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戦争と平和〜答えの共有と問いの共有を繋ぐ糸

このところ、思考を強いられ続けている。
立て続けに起きる重大事態への驚きと困惑、この混迷の時代にあって自分にはどんな生き方ができるのか、アサザプロジェクトには何ができるのか、いったい何の意味があるのか。無力感や絶望感に苛まれながら、深く考えずにはいられなかった。

葉しずくに  
平和もとめて  
灯す問い      龍動

ドストエフスキーの予言

今年の3月に起きたロシアによるウクライナ侵略は、世界中を震撼させた。プーチン大統領は核兵器の使用も厭わないと表明している。それに連鎖するように、台湾をめぐる米中の緊張も高まっている。第三次世界大戦や破滅的な核戦争へ発展するのではないか。重苦しい不安と恐怖が、世界を覆っている。

この時代にまさか侵略戦争が起きるなんて!

だが、振り返ってみれば、21世紀に入ってからというもの、世界中至る所で、決して越えられることが無かった一線を越えた、とんでもない出来事が続け様に起きて来た。これまでは社会の良識によって、辛うじて維持されてきた秩序が、次々と崩れ去っていく光景を、目の当たりにすることになった。

世界を支えていたものが崩れ去っていくという恐れと、この状況を前にして何もできないという無力感や諦めが、世界を覆っている。

混迷の時代に入って、人々の多くは危機や不安を抱きつつも、マインドは、今はとりあえず大丈夫、先行きが不透明なら、変わるのはむしろ危険、現状維持で行くしかないといった感じだ。若者を中心に萎縮した保守層が形成されつつあるようだ。

萎縮した保守化は社会全体を覆っている。リスクを恐れ未来への投資ができない企業は、膨大な内部留保(財務省が発表した法人企業統計によると企業の内部留保は516兆4750億円)を抱え込み。政府は金融政策を鳴り物入りで行うが、肝心の構造改革(未来に向けた体制の見直しと投資)は一向に進まない。国の借金はとんでもない額に膨れ上がり(「国の借金は過去最大の1255兆円に。1人1000万円超」)、この社会は停滞しただ漂流を続けながら何処へ向かっていくのだろうか。

現状維持に逃げ込む萎縮した保守化は、貧困や格差などの固定化にも繋がっている。全てが答え(そんなもんだ、仕方がない、諦め)の共有で固められ、誰も自分の問い掛けに応えてはくれない。未来に絶望し、自ら命を絶つ人が増え続け、死刑にしてほしいと言って無差別殺人を犯す若者まで現れている。社会にはストレスが充満し、家庭から学校や職場まで、巧妙に隠蔽されたハラスメントで溢れている。みんなが答えの共有(強要)から抜け出せない、行き詰まりだ。

混迷の時代に入り何が正しいかは結局誰にも分からない。多様化があらゆる所で進み人々が理解し合うのは困難に見えてしまう。その結果か相対主義と諦めが世界に広がりつつある。

高校生時代、ロシアの文豪ドストエフスキーの小説を読んで衝撃を受けた。作品の中に引き込まれてしまい、授業中も読み耽っていた。

ドストエフスキーの代表作「罪と罰」には、金貸しの老女を殺した主人公のラスコーリニコフがシベリアの監獄で熱にうなされながら見た夢が描かれている。

「彼は病気の間にこんな夢を見たのである。全世界が、アジアの奥地からヨーロッパにひろがっていく恐ろしい、見たことも聞いたこともないような疫病の犠牲になる運命になった。」

「全村、全都市、全民族が感染して、狂人になった。すべての人々が不安におののき、互いに相手が理解できず、一人一人が自分だけが真理を知っていると考えて、他の人々を見ては苦しみ、自分の胸を殴りつけ、手をもみしだきながら泣いた。誰をどう裁いていいのか、わからなかったし、何を悪とし、何を善とするか、意見が一致しなかった。誰を有罪とし、誰を無罪とするか、わからなかった。人々はつまらないうらみで互いに殺し合った。」

アサザプロジェクトは何ができるのか。

アサザプロジェクトが始まった1990年代と、今日の社会を覆う時代の雰囲気は大きく変わってしまった。この時代にアサザプロジェクトの存在意義はあるのか。途方に暮れながら考えていた。

その中で、浮上してきた言葉がある。アサザプロジェクトで常に追い求めてきたテーマ「答えの共有から問いの共有へ」という言葉だ。

この言葉の以前には、「管理から働きかけへ」というテーマもあった。そうだ!アサザプロジェクトは、霞ヶ浦の自然を壊す、力ずくの治水(管理)を行う国の政策に対するアンチテーゼとして、自然の働きを生かした人と自然のネットワークによる取り組みとして始まったのではないか。そして、プロジェクトのネットワークは、多様な人々との問いの共有によって広がってきた。

これまでの取り組みを振り返り、戦争と平和についても、アサザプロジェクトが追い求めて来たテーマを通して思考し、社会に新たな問いを、具体的な取り組みを通して投げ掛け、多様な人々と共有を試みてみたいと思うようになった。

どこかに答えを求め、答えにしがみつく人々。

戦争とは、一切の問いを排除し、指導者が発した命令という答えを、ただ受け入れるしかない究極の状況と言える。なぜ攻撃するのか?何のための戦争か?なぜ殺さなければいけないのか?といった問いを持ってしまえば、戦争を貫徹することなどできない。

戦争は、人々に、ひとつの答えを受け入れさせ、ひとつになることを強要する。

平和は、人々に、ばらばらなままでも繋がることはできるかという問いを投げ掛ける。

戦争は、権力者が出した答えを他者に押し付け強制する行為(自己を拡張しようとする精神の運動)だ。プーチン大統領は『ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について』という論文を書き自ら導いた答え(同じような妄想と言えば、すぐに思い出すのはヒトラーの「我が闘争」だ)を、ウクライナとロシアの国民に押し付け実行した。それは侵略ではないかといった問い(声)は、一切認めようとしない。問いの排除、答えの共有(強要)、それが戦争だ。

