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変化に気づく力、なのか、変化する力なのか、またはその両方なのかー今さらながら?チーズはどこへ消えた?を読んでみたことで改めて思ったことー

色々と、年度末に、本を用立てたので、ひたすら読んでいる。ひたすら読む理由は、シンプルに2つ

①自身の研究にプラスになる可能性のあることをしっかりとインプットすること
②自身の教育手法や内容にプラスになる可能性のあることをしっかりとインプットすること

である。①については、ともかく、特に②については、あまり興味関心に引き寄せられすぎずに、選書も行ったので、普段は手に取らない本も多くある。今日は、その中でも今日はこんな本を読んだ。

私がおそらく高校生の頃に出た本である。(両親のどちらかがあまりにも売れているとかで買ってきていたような思い出がある)家にあったので、高校生の時にも読んだ気がするが、内容を読む限り、全く読んだことのない本のように感じた。

(外部の)変化に気づく力?(自身で)変化する力?

本の内容は、ぜひ読んでもらえばよいと思うのだが、大きくは、2つのことを意識させられた。

  1. 外部の変化に気づく力が必要である、そのためには、絶えず、周りに意識を向けることが重要。

  2. そのためには自分自身も変化していかなければならない。

、、、そうだよなと。でも、改めて、なぜそれができないのだろうか?変化を自分で気づいて、自分で変化していくことなのは賛成だが、「でも・・・」と言いたくなるのも事実。うーん、悩ましい。
そんなことを考えるきっかけになった。教訓はそのとおりだが、そのとおりを超える何かを一回考えたくなった。

自分で気づく、ということを教育の力を用いてどのようにするのか?

その上で、最近?、ずっと頭の中に巡っているのが、「自律」と「協働」である。大学教育の中で自分が貢献できることがこの力をどのように学生に身に付けてもらうのか、という視点である。また、高等学校を中心に探究学習の支援を行っている身として、4月は、スタートの授業設計や企画の相談だったり、各生徒の探究に関する初期の相談や支援の方法について相談をいただくことが多く、この本の教訓を「自ら理解してもらい、適切だと思われる行動に移す」ことをどのように教育活動の中で行っていくか。

心の師匠がよく語る「人は命令文では動かない」。。。ではどうする?

とはいえ、じゃあこれでうまくいくというものがあるわけではない。でも、探したり、実践したりしないと行けないのは分かっている。私には、幸いかな、それを一緒に考えてくれる人がいる。(いろいろな場所に)その中で、答えを引き続き探していこうと思ったところである。

最近のnoteの記事が物語っているのだが、あえてこの場では答えのようなことが全く書けておらず、モヤモヤすることが多いかもしれないので、申し訳ない気もするが、こういうこと考えているよ、とか、ここまでは考えたということを示しておくこともまた意味があるのでは?などとこの本を読んで改めて感じた。役に立つかはわからないけど書いておく。それが何かの役に立つかもしれない。

余談だが、読んで面白かった、だけではなく、今後どうするか、というような視点もう一押し与える工夫がこの本にはできている気がする。(詳しくは本を読んでもらったら良いと思う)その一押しは、個人的に学びの促進要因を作っている気もすれば、アクティブな学びを促進する教育的手法を用いている気もする。こういうプログラムは、改めて考えてみたい。

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