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両親に無理やりインタビューしました。

今日は人生初の試みを発表したいと思います。

ゴールデンウィークなので里帰りをしています。

そこで、ふと思いついて
両親にインタビューをすることに
しました。

というのも、

今まで起業したときのストーリーや
子供時代の環境などについて
自分自身の目線で話してきましたが、、

家族に客観的に話してもらうことで
また違うものが見えてくるのではないか、、

と思ったからです。

ちなみに、父は80歳、母は71歳の高齢です。

お願いしたときは、かなり嫌がっていました。

(姉は、出演拒否(笑))

まあ、普通に嫌ですよね。。

しかし、無理やり強引に収録してきました。

なぜなら、私自身の意見より、客観的な意見の方が
実は、真実があぶり出されると思ったからです。

そして、それは、このnoteを読んでいる人に
とっても、とても意義のある内容になると
思ったからです。

題して、

両親の目線からみた伊勢隆一郎の人生。

ぶつけ本番、ノー編集の生の声です。

普段は、改まって聞かない、

「起業すると言い出した時どう思った?」

「将来どうなると思った?」

など、その頃の気持ちや想いを聞きました。

・・・・・・

やってみた感想ですが、

予想以上に良い話を聞けて
気づきも学びもあり良かったです。

今回の内容の一部を紹介すると、、

・読み書きが出来なかった少年時代

・親世代が信じていた高学歴、一流企業神話

・起業すると言われたときの本当の気持ち

・近所で「息子さんニートですか?」と言われていた話

・伊勢は良い友達との出会いで常に人生が変わっている

・女親はだめだなと母が思う理由

・ターニングポイントは家を出たこと、貧乏をしたこと

この音声には、本物のリアルがあります。

小さいながら成功できた真の理由。

私自身、改めて気付かされたことが
たくさんありました。

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GW特別公開『親からみた伊勢の人生』:
http://ryuichiro-ise.net/dp/0505.wav
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今回、本当にたくさんの気づきが
あったので、文章でもまとめて
おきたいと思います。