ロシアだけではない、いま世界は、答えの押し付け合いによる紛争や混乱に溢れている。混迷の時代、答えの見えない問いに直面した人々は、漂流をはじめ、見つけた答えがあれば手当たり次第にしがみ付き、決して手放そうとはしない。

対話を支えていた問いを見失った。

答えの見えない問いと向き合った時、人はどのように振る舞うのか。その振る舞い方によって、世界は大きく変わる。わたしたちは、今まさに、その変化を目の当たりにしている。

戦争は、対話による政治の失敗、問いの共有の放棄によって起きる。わたしは、この世界を曲がりなりにも支えてきたのは、答えが見えない本質的な問いを、人々が共有できていたからではないかと思っている。(今の宗教は、このような問いの支えになっているのだろうか。)

人々は答えることができない問いを互いに抱え、問いの奥に潜む不可知な何かを求めながら繋がりを維持し、対話の可能性を模索していくことができたのではないか。

どのようにしたら、問いの共有を取り戻し、手探りの対話を再開し持続させることができるのだろうか。問いの共有による対話こそが、正気を失いつつある世界に必要であり、今すぐに始めなければならない交流ではないか。

「あらゆる交流は何よりも、まず、共通なものの交流ではなく、交流可能性の交流なのである。」ジョルジュ・アガンべン 

対話、それは自分を場として開くことで実現する。分からないこと、知らないことを認め合い、問いを受け入れることで、人は自らを場として開くことができる。場として開くことで、想定外の出会いが起き、人々の中に連鎖し広がっていく。 

「我々が他者と交流できるのは、ただ、我々の内においても他者たちの内においても、潜在力に留まっているものを通じてである。」(アガンベン

可能性の選択から脱却することで、自分を潜在性の浮上する場にすることができる。そのような気づきが、行き詰まりや困難を乗り越えるために必要だ。それは、問いの共有によって初めて起きる出来事である。

逆に、問いの共有を諦め、他者とのつながりや協働の可能性を見失い、あるいは奪われた時、人々は個々の違いを超えた超越的な支配(独裁者、強力なリーダー、全体主義、権威主義)による一元化(一つになること)を求め、答えの塊となって安心しようとするのではないか。

そのような安心を求める動きは、日常の暮らしの中にある。

相対主義と小人政治の台頭

人々が問いの共有を諦めれば、たちまち相対主義に陥ってしまう。答えは、立場によって色々違うのは当然のこと。何が正しいか、何が真実かは人それぞれ見方によって異なるのが当たり前、あなたはあなた、私は私、いろいろな意見や考えがあるんだからそれで良いでしょうということになる。

相対主義といっても、客観的という訳でも、他者の意見や考えを認め尊重するわけでもない。相対主義は、むしろ何事も自分に都合良く解釈して理解しようとするのに便利だ。最終的に何が正しいか分からないのだから、何が正しいか事実かは自分が決めるしかないと、自分や自分と同質のコミュニティで固まり、思考を停止させてしまう。もう考えるのはやめよう!ああスッキリした!あとは、自分の意見に同意してくれる仲間(いいね)を増やしていけばいい。

実際、今の世の中は、自分に都合の良い解釈(答え)の下品な押し付け合戦に陥っている。公の場でも嘘はつき放題、自分に都合の悪い事実や情報を突き付けられるとフェイクだ、フェイクニュースだと言って開き直り、都合の悪い公文書は改ざんするか廃棄する。何が正しいか、事実かはすべて力関係で決めようとする、下品な指導者が次々現れ、殺伐とした世界ができつつある。

ロシアによる侵略戦争もアメリカ連邦議会議事堂乱入事件も、日本の国会での虚偽答弁や公文書改ざんや廃棄など、どれも根は同じではないか。

社会を分断し対立を煽る指導者たち

結局、答えを決めるのは数や権威の力がどれだけ大きいかということになる。答えを共有する仲間を増やしていくことが全てとなれば、正にポピュリズム政治の舞台が整う。その先、答えの共有は暴力装置に変わっていくのは避けられない。

選挙で不正が行われた、一部のエリートが陰で社会を動かしているといった陰謀論は、格差の拡大や富の偏在など、社会から疎外されていると感じ不満を抱く大衆に答えの共有(ああやっぱりそうだったのか!)を促し、人々を容易に強大な暴力装置に変えてしまう。この力を利用しようと、社会を分断し対立を煽り、政治を動かそうとする指導者が世界各地に現れている。

論語に、「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」という一節がある。今の時代、小人による政治が日に日に力を増しているように見える。

エリート主導の設計主義への不満を利用する独裁者たち

自由主義経済学者ハイエクが指摘しているように設計主義は一部のエリートが答えを共有し社会を方向付け、やがて官僚主義や権威主義、さらには全体主義に繋がっていく恐れを孕んでいる。  

設計主義は、未来を予測し計画を作成する専門家エリート集団と、その答えを受け取る大衆との間に分断を生んできた。予測不可能な混迷の時代になればなるほどその予測は外れ、計画に固執し柔軟性を欠いたエリートへの大衆の不満が増大していく。その不満を武器にエリート批判を展開し民衆を扇動する独裁者の出現や、動乱や革命といった極端な体制転換へと陥りやすくなっている。

