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写真の普及で、絵画が廃れなかった理由



それは昔、

写真技術の誕生により、絵画の立ち位置が危なくなるのではないか。
と危機感を感じた美術家たちがいました。
彼らは後世に絵画文化を残すべく、当時の固定概念では考えられないような全く新しい表現を用い写真に対抗したのです。

最初は常識者から大批判を浴びました。気が狂ったのか!とパトロンから怒鳴られることもありました。
しかし、美術家たちは諦めませんでした。
大きな批判を受けながらも、新たな表現を模索し続けたのです。
その結果、大きな地位を築き後世で「天才」と呼ばれたのです。



みなさんこんばんは。
正月休みも終わり、いよいよ仕事始めですね。
2019年も頑張っていきましょう!!

さて、私ごとですが、東京藝大の教授の講義を受けました。
そこでの講義がとても印象的だったので、ここでアウトプットさせていただきます。

**
美術に興味のない人あまりにも画期的なテクノロジーが、それまでのテクノロジーを食いつぶす(いわゆる破壊的イノベーション)はよくあることです。しかし、新しいテクノロジーとそれまでのテクノロジーが「共生」している「写真と絵画」の関係**は興味深いものです。ぜひ見てやってください。


よろしくお願いします。




今回のテーマは

写真の普及で絵画が廃れなかった理由

まず、本文冒頭でも述べますが、当時ヨーロッパで写真が流行しました。
しかし、写真は絵画を超えず、より絵画の地位を固めさせました。

この理由を、過去の偉人たちを参考に考えます。


**では先に、

結論を言います。**

**①絵画にしかできないことを突き詰めた。

②哲学的な要素を含めた。**

以上です。



これらについて書きます。
よろしくお願いします。


目次
1、当時の因果関係
2、絵画にしかできないことを考える
3、そもそも絵画の役割
4、まとめ




1、当時の因果関係

歴史上に写真が登場して、人々は「絵画は何をあらわすか」について大いに悩みました。

この問いが誕生したのは20世紀初頭です。
その背景は、19世紀に発明された写真の影響を受け、絵画の立ち位置が大きく揺れていたことに由来します。

かつての西洋美術の絵画に求めるコンセンサスは「写実性や遠近法の正確さ」でした。しかし、写実性において、絵画はどう頑張っても写真(カロタイプ)には勝てないのです。


(写真)
ウイリアム・ヘンリー「開いた扉」
上の絵は19世紀のカロタイプ写真で撮影された作品


写実性を抜きにしても、作成時間も圧倒的に写真の方が早いです。

ピカソらを筆頭とするヨーロッパの美術家は、これらの古いコンセンサスを一蹴し、全く新しい絵画を確立します



2、まず、絵画にしかできないことを考えた。

写真に対抗すべく、絵画にしかないものを美術家は考えました。
結果3つのタイプが誕生しました。

①フォーブ(野獣)派
自由な色彩で、表現する。(アンリ・マティス)
②キュビズム
三次元を二次元に落とし込む。(ピカソ)
③未来派:
動きを表現する。(ジャコモ・バッラ)

いわゆる、写真に写らないものを描くことで勝負したのです。


ここでは有名な②に該当するピカソを取り上げます。

https://www.artpedia.jp/picaso-les-demoiselles-d%27avignon/ 引用

これは1907年に発表された「アヴィニョンの娘たち」です。

この絵は部屋のガレージで内密に製作され、当然発表された作品として有名です。
右上の女性がアフリカ民族チックなお面をしていることから、ピカソがアフリカにインスパイヤーされて描いた作品だとも言われています。