—————————————
親の望む人生は生きなかった。でもそれでいい。
—————————————

私の親は普通の親です。

なので、人生の幸せとは、

・優秀な学校に行き

・きちんとした大企業に勤める

という考え方を持っていました。

そして、私は、その期待を裏切り続けました。

勉強をせず、就職もせず、起業をした。

だから、そこには、当然ながら
たくさんの摩擦が生じました。

たくさんのすれ違いも
いがみ合いもありました。

親は親で、自分の信じる価値観を
貫き通した。

私は私で、自分の人生を貫き通した。

それは、決してそれは交わらない、、、

いうなれば、五線譜のように交わることのない
平行線だったわけです。

でも、それで良かったのだと今は思います。

私のような人間は、反対されないと
力がでないのです。

一番身近な家族に応援されていたら
どこかで甘えが出てしまったと思います。

ただ、応援はされなかったけれど
最後のところでは支えられていたんだなと
改めて今回思いました。

意外だったのは、

父が、収録を止めた後も何度も

「本当は、一番つらい時期にもっと
金銭的に支援してあげた方が良かったのかな
と今でも思うんだよね」

と、言っていたことです。

でも、そんな事してくれなくて
本当に良かった。

支援されていたら、今でも私は
あまちゃんのままだったと思うから。

結果を出せなかったと思うから。

自分勝手に起業したからには
助けてもらう気持ちなんて
私には更々なかったし
どんなに辛くても相談もしませんでした。

でも、本当の事を言うと一回だけ
借金でクビが回らなくなったとき
父が60万円くらいだと思うのだけど
払ってくれたことがありました。

大学生で起業して、失敗して、借金を作って
利息の返済のために、また借金をして、

すぐにお金が必要だから日雇いしか
できなくて、

日雇いだから、ぜんぜん稼げなくて、
生活もままならないのに
借金も返さなくてはならなくて

持っているカードの限度額がパンパンに
なる自転車操業で、

最後、パンクする瞬間に
家に届いた督促状を見た父が
肩代わりしてくれた。

その事の恩は、自分の中でとてつもなく大きくて
今でも、気持ちよく両親の援助をできるのは
それがあったからだと思います。

やっぱり、あの時の事が
深く自分の中で感謝の気持ちとして
残っていて、それは一生変わらないと思います。

助けてくれと言えなかったのに
なにも言わず、交換条件も出さず
ただ、肩代わりしてくれた。

普通に考えたら、肩代わりする変わりに
就職しろと言われてもおかしくなかったと思う。

でも、それを言われなかった。

それは、凄いことだと今は思う。

父は父なりの信念を持って
待ってくれたのだと思う。

待てるというのは、愛だ。

今日話したら、このお金のことは母にも
言っていないようだった。

父は、なにかしらの罪悪感を
持っているかもしれないけれど

最高のタイミングで最高の形で
助けてくれた。

そして、助けたもらえたこと以上に
そういう気持ちがありながら
普段は、何もしないでくれたことに
一番感謝しています。

自分で生きていく力を付けるために
その苦労は本当に必要だったと思うから。

私は40歳の時の子どもだから
年も離れていて、あまり父と
ベタベタした関係ではなかった。

深い話は、あまりしてこなかった
親子関係だと思う。

でも、いい父だったんだなと思う。

母も、自分の価値観とは違う
人生を生きる息子に
なんだかんだ、ずっと体を気遣い
支えてくれた。

やっぱり、今の私があるのは
この両親だったからで
偉大な両親だと今は思う。

—————————————
結果を出せば全て丸く収まる
—————————————

結局、自分の人生に責任を持ち
結果を出せば全てが丸く収まるのです。

これは、特に若い人にいいたいのだけれど
親は反対するかもしれない。

でも、自分の道を貫き通したらいいと
心から思います。

その代わり、

自分のワガママを通すからには
結果を出すことです。

結局、人は自分に甘い生き物です。

今でも私は自分に甘い。

それでも、生きたい人生を生きるなら
結果を出すしかないのです。

そして、結果を出せば
全ては、丸く収まるのです。

人間関係は、小手先で共感とか
理解とかすることではなく、、
結局、ちゃんと結果を出すこと。

私と親の関係でもそうですし、

私と会社のメンバーの関係でもそうですし、

私と外部パートナーとの関係でも
そうですが、

結果を出すことで関係は良くなります。

それは、とても幸運な事で
自分次第で、全ての人間関係は
変えられるということだと
思っています。

特に若い人には言いたい。

自分の人生を分かって欲しいなら
死ぬ気で結果を出そう、

それ以外に道はない、と思うのです。

そして、今回、話していて
改めて思ったのは、

2つの事が人生を変えてくれた
ということです。

—————————————
1つ目は環境が人を作るということ
—————————————

私のターニングポイントは
いくつかあって

最初は、誰も知り合いのいない
東京の高校に行ったこと。

(実家は埼玉の川越市です)