かつて、ハイエクが指摘したような設計主義が独裁者を産む時代から、設計主義を批判するポピュリズム政治が独裁者を産む時代に変わってきたのではないか。

複雑に絡み合う力への意志に翻弄される世界

経済の自由化が進む陰で拡大する格差や富の偏在への不満が、社会に充満している。小人政治は、こられの不満を取り込み、多数派形成に巧みに利用している。

大衆の不満を陰謀論に集約させ社会を分断し、混乱に乗じて政権を握ろうとする政治家や、逆に、大衆の不満を威嚇で潰し設計主義を押し通す権威主義国家が勢力を増している。  

世界では民主主義国が減少する一方で、独裁国家や全体主義国家が幅をきかせ、民主主義国の内部でも、排他主義を主張する極右政党が勢力を伸ばすなど、民主主義は今大きな危機を迎えている。

しかし、状況はさらに複雑だ。設計主義や新自由主義などが単純に拮抗し合っているわけではないからだ。これに民族主義や宗教、様々な利権が絡み合い、理解不能、複雑怪奇という他ない。

何でもありの権威主義の拡大と民主主義の危機

複雑怪奇の背景には、何でもありの相対主義と分別を捨て去った権力者の意志があると思う。今強権を振るっている指導者に共通していることは、権力の維持と増大の為なら何でも利用しようという姿勢だ。

表向きは、政治的な主義主張をしながらも、実はノンポリで、その時々に利用できそうなものがあれば、宗教であろうと、カルト集団であろうと、詐欺商法であろうと、票に繋がり権力維持に利用できそうなものなら、何でも利用ようとする。彼らにとっては、権力の維持や増大が目的と化しているからだ。果てしない権力への意志が産んだカオスが、方々に広がっている。

今日もっとも成長著しいのは、政治の設計主義と経済の新自由主義を合体させたハイブリッド国家かもしれない。人権や表現の自由に対して抑圧的であるのと同時に、市場の自由化を主張する経済至上主義でもある。権威主義を押し通しながら、これは新しいタイプの民主主義だと豪語して憚らない。

このハイブリッドを実現させたのは、世界の中心(中華)になるという強大な権力への意志ではないか。中華という巨大なブラックホールが出現しないことを祈るばかりだ。

解き放たれた権力への意志がつくるカオスに翻弄される世界にあって、わたしたちに突き付けられているのは、それでも民主主義は可能か、民主主義とは何かという問いだ。

ソクラテスが投げ掛けた問い

設計主義や全体主義の源流には、古代ギリシアの哲学者プラトンが構想した哲人政治があるという人もいる。

ソクラテスは、プラトンの哲学の師だが、わたしは、ソクラテスこそが、今日の世界の混迷や民主主義の行き詰まりを予見し、警告を発していた先覚者ではないかと考えている。

ソクラテスの生き方、彼が未来の人間に投げ掛けた問いには、民主主義を実現させるために必要な重要なヒントがあると思う。

集中から分散へ導く智慧

答えの共有は「集中」を、問いの共有は「分散」を、人々や社会にもたらす。分散とは、ひとりひとり個へということだ。環境やエネルギーなどの問題や防災や治水など、いま社会の様々な分野では分散化が求められている。だが、本当の意味での分散化は、技術だけでは不可能だ。問いの共有を抜きにはできない。

実際、本当の意味での分散化は技術やシステムのみでは、実現できていない。分散化には、人間の知性の関与が不可欠になるからだ。それは、ひとりひとり、それぞれの知性が体験する問いをめぐる出来事(精神の運動)を抜きには実現できない。だから、分散化というテーマは面白い!

分散化は、人々を答えの共有から、問いの共有へと回帰させる精神の運動と言ってもいい。それは、民主主義の実現に不可欠な精神の運動である。民主主義も制度やシステムのみによっては実現できないことは、誰もが想像できると思う。そこに、人間の精神の運動が伴わなければ、形骸化は避けられない。そして、今まさに民主主義の形骸化が進んでいる。

平和は、草むらに宿る無数の葉しずくによって。

分散化は、平和の実現にも欠かせない。よく現実を見ろと言うが、たとえば、それが核戦争の脅威であっても、人々が国の代弁者となって考え意見を交わしている限り、状況は何も変わらない。ひとりひとりが自分自身の生を通して直接危機と向き合い、自分事として自ら思考し自ら問うことがなければ、平和への道を見出すことはできない。

平和は、国が出した一つの答えを人々が共有することでは、実現できない。平和は、ひとりひとりの問いの中からしか生まれないからだ。

平和と統一は、別物だ。平和は、統一によってではなく、分散によって実現する。

微かな光を放つ無数の葉しずくが、草むらの中に宿るように、人々によって問いが共有され、問いの共有を通して交流可能性の模索が行われることで、平和は初めて実現するのだと思う。

力にはよらず、問いの力で世界を変える。

唯一、力にはよらず世界を変えることができるネットワークがあるとしたら、それは、従来からよく言われている連帯や共同といったものからではなく、問いを共有する個々人が自分を場として開くことで生じる、自分と世界に展開する、出来事としてのネットワークだと思う。

わたしは、誰もが、力によらず、今すぐにでも、出来事の連鎖の現場となって、バタフライエフェクトの様に、世界を変える起点となる可能性を持っていると信じている。それは、自己は拡張させようとする精神の運動(統一や統合)とは異なる連鎖による分散の運動だ。

だから、アサザプロジェクトでは、分散した多様な個によるネットワークをもとに、世界に潜在する可能性を浮上させようと様々な試みを行ってきた。

分散した人々を結ぶものは何かと問う中で、従来のコミュニティやイデオロギー等とは異なる、自然のネットワークに重なる人的社会的ネットワークを模索し続けてきた。この人的社会的ネットワークは、問いを共有する人々によるネットワーク、分散した多様な個によるネットワークでもある。

人々を場として開く政治〜説得をしない政治は可能か

このような人間の精神の運動は、どのような弾圧を受けようとも脈々と受け継がれていくものだと思う。自分を答えから解放し、問い(世界)に向けて開き、自分が場となった時に起きる想定外の出会いや出来事を、良き出会いの連鎖という物語に変えていく精神の運動は確かにある。

