。フランスではたくさんのデモが抑圧の対象にもなっており、武力によって死傷者も出している。世界中で警察と市民がぶつかり、多くの人が血を流している現実がある。しかし警察による暴力は、果たして、本当に、正当な行為なのだろうか。正義と暴力は、イコールになるのだろうか。「やられたらやり返す」という単純なループが、全員を苦しめている。暴力は暴力しか生まない。わたしはもう暴力による支配なんて見たくない。暴力でねじふせたからといって、その後には何が残るのか。憎悪や怒り、悲しみだけではないだろうか。暴力の結果、お互いが平和を感じられたケースはあるのか。絶対ないだろう。物事の解決手段に暴力を使う必要はない。暴力で解決しようとするのは、実に簡単だ。知性なんて、学力なんてなくともできる。しかし、わたしたち人類は考える頭もあって、実行に移せる感性もある。人類よ、そろそろ暴力ではない解決手段を模索し、対話をしたらどうなんだ。わたしは争いの解決手段に暴力が使われなくなるまで、しつこく理想を言い続ける。理想を言う人がいなくなれば、それこそ暴力的な世界になってしまうから。わたしはそんな世界に生きていたくないし、世界中の人もそんな社会で暮らしてほしくない。争いで何かを得たり解決しようとしたりしてきた人類の歴史に、そろそろ終止符を打っていい頃だ。

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