この絵画が発表された当時、多くの批判が起こりました。

理由はこれまでの美術のコンセンサスだった「写実性や遠近を全て無視した作品」だったからです。


それまでのピカソ(いわゆる青時代)では

「自画像」
©Photo RMN - ©Beatrice Hatala/distributed by DNPAC


こののような写実性の高い作品でした。


一つの説に過ぎませんが、

このように
絵画は、写真で写せないことを描くことで、差別化に成功したと言えます。


ここで紹介しきれなかった、①ファーブや③未来派の作品をお見せします。


①ファーブ派
(アンリ・マティス)緑の筋のあるマティス夫人の肖像

Point

夫人の顔に意図的に緑の線を足すことで、独特の雰囲気が出ています。
ファーブでは見えない色彩を自由に使うことで自由な表現をしました。
写真では、このような表現はできません。



③未来派
(ジャコモ・バッラ)鎖に繋がれた犬のダイナミズム

Point
犬の激しい動きを一枚絵に表現する試み。
未来派では新たな時代の要素にとても寛容で、運動や速度などの表現に肯定的でした。


ざっとしていますが、このような派閥が新たな表現で写真に対抗しました。




3、哲学的な意味を含ませた。

絵画の原点を考えた時、何かしらのメッセージを含んでいることがほとんどです。


例えば、「レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐」のように、絵画としての意味合いよりも、宗教画としても価値があるように絵画にメッセージを持たせることの容易さが絵画が廃れなかった理由だと言えます。


無論、写真にも意味を持たせることができますが、より抽象性を高め、哲学性をもたせることでその地位を確固たるものにしました。


この抽象性の高い絵画は変則的な法則や自然の摂理、または精神世界や宇宙の原理を示すと言われていて、現代アートに通じる部分があると感じます。


その例を3つほど紹介します。

①表現主義的抽象
精神的なものを表現する試み
②幾何学的抽象
対象を極限まで抽象化してバランスのみで表現
③思考主義的抽象
対象の不在で宗教的な崇高が強いもの


それぞれの例を紹介します。



①表現主義的抽象
(ワシリー・カンディンスキー)コンポジション7

Point
対象物がほとんどなく、色彩と形態のみです。
コンセプトは精神的なものの表現です。





②幾何学的抽象
(ピエト・モンドリアン)赤、青、黄のコンポジション

Point
これは有名なモンドリアンです。
具体的な対象はなく、色と線のみの構成です。
極限にまで抽象化された絵画であるといえます。





③思考主義的抽象
(カジミール・マレービッチ)黒の正方形

Point
真っ黒なだけの絵です。
あまりにも抽象化しすぎていて、少しずるい気も否めませんが。(苦笑)
対象が全くなく、「究極の真理」と言われています。



これらの絵画は写真では絶対にできない表現の好例です。
写真の優れた写実性に対抗すべく、絵画特有ののメッセージ性や新しい表現を取り入れることでより、絵画の価値を固くさせました。



4、まとめ


写真の普及で、絵画が廃れなかった理由


今回はこの理由をみなさんと考えてきました。


写真技術の発展の中で、絵画が廃れなかった理由は

①絵画の原点(物語や自由な表現)を大切にしたこと。
②固定概念にとらわれず、差別化できる表現を模索したこと。



絵画がもし、過去のコンセンサスに固執し、美術家が新たな表現を模索しなかったら完全に今とは意味合いが異なっていたと思います。


全く新しいテクノロジーが、過去のテクノロジーを破壊してしまうことはよくあることです。
ほとんどの場合、過去のテクノロジーは廃れ人々から忘れ去られます。

写真と絵画の関係は上手に平行を保ち、共生しています。



それは昔、

写真技術の誕生により、絵画の立ち位置が危なくなるのではないか。
と危機感を感じた美術家たちがいました。
彼らは後世に絵画文化を残すべく、当時の固定概念では考えられないような全く新しい表現を用い写真に対抗したのです。

最初は常識者から大批判を浴びました。気が狂ったのか!とパトロンから怒鳴られることもありました。
しかし、美術家たちは諦めませんでした。
大きな批判を受けながらも、新たな表現を模索し続けたのです。
その結果、大きな地位を築き後世で「天才」と呼ばれたのです。

そんな物語が存在するのかもしれません。(もちろんフィクションです)




今日はここまでです。

最後まで拝読頂きありがとうございました。


Ryu






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