そのような出来事に満ちた祝祭的な人生(潜在的可能性)を取り戻したいという思いが人々を結びつけ、やがて大きなうねりとなって現れることがある。しかし、それは、人々を抑圧し管理しようとする全ての権力者が恐れていることでもある。

「実際にも、中国の1989年のデモにおいて最も衝撃的なのは、特定の要求内容が比較的不在であったことである。」アガンベン著 到来する共同体・天安門より

民主主義の危機が世界で顕在化している。その背景には民主主義の精神が議会などの特定の制度やシステムに吸収され、固定化や保守化、特権化に陥っていることがあると指摘されている。だからこそ、今すぐにでも、政治を、人々の生の現場に取り戻す必要がある。

この課題については、以前この巻頭言でも「生きるための政治」(ブログ いいじまひろしnote .comをご覧ください)を提言したが、民主主義の実現には、説得をしない政治が必要だと思う。答えの共有(部分最適化)によって起きる分断や対立から、問いの共有(全体最適化)へと人々を促す政治、つまり、知性によって開かれた政治への転換が、今こそ必要だと考える。

ディベートでは、変わらない。

最近は、ディベートを学ばせる教育機関もあるようだが、問題や課題の解決に向けて相手を説得し答えを受け入れさせるディベート(決着をつける)という方法では、相対主義は克服できないし、現実の壁を乗り越える創発を起こすこともできない。(最近は論破という言葉が一部で流行っているようだ)

意見や考えの対立を乗り越えるために必要なこと、それは、意見や考えに囚われ閉じてしまっている人々が、開かれていくことだ。開かれによって、対立を産む現実の壁を溶かし対話の可能性を見出すことができるようになる。開かれとは、つまり、創発が起きる場、つまり問いの共有だ。

対立する人々に対して、答えを押し付け受け入れさせる説得ではなく、問いの共有へと導き、想定外の出会いが起きる場を開くことが、政治に本来求められる機能だと思う。

ひとりひとり唯一無二の個人が、ひとつに溶け合うことなく協働で、社会的課題に取り組むことができる活動空間は、どのようにしたら可能かという問い。それは、常に政治に求められる哲学的課題でもあ理、アサザプロジェクトが追い求めてきた課題でもある。

後には問いだけが残り、答えは何ひとつ得られなかった。

民主主義を支える精神の運動の重要性を、私に気付かせてくれたのは、ソクラテスだ。ソクラテスは何にも答えないし何も教えようとしない。彼は、自分の信念や理念で相手を支配しようとしない、だから、自分も真理を有しているわけではないと正直に相手に明かすことができる。

彼は、対話を通して人々が抱いている信念や理念を吟味し(思い込みを取り除き)、人々を本質的な問い(もっと深く理解したい・知への愛=哲学)へと回帰させようとした。

答えの共有から問いの共有への転換。彼の対話の行き着く先には、これ以上先に進めない問いの行き止まり(アポリア)がある。対話の終わりには、いつも「まったくもって、わしにもそれが何なのか、皆目検討がつかなくなってしまったよ」というソクラテスの当惑の言葉がある。そう、アポリアは、全ての人を同じ起点に立たせる。

こうして、知識や智慧を得ようと、ソクラテスと対話した者の誰一人、求めていた答えを得ることはできずに対話は終わる。

問いの現場へと産まれ直す。

ソクラテスは対話を通して、若者たちを答えの見えない問いを抱えている現実(人間存在の本質)に回帰させようとしたのだと思う。他人の考えや見解や社会通念などといった答え(思い込み)に縛られていた若者をそこから解放し、彼らをもう一度すべての人が共有する根源的な問い(人間存在の本質)と向き合えるようにしようとした。彼は、それを助産術に例えた。彼は産婆となって、若者たちが問いの中に生まれ、生き直すための手伝いをしようとした。

しかし、彼の精神の運動は、時の支配層からは疎まれ、若者たちを惑わす危険思想と見做されていった。その結果、彼は裁判にかけられ死刑判決を受けた。

「若者たちはしばしばわたしの真似をして、他の人々を吟味しようとするのです。そうして、どうやら彼らは、何か知っていると思っているが実はほとんど何ひとつ知りはしない人間たちを、惜しげもなくたくさん見つけ出してしまったのです。」プラトン著「ソクラテスの弁明」

彼は自らの死をもって、問いの共有(民主主義)の可能性を求め永遠の問いかけを、人類に残したのだと思う。「それは、他の人をおとしめることなく、自分自身ができるだけ善い人になるよう励ます。そういう解放です。」同上

ひとりひとりが暮らしに立ち返る分散化

集中から分散へ、分散を促す精神の運動について考えてきたが、それを人々の暮らしの場から立ち上げ展開した創造的な取り組みがある。インドを独立に導いたガンジーによる塩の行進や糸車の運動だ。

わたしは、ガンジーの存在を、小学生の時に祖母から教えてもらった。その頃は非暴力という言葉の意味を十分に理解できなかったが、少し後になって、塩の行進や糸車の運動を知り、衝撃を受けた。わたしは、ガンジーの創造的な生き方に深く共感し、そのような生き方に強く憧れるようになっていった。(アサザプロジェクトは、ガンジーのこれらの運動から多くのインスピレーションを受けて始まった。)

管理から働きかけへの発想転換を促したガンジーの独立運動

ガンジーは英国による植民地支配からの解放を、管理から働きかけへの転換によって実現したのだと思う。インドは当時植民地として統制され、人々の暮らしの隅々まで管理されていた。その象徴とも言えるのが、人々が生きるのに欠かせない塩の専売制だった。

