学会メモ

JpGU2021への参加が終わり、学会について何か書きます。当たり前のことを。パンデミックで学会の講演会が大きく変わり、学会自体はどう変わるのか。

まず今年のセッションのメモから。最近のオンライン研究会と変わらず、zoomでトークを次々聞いていく、というものでした。研究会と違うのは、誰が参加して聞いているか、よくわからないこと。セッション参加者リストは普通に見られますが、参加者が多くて把握しきれないのと、登録料を払った方なら誰でも聞いている可能性がある、という点で。

ポスターセッションのコアタイムは、zoomのブレイクアウトルームがポスター発表の数だけ用意されている、というものでした。それから、全体のプログラムは、それらのzoomへのリンク集を兼ねたpdf・ムービー置き場の会員限定Webサイトになっていて、個々の論文投稿にはコメント欄がある。

こういうオンライン研究発表会は、特に驚きも落胆もなく、想像の範囲内で普通に終わりました。海外の研究者と久々に仕事できて楽しかった。

終わってみて、ふと学会って何だったんだろう、これからどうなるんだろう、と考えました。答えは出なくて、改めて学会とは何かを、意識した、というだけ。地物関連の多くの学会の春の講演会を合同開催したものが今回のJpGUなので、いわゆる学会そのものについて、いきなり連想するのは飛躍なのだけど、まあ関係なくはない。

国内の多くの学会は、たぶん春と秋に研究成果を共有するための講演会をやっていて、春は一緒にやって異分野でも情報交換、秋は各学会で別にやる。特定の学会の会員のみが集まって決議をする学会の総会や、戦略的な情報共有をする分科会は、そういう講演会のスキマ時間に裏で手短に行われている。

研究者に会ったとき、どんな空気で育った人か、学生の間にホームとしていた所属学会を聞けば、なんとなく想像できる。それぞれの学会には由緒がある。研究者という高度な専門職を育成する役割がある。

学会には、そういう研究分野がありますよ、と示す役割がある。

研究者の集まりが、国民へ意見や態度を表明する発信元として、ときどきニュースでも見かけられる。最近だと、学術会議と政治の問題だったり、国防費と研究費に関することだったり。しかし学会員それぞれの意見は多様でバラバラなので、それは難しい話。

あまり変わらないことに、学会の意味があるような気がしてきた、というのが、ひとまずの感想でした。

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