私は、今でも引きこもりで
小学生の頃と何も変わらず
本ばかり読んでいる生活をしています。

変わったのは、酒を飲みながら
夜更かしをして本を読んでいる事ぐらい。

基本的に、引きこもりで
自分の世界を広げません。

でも、親が、

「こいつは、浪人させたらマズいから
付属の高校に入れよう」

と思って、三流大学の付属校を
見つけてきて、

「ここはどうだ」

と言われたのが東京に出た
きっかけです。

そもそもの素質から言ったら
地元からでるタイプの人間では
なかったのです。

でも、環境を変えることで
人格が変わっていったというのが
本当のところです。

そして、収録でも話しているように
家を出てから、私は変わったと思う。

甘えを捨てたければ、環境を
変えることだ。

だから、若い人に再び言いたいのは
家を出ろということだ。

その後、大学時代も4年生のときに
他大学の人たちと付き合うようになって
世界が広がった。

そして、今も世界で色々なプロジェクトを
することで、自分の世界を広げていて

私のような引きこもりの人には
環境を変えないと、人生なんか変わらないし
世界も広がらないと今では思います。

だから、東京、世界と世界を広げてきて
その度に人生が広がったのだけれど、

最初のきっかけは、東京の高校に
通わせてくれた両親だなと
それはすごく感謝しています。

収録後も、

「環境を変えたときに
人生は変わったよね」

と、母と話していました。

だから、みんなも世界を広げて欲しい。

世界を広げるには、環境はすごく大事で
無理な理由をあげたらキリがないけれど
どんどん世界を広げよう。

—————————————
2つ目は友だち、仲間。
—————————————

収録中にも話していますが
両親から見ると、私は

「仲間に助けられた人生」

だそうです。

確かに、振り返ってみれば
常に、友だちや仲間のとの出会いで
人生が変わってきました。

「だから、その初心を忘れちゃいけないよ」

と。

確かに、付属校だったけれど
半分しか大学にいけないなかで
もちろん成績は半分以下。

高校2年のときに、それは
凄く怒られて、

私も、付属に入れたもらったのに
さすがに、この状況は申し訳ないと
思っていた頃でした。

そんな時に、小泉くんという
友だちが出来て、

人生で初めて、勉強をするようになり
切磋琢磨しながら、成績を上げていきました。

その後も、大学4年のときに
違う学校の人達と付き合うようになって
その仲間がいたから、今があります。

借金まみれで、家を出れたのも
沼田くんという友だちがいたから。

(本の処女作に詳しく書いています)

私の人生は、常に友だちとの
出会いによって変わっていて、、、

それを親はよく見てたのだなと
思います。

環境と仲間が人生を変えると
いつも言っていますが、

それは、私の本心であり
今回、親もそう思っているんだなと
思って、なんだか嬉しくなりました。

人生のターニングポイントには
常に切磋琢磨できる仲間がいたのです。

親が言うには、仲間に恵まれて
仲間を大切にしているのが
あなただよ、ということでした。

—————————————
子どもの成長で親の人生も変えられる
—————————————

これは、とてもおこがましいことなのだけれど
今回、両親と話を聞いて思った事は、

子ども次第で、親の人生の意味も変えられる
のではないかと思ったのです。

というのも、うちの親はピンピンしていて
かなり高齢なのですがね、

それは、実は、私の人生が少しは
関係しているのではないかと
思えたのです。

今まで全くそういう視点は
無かったのですが。

親が健康であるというのは
本当に、本当にありがたいことです。

でも、基本的には、親の影響を
子どもが受けると思っていたのですが、

子どもの影響も親は受けるのではないかと
今回、母の話を聞いて思ったのです。

私は、一時期、

「今の自分があるのは、お父さんと
お母さんが、お父さんとお母さんで
あったからだよ、

今の人生は、お父さんとお母さん
だったから、あったわけで、

本当に、お父さんとお母さんの
子どもに生まれて良かったと
毎日思っているよ」

というのを、小さいながら成功した
ときに、ずっと伝えていました。

最近では、その事すら忘れていたのですが
今日、母と話をして、

「それが生きがいになっているのかも?」

と、思いました。

もちろん、最初に書いたように
ものすごい摩擦はありました。

でも、それがあったから
今の自分があると
本心から思えたので

照れますが、手紙や直接の会話で
それをずっと伝えてきました。

そして、今回思ったのはそれは
想像以上に、両親にとって
幸せな事だったのかな、、

と思ったのです。

だから、うちの両親はピンピン元気で
いようと日々頑張っているのかなと。

本当の事は分かりません。

ただ、自分の伝えてきた感謝が
両親の幸せにつながっているのかなと

今日初めて思いました。

そんな事は、想像もしていなかったから
凄く、びっくりしたのだけれど。

・・・・・・

今回、話をして良かったなと
心から思いました。

私は、孫の顔も見せられず
心配ばかりかけていて

しかも、好き勝手に生きてきました。

父が結婚したのが、今の私の年齢です。

私には何もないけれど、
ちゃんと、両親が環境を
作ってくれていたから今の自分があると
思いました。

これからも、仲間を大切に
お客さまを大切に

そうやって、生きていこうと
思いました。

今日という日は、私にとって
とても良い日だった。

ただ、

ちゃんと本当の事も話すべきだと
思うので、話します。

こうして、今話せているけれど

最初からそうだったわけでは
ないです。

10年かけて、今はこうして
話せるようになりました。

ぜんぜん分かり合えないと思っていたし
どれだけ、感謝を伝えても
うまくいかなかった。

悲しいことも、辛いことも
お互いにすごくあったと思います。

でも、10年たって、こういう話が
できるようになりました。

これは、だから私にとって
とても幸せな事で、

親も歳をとり、私も歳をとったから
できた会話です。

歳をとるのは、悪いことばかりではない
今日だけは、そう思いました。

これを聞いたあなたの
幸せを願っています。

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GW特別公開『親からみた伊勢の人生』:
http://ryuichiro-ise.net/dp/0505.wav
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伊勢隆一郎



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