1930年、ガンジーたちは塩の専売に反対し製塩のために内陸部のアフマダバードからダーンディー海岸まで386kmを人々と共に行進した。この行進が、インドを独立に導く大きな転換点になったと言われている。

ガンジーは全ての人が生きるために必要とする塩という、暮らしの中にあって当たり前の物を、植民地支配(管理統制)からの解放を象徴する物へと変えてしまった。

古代中国から伝わるとされる故事「物を開き、事を創める」とは、まさに、このことだと思う。

ガンジーは、管理から働きかけへの発想転換を促した。そして、それは集中から分散への発想転換でもあった。力と力が対立する次元から、別次元(非暴力)へと人々を導く(創発的)発想だ。管理統制による支配(集中)からひとりひとりの暮らし(分散)へと、人々に働きかけ、やがて、人々の中に芽生えた問いが共有され、社会を動かす精神の運動へと発展し、インドを独立に導いていった。それが、わたしのイメージの中の塩の行進だ。

答えの共有が目的化して、問いと向き合う時間が奪われる。

「これはわかったね」「それでは次の学習に進もう」答えの共有ができたら、また次の答えの共有へと、学習が次々と進んでいく内に、本当に分かるという感覚が失われていく。学生時代、こんな喪失感を多少でも感じた人は多いのではないか。

問いと向き合って当惑したり、躓いて行き詰まるといった体験を許さない教育は、本当に分かるという体験を教えることができない。(人は本来その人の本性=自分に合った方法に従って何かを知ろうとするのではないか。)

その結果、簡単に分かった気にさせられる、分かりやすい答えや方法があれば無意識に飛びつき、自分で考えない、自ら問いを立てることができない、同調圧力に弱く、容易に洗脳されてしまう人間を作ることに繋がっていないか。

答えを導く方法を覚えさせられているだけで、問いの意味と深く関わる時間を奪われ、分かった気にさせられているだけではないのかという漠然とした疑問を、子どもの頃に抱くようになった。

問いが置き去りにされていく不安。

子どもの頃に抱いていた問いはいつの間にか忘れ去られていく。「そんなことは後で考えればいいでしょう。」「今はもっとやるべきことがあるでしょう。」大人たちの親切な言葉によって、子どもの心に宿った問いが置き去りにされていく。

でも、もしかしたら、その問いはあなたの人生を導き豊かにしてくれる掛けがいの無い問いだったのかもしれない。何のために生きるのか、なぜ勉強するのか・・・などなど。

「意味という答えようのない問いを立てることによって、人間は自分を問い続ける存在となる。」ハンナ・アーレント著 精神の生活

人間として生きるということは、いかに子どもを生き続けるかということではないか。

授業を受けていて、何か変だな、違うような気がするといった問いが、ふと浮かんできても、たぶんそう思うのは自分だけかもしれない、自分の思い違いかもしれないと、周りの空気を読んで自分に蓋をしてしまう。そのような自己規制が、いつの間にか身に付いてしまい習慣化していく。

わたしが授業に行く学校でも、小学3、4年生くらいまでは、生徒たちはその場で感じたり、閃いた考えを自由活発に交わし賑やかだが、5、6年生と上の学年になるとたちまち発言が少なくなっていく。 

共有された答えに支配されて生きる。

高学年の生徒たちはその場で思い付いたことよりも、知識や情報として確実そうなことを吟味してから慎重に発言しようとするようになる。その結果、物知りの生徒が授業をリードするようになり、授業はクイズ番組のように進み、創造性は失われ問いの連鎖は起きなくなる。

そこで、高学年や中高生を対象とした授業で、わたしがまず立てる目標はというと、生徒たちの蓋を外すことだ。蓋を外しても大丈夫だよと、生徒たちに気づかせようとしている。

人は蓋をしたまま大人になると、いつも専門家の意見や考えに頼り、できるだけ発言を避け、自分の意見を言おうとする時にも、一々「これはわたしの思い違いかもしれませんが」とか「わたしの個人的な意見に過ぎませんが」といった、よく聞く言葉を前置きにするようになる。

民主主義の危機と教育の失敗。

とりあえず分かったでしょうと、納得させさようとする同調圧力や、どんどん先に進んでいく学習から置いて行かれるのではないかという恐怖心が、いつも教室を覆っていた記憶がある。こんな所に居ていいのか。何か大切な感覚が失われていくのでは。そんな不安を抱きながら学生時代を過ごした。

民主主義の危機の背景には、教育の失敗があるといったら言い過ぎだろうか。そう思うわたしは子どもたちと接する時に、いつも心がけている事がある。

子どもたちに必要なのは、答えを与えてくれる大人ではなく、子どもたちの分からない(問い)を共有し、当惑を隠さない(ソクラテスのようにわたしも真実を有してはいないと言える)大人だと。

自分自身で問いと向き合うことを忘れ、答えを誰かに与えてもらう、答えを与えてくれる人を探す、そのような生き方に慣れてしまえば、カルト宗教に入信したり、陰謀論を唱える政治家に洗脳されたりといったことも起きかねない。実際に、そのような世の中になっていないか。

ネット社会の限界

人は誰でも、頼りになる答えを見つけて固執し、同じ答えを共有する仲間と固まりになって閉じてしまう恐れがある。ネット社会が到来して、様々な垣根や壁を越えた交流やネットワークの可能性は拡大したとしても、それは未だ技術の領域を越えていない。

分散を促す技術には、分散に向けた精神の運動が伴わなければ、結局は幾つもの閉じたコミュニティ(自己を拡張しようとする場)を量産するだけだ。それは、SNS上での人々の動態を見ていていつも感じることだ。

民主主義を実現するために政治が発揮すべき機能は、答えで固まり分断し対立している人々を、一度問いに立ち返らせ、問いの共有によって結び直すことではないか。だから、政治は政治家だけに任せるものではない。政治とは人が善く生きる為のもの(アリストテレス)だからだ。つまり、政治は全ての人が行うものだ。

