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消えた柔らかな感性

 お月様が輝けるステージに立ったと思ったら、すぐにそのステージから降りて、今度は新しいお日様が水平線から顔をだす。毎日毎日それの繰り返し。その度その度に、私の心は少しづつ落ち着きだして、大人になっていく。

 昔だったら狼狽えていたであろう大きなミスや、大きく気分が沈んでいたであろうとても悲しいことが起きても、「そっかぁ。」で済ませられるようになった。これくらいのこと、と私の心は椅子の上に座って微動だにしない。

 良いことだ、これは。以前よりも生きやすくなったし、他人に迷惑をかけることも少なくなった。心を大きく掻き乱されることもなく、自分のペースで生きていられる。

 
 でも

 それは同時に、物事を目の前にしたとき、心を椅子から立ち上がらせ、あれこれ敏感に反応して、あれこれいろんな気持ちになったり、あれこれいろんなことを考えられていた、あの柔らかな感性を失ったということでもあった。
 
 朝起きたら予定の時間を大きく過ぎていて、慌てて準備をして家を出た真っ白な焦り。好きな人からのLINEの通知一つで天に昇ったり、地に落ちたりしたあの浮かれた気持ち。母親に対して積もりにつもった真っ赤な憎しみも、やらかして100万単位の借金ができたぐしゃぐしゃな絶望も、当時付き合っていた19歳の彼女に、バイト先の35歳の既婚者の男性が好きだから別れてと言われ、量産され続けたクエスチョンマークも。

 その都度その都度、当時の私の心はこれでもかといっぱい動き続けていた。どん底まで落ち込んだり、わぁーっ!と喜んだり。
 楽しかったという表現はそぐわないかもしれないが、何か自分が感じたことのない、新しいものを見つけられた気がしていたのだ。でももう今の私には、そんな動きふためいていた心はない。これからも、恐らく私の心は大したことじゃ動いてくれない。

 間違いなく、あの未熟で柔らかな感性は、私の光でもあったのに。

 


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