さて、今の世の中を見て、ソクラテスはどう思うだろうか。彼は、答えの共有によって社会が行き詰まることや、いずれ訪れる人間社会の危機を紀元前5世紀に予見し警告を発した先覚者かもしれない。

ひとりひとりの出来事を生かしたいから、弟子はひとりも持たない。

私が思いつく、集中から分散へと精神の運動を導いた先覚者に、親鸞がいる。彼は常識外れの不可解な言葉を数多く残した。彼の言葉は、今も人々に問い掛け続けている。

その言葉の一つに「親鸞は弟子一人も持たず候ふ」(歎異抄)という言葉がある。宗教指導者なら誰でも、弟子を一人でも多く持ちたいのが常識だろう。ところが、彼は真逆のことを言っている。

彼によって語られた多くの言葉は、こんな風に相手の常識を覆し当惑させ、答えの共有から問いの共有へと導こうとする働きかけているように、わたしには思える。

彼は、混迷と苦悩に満ちた世にあって真実やまこと(弥陀の本願)に出会うという出来事を得るために、神格化された指導者やカリスマに答えを求め教え導いてもらうのではなく、ひとりひとり直に真の世界と向き合い、他力を受け入れ対話をすること(念仏)を人々に勧めた。

「弟子は一人も持たない。」実は、ソクラテスも同じようなことを言っていた。「わたしは今まで決して、誰の教師になったこともありません」プラトン著 ソクラテスの弁明。

人間を含む全てのものが生きていくために必要なものは、組織化やネットワーク化といった自力ではなく、この世界をつくり一つ一つの命を支えている、もう既にある無限のネットワーク(全体)である。そのネットワークに自己を接続させ、他力(他力というは、如来の本願力なり・親鸞)を感じ、今あるこうして在ること(すでに支えられて生きている)を有り難く思うことで、人々の魂を覚醒させ救済しようとしたのだと思う。

「世界というのは、自分のために、ここに存在しているものではなくて、自分に対して働きけているという。一つの方便として常に働きかけて来るんですね。そして、その働きの全体が如来だと」安冨歩著 親鸞ルネサンス。

ありがとうのつながり

自力とは閉じられた力、自分に向けて集約する力だと思う。そして、集約された力は、力の増大(自己実現)を求め、自己の拡張を促す。

他力とは自己から解放された開らかれた力、人生を出会いの場や出来事が生まれる祝祭的な場に変える力だと思う。

他力によって、人は良き出会いの連鎖という出来事の中を生きていくことができるようになる。それを、わたしは学校の授業で、ありがとうの繋がりという言葉で子ども達に伝えてきた。みんながありがとうの繋がりの中に入って、祝祭的な人生を生きることが、平和な世界を実現する為の一歩になるんだよと。

「自由な人間だけが、互いにもっとも感謝し合うものである」スピノザ著エチカより

良き出会いの連鎖(人生)は、その人自身が直に他力と出会い体験する以外に起きえない。だからこそ、親鸞は、彼の力(自己を拡張する運動)を頼りに、救いに行き着こうとする弟子を持つことを拒み、救いを求める人が、それぞれの本性=自分の方法に従い直に他力に出会うという唯一無二の出来事(その人にとっての、その人にしか起きえない、掛け替えの無い体験)を守ろうとしたのだと思う。彼は、人々からその機会(自由)を奪おうとしなかった。それは、親鸞の人々への信頼と愛の証だった。

ふたつの魂を繋ぐ不思議な糸

以前、安冨歩さんが「スピノザは親鸞の影響を受けている」と言っているのを聞いて、びっくりしたことがある。しかし、後になってから、安冨さんの洞察力の深さに気付いた。スピノザと親鸞の両者を繋いでいる精神の運動があることを知ったからだ。

スピノザは、ひとりひとりの人間がそれぞれ自分自身で神即自然という真理と出会い向き合うための方法を探求した。彼も、問いの共有、分散という精神の運動を起こそうとした哲学者だと、わたしは考えている。安冨さんが指摘するとおり、ふたりの魂は確かに響き合っていると。

方法の共有が科学を発展に導いた。

スピノザと同時代を生きた哲学者デカルト(我思うゆえに我ありという言葉で知られている)は、近代科学思想の本流を作った哲学者として広く知られている。彼も人々を真理に導く方法を探求した。彼は理性を正しく働かせるためには、方法に従う必要があると考えた。

誰もが同じ世界認識に確実に行き着くことができる合理的な方法を、彼は考えた。その方法は、宗教や文化の違いを越え全ての人が共通言語(数学的な言語)によって共有し合うことができるという画期的なものだった。つまり、誰かひとりの発見であっても、科学的な方法に従えば誰でも同じ結果や答えを得ること(答えの共有)ができるということだ。

言うまでもなく、このデカルトの方法が、今日の科学の発展に繋がっていった。
けれども、デカルトの「我」は、自己を拡張する運動にも向かっていった。

「これは対象を不動化させる思考であり、つねに自分の尺度にあわせて考える思考である。知識を得ることを考える思考である。」レヴィナス    

科学技術の発展の中で置き去りにされていった問い。

デカルトが扉を開いた近代科学は、様々なものの構造を明らかにし操作する事を可能にした。科学技術の発展は著しいが、その発展の中で、問いの意味は大きく変わっていった。

「科学の歴史において重点が、ものが『なに』であり『なぜ』あるのかという古い問いから、それが『いかに』生じたかという新しい問いに移行した」「今や見られているのは、存在の概念ではなく、過程の概念である」ハンナ・アーレント

何かの現象が生じてくる過程を、実験室で再現できれば、その過程を操作することもできるようになる。新型コロナウイルスのワクチン開発も然り。新たな問いへの移行は、社会に飛躍的な進歩をもたらした。しかし、これらの問いを共有するのは一部の専門家コミュニティであり、その陰で全ての人が共有しているはずのもう一つの問いは置き去りにされた。

現代のバベルの塔

現代は、専門家による無数のコミュニティが形成され、それぞれのコミュニティ内でしか通じない専門用語によるコミュニケーションが行われている。まるで、聖書に出てくるバベルの塔の逸話ように。

「一部の専門家コミュニティが共有する」という、その典型は、原発や核兵器などの核開発だ。核による危機の背景には、本質的な問いの忘却(問いの共有の放棄)がある。

科学者自身が閉鎖的なコミュニティの中で自足し、本質的な問いを忘却し、人々との問いの共有を放棄している限り、科学者の社会的責任や研究の倫理をいくら問うても、形だけの対応しか期待できないのは当然だ。本質的な問いを忘却し、人々と問いを共有できない(閉じた)研究者たちによって、科学技術は暴走する(自己を拡張し世界を取り込む)恐れを常に孕んでいる。

「これらの微生物は知恵と意志を与えられた魔性だった。これにとりつかれた人々は、たちまち凶暴な狂人になった。しかも感染すると、かつて人々が一度も決して抱いたことがないほどの強烈な自信をもって、自分は聡明で、自分の信念は正しいと思いこむようになるのである。自分の判決、自分の理論、自分の道徳上の信念、自分の信仰を、これほど絶対だと信じた人々は、かつてなかった。」
                      ドストエフスキー著 罪と罰

ウナギの完全養殖

ウナギ(ニホンウナギ)が絶滅危惧種に指定された。激減したウナギをどのように保護していけばいいのか。これは、かつて国内一のウナギ産地であった霞ヶ浦再生を目指すアサザプロジェクトにとって重要なテーマでもある。

だが、この問題も、わたしたちの社会での問いの建て方は、「なにか」から「いかに(どのように)」に移行している。

「いかに」(過程の概念)という問いの典型が、ウナギの完全養殖に向けた研究だ。研究者は、ウナギの繁殖から受精、発生、成長、成熟といった生活史が、どのように起きているのか、自然の中で起きているプロセスを、実験室で再現し明らかにしようとしている。研究が成功すれば、ウナギ養殖をシラスウナギの海や川での採捕という自然環境に依存せずに、人工空間での管理で完結させることができると、期待されている。つまり、自己完結した管理(方法の共有化)を目指しているのだ。
これこそ、まさに近代科学の発想だが、ここには置き去りにされた問い「存在の忘却」がある。

ウナギとは「なにか」

それは、ウナギとは何かという本質的な問いだ。

ウナギとは何かという問いには、誰もが自分の方法でアプローチできる。たとえば、ウナギは霞ヶ浦にとって何か?自分とってどんな意味を持っているのか?といったように。ひとりひとりに意味を問いかけることができる。何かという問いは人々に働きかけ、湖や川や社会への問いかけ(更なる働きかけ)を促していく。

ウナギとは何かという問いは、人々が抱く多様な問い掛けが共有される場となる。

アサザプロジェクトでは、このような問いの共有を通して、地域や政治を動かし、霞ヶ浦にウナギを呼び戻そうとしてきた(常陸川水門の柔軟運用案www.asaza.jp)。

主流から外れたスピノザの方法

方法の共有化(答えの共有)を突き進めていくと、方法『いかに』を発見したり開発する一部のエリートと、「ブラックボックス化した方法」による成果物を享受する一般大衆という二分化が進んでいくことになる。実際、科学技術の高度化が進すむ現代社会は、極端な二分化に陥っていないだろうか。

方法といっても、スピノザの方法は同時代の哲学者デカルトが確立した方法とは、大きく異なっている。

スピノザの方法は最終的に、「各々の精神が自らの本性と法則に出会い、おのれの力を引き出すことをめざす。」(國分功一郎著「スピノザの方法」より)

「あっわかったという感覚は人に『わかる』とはどういうことかを教える。そして、その感覚は人には伝えられない。その感覚は自ら体得しなければならない。」(同)

「無限に多くの世界が、ひとつに統合されていながらも、絶対的差異によって区別される。それがスピノザの世界に他ならない。」(同)

わたしは、スピノザに親鸞につながる、分散という精神の運動を見てとる。

真理は、誰かに発見され、人々に共有されるものではなく、それぞれ一人一人に語りかけてくるもの(分散の運動)だと。

問いを共有する学習の実践

スピノザの方法は、今日見直しを迫られている教育にも、そのあるべき姿を示唆しているように思える。

わたし自身、全国各地の学校で授業を行ってきた中で、今の教育の在り方に疑問を抱くことが多々あった。そして、教育のあり方への疑問の原点を遡れば、いつも自分が小学生の頃に強く感じていた違和感に行き着いてしまう。わたしは、あの時に違和感を抱いた子ども(自分)に応えようと、今も授業をしているのかもしれない。

わたしの授業は一方的に話を聞かせるのではなく、生徒たちひとりひとりの抱いた問いを受け取り、問いの連鎖を促しながら展開していく。しかし、わたしのやり方は多くの教師に不安を与えてしまうらしく、何度か教師から反発をくらったことがある。

通常の授業では、教師は答えの共有に向けて生徒たちを、自分が用意していた学習の流れの中へと導こうとする。ところが、わたしの授業では、その場で次々と生じて来るひとりひとりの問いへと分散して行ってしまう。

わたしの授業では、予め準備された学習の流れは無い。わたしの授業は、生徒ひとりひとりが自分の問いと出会うこと、自ら問いを立てることから始まるからだ。

わたしの授業で生徒たちを繋ぐのは、予め選択された方法ではなく、生徒たちの問いの連鎖の中から浮かび上がって来るより深い問い、様々な問いを結び付ける、より本質的かつ包括的な問いへの気づきだ。

そのような問いが浮上する祝祭的な瞬間を目指して、ひとりの生徒が発した問いに、他の生徒が触発され問いが発せられ、またその問いに誰かが触発されといった具合に、問いの連鎖が起きていく。教師はその連鎖(触発される力の解放)を答えで止めてはいけない、教師に求められるのは、生徒たちと共にひとつひとつの問いを味わい触発されて動くことだ。

授業はどこに向かうか初めから決まっていない、方向を決めるのは問いの共有を通して起きる出来事=創発(問いの連鎖=みんなを繋ぐ問いの発見=祝祭的瞬間)だ。もちろん、それに気づき発見するのは、生徒たち自身だ。

誰にも、その祝祭の場を奪う権利はない。このような祝祭を失った教育や学習にどのような意味や価値があるのだろうか。

知のあり方が問われる時代。

教師が問い(例えば社会的課題やテーマ)を幾つか選択し生徒に与え、答え(解決方法=成功事例)を調べさせまとめ方を教えるというのが、総合学習ではよくあるパターンだ。ここには、先述した一部のエリートと大衆に社会を二分化するのと同様の構造がある。

近代科学思想の祖デカルトは、今日の教育の在り方にも当然大きな影響を与えていると思う。わたしは、以前言ったように、今日人類が抱える問題の背景には教育の失敗があると考えている。

デカルトの方法に偏っているのは教育だけではない。世の中の知のあり方にも同様の問題がある。そのことに早く人々が気づき、知のあり方を根本から見直す創造的な時代に入るべきだと思っている。

「スピノザの思想は、それを肯定するにせよ、否定するにせよ、あるいは誤読するだけでも、思考可能な範囲を一挙に拡大するような、そういう特異性がある。」
                                                                                     安冨歩「合理的な神秘主義」より

「わたしには、デカルト/ニュートンによって代表される西欧思想の正統的な線形思想の流れに対して、スピノザ/ホイヘンスを継ぐ非線形的思想の系譜が伏流水のように常に存在し、それがインスピレーションの源であり続けることによって、思想は展開してきたのではないか、とさえ思える。」(同)

20世紀の哲学者ドゥルーズはスピノザの思想からインスピレーションを受け、良き教師の姿を次のように描いている。

「我々は『わたしと同じようにやりなさい』と言うと者からは何も学ぶことはない。我々にとって唯一の教師は、我々に対して『わたしと一緒にやりましょう』と言う者である。」ドゥルーズ著「差異と反復」より

「わたしと一緒にやりましょう」とは、「一緒に問いと向き合い、それぞれ自分の方法で取り組みましょう」ということだ。ここにも、集中から脱却し、分散(ひとりひとり)を促す精神の運動が見てとれる。

切れそうな糸がいつの間にか信念に変わっていた。

このように、わたしは拙く切れそうな思考の糸で、なんとか今も問いを紡ぎ続けている。これは、意味もわからずに子どもの頃からずっと続けてきたことだ。

この細い糸は、小学生の頃のわたしに宿り、中学生になってからは絶対に切ってはならないと、強く意識されるようになった。そして、その後もこの糸は断ち切られることなく、様々な出来事を重ねるうちに、十代の終わり頃には揺るぎない信念へと変わっていた。

その信念とは、本当の学びとは、良き出会いの連鎖そのものであること。いま自分が何を学び、また、次に何を学ぶかは、自分の中で出会いという出来事が起きることを信じ、それまでは待つこと。わたしは、この直感を信じて生きることにした。

決して、制度化された学びには流されず、(もっと大切なことがあるでしょう、そんなことは後で考えればいいでしょうといった大人たちの声に流されず)自分の中で起きる微かな出来事(たとえ世間ではつまらないこと、無意味なこと)であっても、決してそれらをやり過ごすことなく、そのひとつひとつを大切に体験にしていけば、知らないうちに良き出会いの連鎖の中にいるという信念だ。

「答えようのない問いを立てることをやめてしまえば、人間は芸術作品を生み出す能力を失うだけではなく、回答可能な全ての問いを立てる能力も失っていくことになろう。」ハンナ・アーレント

いつの間にか良き出会いの連鎖の中にいる自分に気付くという神秘的な体験を繰り返していく内に、これが自分の人生だと思うようになった。

だから、周りの大人達から「将来何になるんだ」「将来どうするんだ」としつこく聞かれても、「理由は説明できないけど、いまやらなければならないこと(出会ったこと)をただやるだけ」としか答えられなかった。つまり、何かに成るといった意志や目標を持たずに生きて来たわけだ。

これが、わたしが、持ち続けてきた葉しずくのような信念の物語だ。

こんな信念を持ってしまったら、どんな学校生活になったかは十分に想像できるだろうが、葉しずくは今日まで落ちずに、微かな光を放ち続けている。

葉しずくの中に映るわたしという子ども

わたしが子どもの頃から紡ぎ続けてきた問いの糸は、学校や社会や大人たちによって、何度も断ち切られそうになったが、わたしはこの細い糸を守ることを最優先に、細心の注意を払って生きて来た。(切れそうだと思った時は、躊躇なく学校を休んだ。)

そして、この細い糸によって、わたしは今もわたしという子どもと繋がり続けることができ、わたしを生きることができている。

混迷の時代を、わたしはこれまで通り、この細い糸を頼りに生きていきたいと思う。そして、わたしという子どもを映し出す葉しずくが放つ光の様に、良き出会いの連鎖を広げていきたい。見えない起点となって。

草陰に
光を宿す
幼き知     龍動

草むらに微かな光を宿す葉しずく、そのひとつひとつに映る子どもたちに、平和は託されている。

                          2022年8月15日

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